参考資料1949 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

地球の空に二番目の太陽が現われるとき・・・・ その7
すべての預言が一致して示す”燃える星”の出現1
「実際、すでに一足お先にこのときの光景を聖母の奇跡によってはっきりと幻視した人々が大勢います。
「太陽のような巨大なボールがあります・・・・後方に尾をもって燃えたっています・・・・それは非常に赤熱していました・・・・オレンジ色をしています・・・・それが近づくと小さな太陽のようにみえました・・・・いま地球へと急いでいます。それが大気中に入ってくるとき、心臓は恐怖で止まるでしょう。・・・・」(於ベイサイド 1973年2月10日)
 それは”救いの球(または贖罪の球)”だといいます。これを再びノストラダムスに説明願いましょう。
「それは北から現われるだろう
蟹座からほど遠からぬ小熊座の星
髪をなびかせた明星が近づいてくる
スース・シェーナ・ボエチア・エリトリア
夜明けに偉大なローマ人が死ぬであろう」(諸世紀Ⅵ/6)
 最後の”偉大なローマ人”とは、ローマ法王のことで、これが前詩の”法王が在所を替える”と関連しているようです。また”蟹座”は後で意外なところから出てきますのでご記憶下さい。そしてこの”髪をなびかせた明星”は、
「光の尾を引いた星が現われている間
3人の巨大な王子は敵対するであろう
平和は空から打ちのめされ 大地は揺れ動き ポー川とティブル川は氾濫し
蛇どもは岸でとぐろを巻く」(上同Ⅱ/43)
 この”光の尾を引く星”に対応しており、この”尾”こそイエス預言の”雲”の正体ではないでしょうか。2行目以降は、この星が現われる時期を暗示しているようです(後述)。
 さらに”光の尾”についてはジーン・ディクソンも「90年代の終わりに、地球は不規則な軌道で接近する彗星の巨大な尻尾にまき込まれ、地軸のバランスを失うでしょう」と、”彗星の尻尾”であると述べています。おそらく、みな同じ現象を告げているのでしょう。
 ただし、以上の預言は(後述するように)今世紀末頃、この星が地球に向けて最接近してくるときの予告かと思われます。
 なぜなら、聖母預言のなかの「太陽は遠ざかり、雷の激しい轟きが地をゆさぶり、真暗となるでしょう」(於サン・ステファン 1966年7月14日)の”真暗となる”が、イエス預言の”日は暗くなり”と対応しており、「それから太陽は再び地上を照らすようになり、飢餓と病いはその後ますますひどくなるでしょう」(上同)とあり、どうやらこの星はいったん現われてまた遠ざかっていくかのようです。
 この”燃える星”の出現については、ほとんどの預言者が言及しており、近年、預言研究家の間でとみに注目されだしたアメリカインディアン・ホピ族の伝承にも、「近い将来、宇宙から大きな星が地球めがけて接近してきて、それによりいまの第四世界は終わるであろう」と伝えられています。
 また、エドガー・ケーシーも「聖霊の介入によって主の星が現われ、それが自分の至聖所に入ろうとする人々に道を示すことが告げ知らされるであろう」(3976/15)と荘重に語りこれは”主の星が現われる”のだといっています。”人の子が来る”のではないのです。」
「ヤハウエの巨大潮流預言」柴藤甲子男著より

感想
>実際、すでに一足お先にこのときの光景を聖母の奇跡によってはっきりと幻視した人々が大勢います。
「太陽のような巨大なボールがあります・・・・後方に尾をもって燃えたっています・・・・それは非常に赤熱していました・・・・オレンジ色をしています・・・・それが近づくと小さな太陽のようにみえました・・・・いま地球へと急いでいます。それが大気中に入ってくるとき、心臓は恐怖で止まるでしょう。・・・・」(於ベイサイド 1973年2月10日)

「地球をとりまく大気の中に贖罪の球(救いの球=煉獄の火)があって地球へと急いでいます。それが地球の大気の中に入って来る時、心臓は恐怖で止まるでしょう。救いの球は火のさやとなって汝の国土、汝の世界を過ぎてゆき、多くの者はこの大火炎の中で死ぬでしょう。人類の上に下されたどんな天罰よりもはるかに大きい天罰。人類に約束された(予言によって)大いなる警告がまもなくやって来ます。」
引用元:https://ameblo.jp/ku4efzpedz/entry-11191111365.html

個人的には、潜在意識に入ったものが幻覚などによって表に出て来ているだけだが、選ばれし者だからシンクロニシティーが起こる可能性があると考えている。(これぐらいの事は聖書を読めば誰でも想像できる。というか、小説とかで既にあっただろう。)
ただし、本当に神が憑依する事もあるのではないかと考えている。

「「新約聖書」にも不思議な光景がある。

「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、御霊(みたま)が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」
「使徒行伝」第2章1節~4節

「さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人(びと)ではないか。
それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
わたしたちの中には、パルテヤ人(びと)、メジヤ人(びと)、エラム人(びと)もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
ユダヤ人と改宗者、クレテ人(びと)とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。」
「使徒行伝」第2章5節~12節

ちゃんとした他言語を話していたようである。人格のある神(霊体)が乗り移ったのだろうか。だとしたら、人間にも霊体があるという事である。(神は未来人と考えているから。)」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12412491941.html

>「それは北から現われるだろう
蟹座からほど遠からぬ小熊座の星
髪をなびかせた明星が近づいてくる
スース・シェーナ・ボエチア・エリトリア
夜明けに偉大なローマ人が死ぬであろう」(諸世紀Ⅵ/6)

私は訳した事がない詩なので、セカンドオピニオンを聞いてみよう。

北方に向かって現れるだろう、
長髪の星が巨蟹宮から遠くないところで。
スーザ、シエーナ、ボイオティア、エレトリア。
ローマの大物が死ぬだろう。夜が失せる。
引用元:https://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/835.html

まぁ、大体同じなので良しとしよう。

>そしてこの”髪をなびかせた明星”は、
「光の尾を引いた星が現われている間
3人の巨大な王子は敵対するであろう
平和は空から打ちのめされ 大地は揺れ動き ポー川とティブル川は氾濫し
蛇どもは岸でとぐろを巻く」(上同Ⅱ/43)

この詩は昔訳した事があるが、とりあえずセカンドオピニオンを聞いてみよう。

髪のある星が現れている間、
三人の偉大な君主たちは敵同士になるだろう。
平和は天から打たれ、大地は震える。
ポーとテヴェレは氾濫し、蛇は岸辺に置かれる。
引用元:https://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/644.html

私が昔訳した原文の3行目は「Frappez du ciel paix terre trembulente,」となっていて、「天から平和を打ちなさい、震える大地」と訳した記憶がある。ノストラダムスの言葉遊びか古語のせいか「Frappez」の所の「z」が「s」なのだろう。
ただし、シンクロニシティーとして、地球すれすれの小惑星に一撃を食らわせて、人類が「終わりの時」を始める可能性も0ではないと考えている。

>なぜなら、聖母預言のなかの「太陽は遠ざかり、雷の激しい轟きが地をゆさぶり、真暗となるでしょう」(於サン・ステファン 1966年7月14日)の”真暗となる”が、イエス預言の”日は暗くなり”と対応しており、「それから太陽は再び地上を照らすようになり、飢餓と病いはその後ますますひどくなるでしょう」(上同)とあり、どうやらこの星はいったん現われてまた遠ざかっていくかのようです。

この著者はやはり「衝突」とは考えていないようである。因みに、「アンリ二世への手紙」の一部にも「真暗」は出て来る。

「そしてその前に天地創造からイエス・キリストの死と受難まで、そしてその時から今までで最も薄暗くて最も暗闇の太陽の(一時的な)消滅が先行するだろう。そして10月に人々が地球の重力がその自然の運動を失って、そして永久の闇に沈むとキュイデーするようなある大きな移転がなされるという事があるだろう。」
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11502808265.html

>また、エドガー・ケーシーも「聖霊の介入によって主の星が現われ、それが自分の至聖所に入ろうとする人々に道を示すことが告げ知らされるであろう」(3976/15)と荘重に語りこれは”主の星が現われる”のだといっています。”人の子が来る”のではないのです。

「それらが迫り通りすぎるサインとして、太陽は暗くなり、地球はあちこちで破れる。そしてその時、大いなる彼(神またはイエスの形容詞)の星が現われたと声明されるであろう」
リーディングNO.3976-15(「エドガー・ケイシーの最終予告 1998年“裁きの救世主”」五島勉著より)

「真理の御霊」(契約の使者)を「聖霊」と述べている箇所もあり、

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」
「ヨハネによる福音書」第14章26節

「聖霊の介入によって主の星が現われ」とは、「イエスの再臨」の準備をする「真理の御霊」の出現によって「彼の星」が現われる事になるのかもしれない。

1章91番の詩
Les Dieux feront aux humains apparence,
Ce qu'ile seront autheurs de grand conflit.
Avant ciel veu serain, espee & lance,
Que vers main gauche sera plus grand affliction. (ロバーツ本の原文)
神々は人間達に対して外観(気配)を作るだろう
彼らが大きな衝突の張本人になるだろうということ
穏やかに思い描かれる天国の前に、剣と槍
なんと左手の方でより大きな悲嘆があるだろう 

個人的には、1916年と1917年のファティマの奇跡の予言と考えているが、2行目の「衝突」はダブルミーニングだろうか。

神々は人間たちにお示しになるだろう、
御自らこそが大紛争の創り手であることを。
先んじて澄んだ空で剣と槍が目撃されると、
左手の方に最大の悲嘆があるだろう。
https://www42.atwiki.jp/nostradamus/pages/40.html

おまけ