参考資料1825 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

エデンの園は火星にあった その4
人類は水星から飛来した?4

「オカルト的な説には、科学者がこぞって非難しているが、地球上の生命が絶滅する時期は別として、地球そのものが100億年くらいは、まだもちそうだといっている。将来の人類は、戦争や天災で絶滅に瀕することも少なくないであろうが、それでも生き残った少数とその子孫が、またまた新しい文明を築き上げて行くことであろう。100万年もしたら、突然変異の結果できた新しい人間たちが、放射能で廃墟になって地底に埋まったロンドンの上を踏んで歩きながら、昔、その土地に文明人が生きていたなどとは思いもつかないようなことになるかも知れない。
 彼らがもしも私たちのような先住民族のことを知ったなら、地球の環境を毒した私たちを呪うであろう。彼らの聖書は、「爆弾」なる言葉で始まる創世記をもってつくられるに違いなかろう。そして、長い年月がたつうちには、アダムも大勢出て来るであろうし、たくさんのノアやモーゼも現われるであろう。しかし、宇宙をしろしめす神だけは、唯一の存在で、永久不変のものと目されることであろう。
 聖書の創造の話を貧弱に思わせるのは、もっと壮大な人類創生譚であり、例えばインドの『リグ・ヴェーダ』、スカンジナビアの『ヴォルースパ』、それにマヤの『ポポル・ブー』などで、それぞれの信仰上の象徴表現を別にすれば、驚くほど最近の宇宙論に似ていて、宇宙人らしきもの、すなわち地球外世界の文明の渡来を暗示しているのである。
 モーゼはこうした遠方の伝承を知らなかったであろうが、天分に恵まれた貴公子で、旅行家でもあった彼が、エジプトの宗教や、バビロンの文学や、ギリシアの神話伝説などを、知らなかったはずはない。しかし、神通力を持った魔術師で、「神」や「天使」と話も交わしたモーゼが、創世記などをもっとわかりやすい魅力的なものにしなかったのは、よく考えてみれば、むしろ当然であったともいえるであろう。」
「やはりキリストは宇宙人だった」レイモンド・ドレイク著・北村十四彦訳より

感想
>しかし、神通力を持った魔術師で、「神」や「天使」と話も交わしたモーゼが、

モーゼのは「神の力」で個人的な能力ではないだろう。例えば、

「8 主はモーセとアロンに言われた、
9 「パロがあなたがたに、『不思議をおこなって証拠を示せ』と言う時、あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえを取って、パロの前に投げなさい』と。するとそれはへびになるであろう」。
10 それで、モーセとアロンはパロのところに行き、主の命じられたとおりにおこなった。すなわちアロンはそのつえを、パロとその家来たちの前に投げると、それはへびになった。
11 そこでパロもまた知者と魔法使を召し寄せた。これらのエジプトの魔術師らもまた、その秘術をもって同じように行った。
12 すなわち彼らは、おのおのそのつえを投げたが、それらはへびになった。しかし、アロンのつえは彼らのつえを、のみつくした。」
「出エジプト記」第7章8節~12節

因みに、「パロ」とは「ファラオ」で「王」の事。当然の事だが、「神の力」の方が強いようである。

「1 主はモーセに言われた、「あなたはパロのところに行って言いなさい、『主はこう仰せられます、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。
2 しかし、去らせることを拒むならば、見よ、わたしは、かえるをもって、あなたの領土を、ことごとく撃つであろう。
3 ナイル川にかえるが群がり、のぼって、あなたの家、あなたの寝室にはいり、寝台にのぼり、あなたの家来と民の家にはいり、またあなたのかまどや、こね鉢にはいり、
4 あなたと、あなたの民と、すべての家来のからだに、はい上がるであろう」と』」。
5 主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『つえを持って、手を川の上、流れの上、池の上にさし伸べ、かえるをエジプトの地にのぼらせなさい』と」。
6 アロンが手をエジプトの水の上にさし伸べたので、かえるはのぼってエジプトの地をおおった。
7 魔術師らも秘術をもって同じように行い、かえるをエジプトの地にのぼらせた。
8 パロはモーセとアロンを召して言った、「かえるをわたしと、わたしの民から取り去るように主に願ってください。そのときわたしはこの民を去らせて、主に犠牲をささげさせるでしょう」。
9 モーセはパロに言った、「あなたと、あなたの家来と、あなたの民のために、わたしがいつ願って、このかえるを、あなたとあなたの家から断って、ナイル川だけにとどまらせるべきか、きめてください」。
10 パロは言った、「明日」。モーセは言った、「仰せのとおりになって、わたしたちの神、主に並ぶもののないことを、あなたが知られますように。
11 そして、かえるはあなたと、あなたの家と、あなたの家来と、あなたの民を離れてナイル川にだけとどまるでしょう」。」
「出エジプト記」第8章1節~11節

「死海文書」によると「終わりの時」には二人のメシア、アロンのメシアとイスラエルのメシアが現れるらしいが、イスラエルのメシアはイエス・キリストで、アロンのメシアは「イエスの再臨」の準備をする者と考えているが、こういう意味も含まれているのかもしれない。つまり、自称霊能者と予言対決をするとか。何故なら、

2巻13番の詩
Le corps sans ame plus n'estre en sacrifice,
Jour de la mort mise en nativite:
L'esprit divin fera l'ame felice,
Voyant le verbe en son eternite.
感情のない身体はもはや犠牲とはならない
(キリストの)降誕において置かれる滅亡の日
崇高な精神は心を至福にするだろう
予言者、彼の永遠への言語表現  
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12381194524.html

などから、予言者の可能性が高いからである。念のため、個人的な能力ではないだろう。

「およそ、律法の会議から離れて、心かたくななまでに歩んではならない
そのときは、共同体の人々が、初めに教えられたおきてによって裁かれる
ひとりの予言者と、アロンおよびイスラエルのメシアの現れるまで」
死海写本『会衆要覧』

ひとりの予言者とアロンのメシアは同一人物と考えている。

ところで、「やはりキリストは宇宙人だった」レイモンド・ドレイク著・北村十四彦訳も半分ぐらい終わったが、面白くないので本を変えようかと思っている。たまたま、縁があったこちらのサイトhttp://www.asyura2.com/10/bd58/msg/208.htmlの「ヤハウエの巨大潮流預言」紫藤甲子男氏著は以前からうちにあるのは知っていたが、読んでいなかったからである。来週から乗り換えよう。

おまけ