参考資料1938 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

バベルの塔
「前にいったように、ノアの息子はセム、ハム、ヤペテの三人だった。三人の妻はそれぞれ多くの子供を生み、その子供たちからさらに多くの子供が生まれた。こうしてノアの子孫はどんどんふえた。人類のあらゆる種族は、この三人から出たものだとされている。
 そのころはまだ、すべての人間が同じ言葉をつかっていた。また、ノアの子孫がたいそうふえたといっても、まだそれほど広い地域には広がっていなかった。彼らはまず、チグリス川とユーフラテス川の二つの大きな川が流れているメソポタミアの地に、おもに住みついていたらしい。
 そこはたいそう土地のこえた、すばらしい平野だった。人々はカインやアベルの時代のように、土を耕したり羊を飼ったりするだけでなく、煉瓦をやいて家をつくりもし、大きな町もつくった。しまいには、すっかり自分たちの知恵と力を誇るようになって、こんなことを考えるようになった。
「天までとどくほどの大きな塔をたてて、みんなでそこに住むことにしよう。そうすれば、世界にちらばってばらばらになることもなくてすむ。」
 そこで人々は、すばらしく大きな高い塔をつくりはじめた。大きな石を運んだり、煉瓦をつみあげたりして、何年も何年もせっせと働いた。塔はだんだんできあがって、天にとどくほど高く高くそびえていった。
 しかし、神はそれを見て喜ばなかった。こんな大きな塔をつくって、みんながそこに住むことになると、世界のほかの地方は住む人がなくなってしまうかもしれない。
 そこで神は、なんとかしてこの塔の建設をやめさせたいと考えた。神はどんなてだてをとったろうか。
 ある朝、みなはいつものように塔のまわりをとりまいて、仕事をはじめた。ところが、びっくりしたことに、昨日まではたがいに話が通じていたのに、今日は働いている者同士の言葉が、すこしも通じない。みんながてんでんばらばらに、わけのわからない勝手な言葉で叫んでいた。これでは仕事がすすむわけがない。あちこちで争いがはじまった。
 神がみなの言葉をみだされたからだった。このことがあってから、人々は世界共通の言葉を忘れてしまい、それぞれ別な言葉を話すようになったのだという。
 しまいに、とうとうつくりかけの塔をすてて、世界中にちらばっていった。そこでこの塔は「バベルの塔」とよばれた。バベルとは「みだれる」という意味だという。
 見すてられて住む人もなくなった塔は、雨風にさらされてだんだんくずれ落ち、とうとう砂に埋れてしまった。いまでもチグリス川のほとりには、この塔の跡といわれる大きな建物がのこっている。」
「聖書物語・旧約物語」山室静著より

感想
>そのころはまだ、すべての人間が同じ言葉をつかっていた。

あまり関係ないというか、矛盾するというか、こんな話もある。https://www.amazon.co.jp/超古代、日本語が地球共通語だった-―岩刻文字-ペトログラフ-が明かした古代“ワン・ワールド”の謎-吉田/dp/4195546818

「このように、考古学の分野からも、かつて超古代には日本のスメラミコトが世界を一つに治めていたことが、刻一刻と証明されつつあるのである。
 科学的に動かぬ証拠が余るほど発見されてしまえば、どんなに頭の固い人とて認めざるを得ない。そうなれば当然、人類史は大幅に塗り替えられることになろう。
 また、吉田氏の見解によれば、「救世主」と「スメラミコト」は別ものとされているが、既に述べたように、それは確かにあり得る。ただし、世界がスメラミコトを中心としてまとまり、機能するようになることは間違いない。
 神の地上代行者としてのスメラミコトの存在は、すべての人類にとって受け入れられ、その威光を存分に発揮することだろう。
 だが、現在の日本は、スメラミコトを生み出すにはほど遠い状態にある。
 先にも述べたように、人間側の霊的覚醒なくして、メシア降臨の準備は整わないのである。
 残された時間は少ない。
 今こそ心ある者は、日々の身魂磨きに励みつつ、スメラミコトの降りられる新生日本の国造りのために、分に応じた働きを為すべきではなかろうか。
 そうすることが同時に、その人が次期文明へ残る資格を得ることにもつながると私は信じる。
 本書はまさに、そうした縁ある人々の霊的覚醒を促すために書かれたと言っても過言ではないのである。」
「ユダヤの救世主が日本に現われる」中矢伸一著より

>また、吉田氏の見解によれば、「救世主」と「スメラミコト」は別ものとされているが、既に述べたように、それは確かにあり得る。ただし、世界がスメラミコトを中心としてまとまり、機能するようになることは間違いない。

「スメラミコト」を「イエス・キリスト」と考えると、私の理論と似ている。念のため、「救世主」は「真理の御霊」(契約の使者)という事。

>だが、現在の日本は、スメラミコトを生み出すにはほど遠い状態にある。
 先にも述べたように、人間側の霊的覚醒なくして、メシア降臨の準備は整わないのである。

そのための地均しをするのが、「真理の御霊」の役目だが、そうとう厳しい事になるだろう。

「1 あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、
2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。
3 呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。
4 もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高底のある地は平らになり、険しい所は平地となる。
5 こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである」。
6 声が聞える、「呼ばわれ」。わたしは言った、「なんと呼ばわりましょうか」。「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。
7 主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。
8 草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉は/とこしえに変ることはない」。」
「イザヤ書」第40章1節~8節

「義の教師」が現れて、「イエスの再臨」に備える精神性の向上を図るのだろう。

>その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた

「男組」の流全次郎みたいな話か?

「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。この神でなければ、世の立て替えはでけぬ。三千世界の大掃除大洗濯をいたすのじゃ」」
「出口王仁三郎の霊界からの警告」武田崇元著より

「「艮の金神」とは、日本に古くから伝わる陰陽道の言葉です。「金神」とは“祟り神”のことで、また「艮」(うしとら)とは東北の意味で、もっとも恐れられている“鬼門”(きもん)の方位です。したがって、「艮の金神」とは数ある金神の中でも、もっとも恐ろしい鬼門の方位にわだかまる“猛悪の祟り神”ということになります。」
引用元:http://www.omt.gr.jp/modules/pico/index.php?content_id=5

とあるしね。ただし、義の教師の面も持ち合わせていなければならないだろう。清濁併せ呑むといった所か?

「天津金木とは大宇宙の根本度量衡器と言われるものであり、古神道で言う造化三神と共に働いて小宇宙を創造し、かつ生成化育の諸相を語るものである。……水谷清(古事記大講を著した神道研究家)」
引用元:http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1753443.html

「真理の御霊」(契約の使者)自体が「度量衡器」で人々の器を測るのではないだろうか。

>ところが、びっくりしたことに、昨日まではたがいに話が通じていたのに、今日は働いている者同士の言葉が、すこしも通じない。

「新約聖書」にも不思議な光景がある。

「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、御霊(みたま)が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」
「使徒行伝」第2章1節~4節

「さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人(びと)ではないか。
それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
わたしたちの中には、パルテヤ人(びと)、メジヤ人(びと)、エラム人(びと)もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
ユダヤ人と改宗者、クレテ人(びと)とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。」
「使徒行伝」第2章5節~12節

ちゃんとした他言語を話していたようである。人格のある神(霊体)が乗り移ったのだろうか。だとしたら、人間にも霊体があるという事である。(神は未来人と考えているから。)

おまけ