マタイによる福音書 その56
「あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。
すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。
また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。
このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。
というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。
もう一つの譬(たとえ)を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
収穫の季節がきたので、その分け前を受け取ろうとして、僕(しもべ)たちを農夫のところへ送った。
すると、農夫たちは、その僕たちをつかまえて、ひとりを袋だたきにし、ひとりを殺し、もうひとりを石で打ち殺した。
また別に、前よりも多くの僕たちを送ったが、彼らをも同じようにあしらった。
しかし、最後に、わたしの子は敬ってくれるだろうと思って、主人はその子を彼らの所につかわした。
すると農夫たちは、その子を見て互に言った、『あれはあと取りだ。さあ、これを殺して、その財産を手に入れよう』。
そして彼をつかまえて、ぶどう園の外に引き出して殺した。
このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。
彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。
イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
『家造りらの捨てた石が
隅(すみ)のかしら石になった。
これは主がなされたことで、
わたしたちの目には不思議に見える』。
それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国(みくに)にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。
祭司長たちやパリサイ人(びと)たちがこの譬(たとえ)を聞いたとき、自分たちのことをさして言っておられることを悟ったので、
イエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。」
「マタイによる福音書」第21章28節~46節
感想
>あなたがたはどう思うか。ある人にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。
すると彼は『おとうさん、参ります』と答えたが、行かなかった。
また弟のところにきて同じように言った。彼は『いやです』と答えたが、あとから心を変えて、出かけた。
このふたりのうち、どちらが父の望みどおりにしたのか」。彼らは言った、「あとの者です」。
悔い改めれば救われるという話だが、悔い改めなくても嫌なら嫌とはっきり言った方がいい。兄の方は社会人失格である。
>イエスは言われた、「よく聞きなさい。取税人や遊女は、あなたがたより先に神の国にはいる。
というのは、ヨハネがあなたがたのところにきて、義の道を説いたのに、あなたがたは彼を信じなかった。ところが、取税人や遊女は彼を信じた。あなたがたはそれを見たのに、あとになっても、心をいれ変えて彼を信じようとしなかった。
真の「終わりの時」の人々はこんな単純ではない。闇金業者や風俗嬢で置き換えると、そんなもの信じないだろう。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12137282668.html
>このぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」。
彼らはイエスに言った、「悪人どもを、皆殺しにして、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに、そのぶどう園を貸し与えるでしょう」。
普段のイエスの教えは、
「『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬(ほお)を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」
「マタイによる福音書」第5章38節~39節
のはずだが、この比喩は「最後の審判」を述べているのだろう。
>イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、
『家造りらの捨てた石が
隅(すみ)のかしら石になった。
これは主がなされたことで、
わたしたちの目には不思議に見える』。
それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国(みくに)にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
またその石の上に落ちる者は打ち砕かれ、それがだれかの上に落ちかかるなら、その人はこなみじんにされるであろう」。
イエスが再臨して、とんでもない超兵器を使う事は以前に何度か書いたが、
「12 エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。
13 その日には、主は彼らを大いにあわてさせられるので、彼らはおのおのその隣り人を捕え、手をあげてその隣り人を攻める。」
「ゼカリヤ書」第14章12節~13節
異邦人が鍵である。
「イスラームの伝承によれば、イーサーはマフディー(正義の導き)による戦の最中に降臨すると考えられている。マフディーとは、イスラームの終末論ではイスラームの救世主として知られており、反キリスト(al-Masīh ad-Dajjāl。偽メシア)とその支持者に対抗する者である。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/イスラームにおけるイーサー#再臨
マフディーが「契約の使者」(真理の御霊)だが、彼も異邦人だろう。一応、原文を挙げておこう。
「118:17 わたしは死ぬことなく、生きながらえて、主のみわざを物語るであろう。
118:18 主はいたくわたしを懲らされたが、死にはわたされなかった。
118:19 わたしのために義の門を開け、わたしはその内にはいって、主に感謝しよう。
118:20 これは主の門である。正しい者はその内にはいるであろう。
118:21 わたしはあなたに感謝します。あなたがわたしに答えて、わが救となられたことを。
118:22 家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった。
118:23 これは主のなされた事でわれらの目には驚くべき事である。
118:24 これは主が設けられた日であって、われらはこの日に喜び楽しむであろう。」
「詩篇」第118章17節~24節
厳密には、「異邦人」という言葉はない。「家造りの捨てた石」とは、キリスト教徒,イスラム教徒,ユダヤ教徒ではない人々という意味かもしれない。(旧約聖書はこの3つの宗教の聖典だから。)
何にしても、マフディー(契約の使者)は死ぬほどの試練を受けるので、やってられないだろう。イスラム過激派に狙われたりしてね。笑
「自分は翻訳したにすぎず、遠い日本にまで処刑の手は及ばないだろうという気の緩みがあったのかもしれない。一方でそれは長年イスラム文化と親しんできた助教授なりのイスラム教への信頼であったのだと言える。ところがイスラム系の新聞は、五十嵐助教授殺害のニュースをイスラム教徒にとっての朗報と伝えている。また、イランの反体制派組織「ムジャヒディン・ハルク」が犯行声明を発表。イスラムを愛した日本人の死が歓迎されたのである。」
引用元:https://matome.naver.jp/odai/2139451426151585801
おまけ