参考資料1947 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ヤコブとエサウ その2
「ヤコブがそのことを母親のリベッカに話すと、リベッカも大いに喜んだ。しかし、父親のイサクがこのことを承知するだろうか。リベッカにはそれが心配だった。イサクは長男のエサウをかわいがって、彼に財産のすべてをゆずるつもりでいたのだから。
 リベッカはあれこれ考えて、ずるいことを思いついた。イサクは年老いて、もう目がよく見えなくなっている。そこにつけこんで、夫をだまそうと考えついたのだ。
 その時は、じきにやってきた。もう死ぬ日が近いことを知ったイサクは、ある日、長男のエサウを枕もとによぶと、森へいって鹿をうってきて、焼肉をこしらえてくれ、とたのんだ。イサクは、それを食べたうえでエサウを祝福して、予定どおりに全財産をエサウにゆずろうと考えたのだ。
 エサウはすぐさま弓矢をもって森へでかけていった。
 リベッカはそれを知ると、いそいでヤコブのところへいって言った。
「さあ、いそいで、山羊の子を二ひき殺しておいで。お父さんがいま、鹿をとりにエサウを山へやったけれど、今夜あの子を祝福して、あとつぎにしようというんだよ。なあに、わたしがうまく山羊の肉を焼いてお父さんに食べさせて、おまえをエサウのかわりに祝福させるよ。あの人は目が見えないんだから、おまえをちょっと変装させさえすりゃ、エサウだと信じるにきまっています。」
 こう言われてもヤコブは不安だった。いくら父親が目が見えないからといって、すべすべした肌と、甲高い声をしたじぶんを、ふとい声をした毛ぶかいエサウとまちがえることが、ありうるだろうか。しかしヤコブがそのことをいうと、リベッカは、心配することはない、わたしにまかせておけ、という。そして、ヤコブの殺してきた山羊の肉を、エサウがいつも焼くのとそっくりに焼くと、死んだ山羊の皮をはいでヤコブの手と腕にまきつけた。ついで、エサウの汗のしみこんだ古い上着をとってきてヤコブにきせてから、エサウのまねをしてあらっぽい声を出すようにおしえこんだ。
 そこでヤコブは、父親の枕もとへいって、つくり声をしていった。
「お父さん、さあ、御馳走ができましたよ。おすきなだけあがってください。」
 イサクはうまくだまされてしまった。ききなれたエサウの声をきき、その上着の土くさい匂いをかいだ。さわってみると、たしかに長男の毛ぶかい腕だった。そこでよろこんで肉を食べると、何も気がつかずに、ヤコブをそばに跪かせて祝福し、じぶんの地位と財産のあとつぎにしたのである。こうしてリベッカとヤコブは、やすやすと望みのものを手にいれた。
 ヤコブが父の部屋を出ていくのといれちがいに、エサウが狩りから帰ってきた。エサウはとってきた鹿の肉を焼くと、父のところへ持っていった。
「さあ、お父さん、鹿の肉を持ってきましたよ。これをめしあがって、ぼくを祝福してください。」
「おまえは、だれだ?」イサクはふしぎそうにきいた。
「あなたの長男のエサウじゃありませんか。」
 それをきいて、イサクはわなわなふるえだした。
「それなら、さっき肉を持ってきたのはだれだ。わしは、おまえがくるまえに、祝福をあたえてしまったぞ。」
「お父さん、あなたの祝福はただ一度だけですか。わたしも祝福してください!」
 エサウはそういって声をあげて泣いた。イサクも妻とヤコブにだまされたことを知って、心の中がにえくりかえる思いだったが、ひとたび神にちかってあたえた祝福を、取り消すことはできなかった。」
「聖書物語・旧約物語」山室静著より

感想
>リベッカはあれこれ考えて、ずるいことを思いついた。イサクは年老いて、もう目がよく見えなくなっている。そこにつけこんで、夫をだまそうと考えついたのだ。

「初心忘るべからず」である。因みに、選ばれた時はこんな感じ。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12414095753.html子供が生まれても変わらない「隣人愛」が大事である。

「35.そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、
36.「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
37.イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
38.これがいちばん大切な、第一のいましめである。
39.第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
40.これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。 」
「マタイによる福音書」第22章35節~40節

「25.するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
26.彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
27.彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
28.彼に言われた、「あなたの答えは正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。 」
「ルカによる福音書」第10章25節~28節

関係ないけど、歪んでいるね。http://news.livedoor.com/article/detail/15491742/
念のため、他人が何をしようと干渉するつもりは全くない。夫婦間でいいなら当然OKだろう。ただし、人は年齢などにより考えが変わるものだから、誓わない方がいいとは思うが。それと表沙汰になる理由が分からない。

>イサクはうまくだまされてしまった。ききなれたエサウの声をきき、その上着の土くさい匂いをかいだ。さわってみると、たしかに長男の毛ぶかい腕だった。そこでよろこんで肉を食べると、何も気がつかずに、ヤコブをそばに跪かせて祝福し、じぶんの地位と財産のあとつぎにしたのである。

鹿と山羊の味の違いも分からないのか? 

>「お父さん、あなたの祝福はただ一度だけですか。わたしも祝福してください!」
 エサウはそういって声をあげて泣いた。

財産はいらなくても祝福されたかったのかな。

「エサウは豆シチューが食べたいばっかりに、考えなしにこう答えた。
「じゃあ、ぼくをこの家のあととりにしてくれますね。」
「いいとも。おれはすごく腹がすいているんだ。餓死しちまっちゃ、財産なんてなんの役にもたたんからな。さあ、そんなものはおまえにやるから、そのシチューをよこせ。」
「兄さん、それをたしかにちかいますね。」
「ちかった、ちかった!」」

と述べているからね。

>イサクも妻とヤコブにだまされたことを知って、心の中がにえくりかえる思いだったが、ひとたび神にちかってあたえた祝福を、取り消すことはできなかった。

神に誓うという事はこういう事なんだね。だから、イエスは誓ってはならないと教えたのだろう。

「また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座(みざ)であるから。
また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。
また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。
あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。」
「マタイによる福音書」第5章33節~37節

結婚式で永遠の愛を誓うなんて無駄である。https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10155376305
世の中、男女間に友情は成立しないとか、そんな事を言う奴ばかりだからねぇ。(動物か!)

おまけ