宇宙人に選ばれたイスラエルの民 その17
古代の神々が映す宇宙人の影9
「古代における宇宙人の記録はひどく混乱している。現在、宇宙人の出現を認めない歴史家たちは、もちろん過去における宇宙人を認めようとはしない。ここでひとつ、現代の知識を踏み台にしながら、古い昔にあちこちで足跡を残し、イスラエルに対する「神」と同じような行動をしたものについての、かなり信憑性のある古記録だけを表示してみよう。
<紀元前>
・2400年 中国で苗民が飛翔力を失い、天地間の脈絡が切れることになった。
・2346年 中国の帝堯の時代に、10個の太陽が現われた。
・2300年 朝鮮で白檀の木の下に聖人が現われ、1000年の齢を保った。
・2000年 日本の国王が九州で七個の太陽円盤を迎えた。
・2000年(?) クレタ島のミノスが、イダ山でゼウスから法典を受けた。
・1950年 アブラハムが「神」および「天使」と言葉を交わした。
・1950年 「天使たち」が、ソドムとゴモラを壊滅した。
・1800年(?) インドで、ラーマがラーヴァナと空中戦を演じた。
・1780年 バビロンのハンムラビがシャーマシュ神から法典を受けた。
・1400年(?) インドでアールジュナが天界からの車輪と爆弾に似たものと戦ったことが、マハーバーラタにある。
・1400年 クノッソスの不思議な崩壊。
・1375年 エジプトでイクナトンが宇宙人らしきものから霊感を得ている。
・1287年 レバノンのカデシュで、ラメセス二世が「神」によって助けられた。
・1280年(?) エジプトを出たモーゼを初めとするイスラエル人たちが、昼間は雲により、夜間は火の柱によって導かれた。
・1275年(?) シナイ山で、モーゼが「神」から十戒を受けた。
・1200年 トロイの攻略に神々が参加。
・950年 ソロモンがケルビム(宇宙人であろう)の助力を得て神殿を建立した。
・880年 バビロンのシャルマネセル二世が「有翼神」の援助を得た。
・860年 バビロンのアシュールジルパル三世が、「有翼神」の援助を得た。
・850年 エリヤが「神」と話を交わし、旋風によって天界に連れられた。
・800年 バビロンのセミラミス女王、宇宙人か?
・716年 ロムルスが雲にまかれて天界に上昇した。
・670年 「神」の遣わした「天使」により、センナケリブの軍隊が全滅した。
・660年 日本で、エミンと戦うジンム帝に「天の神々」が助力した。
・640年 トゥルーズ・ホスティリウスが天火によって殺された。
・630年 サバラン山でゾロアスターが、アフラ・マズダ神から法典を受けた。
・593年 バビロン近くでエゼキエルが空飛ぶ車輪の幻覚を持った。
・538年 バビロン近くでダニエルが「天使」をみた。
・508年 電光によってボルツァノが破滅した。
・498年 レギルス湖で、カストルとポルクスがローマ軍を救った。
・490年 マラトンの合戦で、「神々」がアテナイ人を助けた。
・480年 サラミスの海戦で、「神々」がギリシア人を援護した。
このような”事件”については、各種の説明づけが行なわれ、権威ある学者たちも、あるいは肯定し、あるいは否定してきた。いまのUFOについての知識からいえば、地球外人類の干渉があったものと考えざるをえない。この種の宇宙人がイスラエルにも出没すれば、それが「神」となり「天使」と呼ばれることになったであろうことは、きわめて自然ななりゆきである。」
「やはりキリストは宇宙人だった」レイモンド・ドレイク著・北村十四彦訳より
感想
>・1780年 バビロンのハンムラビがシャーマシュ神から法典を受けた。
有名なハンムラビ法典か、と思って調べてみた。
「Ḫammu-rabi と読んで「(父方の)おじさん(と呼ばれる神)は偉大である」と解釈する
Ḫammu-rāpi と読んで「(父方の)おじさん(と呼ばれる神)は治療者である」と解釈する
2説が代表的なものとなっている。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンムラビ
「モーセの律法書のもとになったとみなす学者もいるが、内容的に大きく異なる。 ハンムラビ法典の「目には目」と旧約聖書出エジプト記21章、レビ記24章、申命記19章における「目には目」の律法が似ているため、その関係がよく取り上げられるが、その詳細は異なる。ハンムラビ法典は上述のように、身分の違いによってその刑罰が異なるのに対し、聖書律法は身分の違いによる刑罰の軽重はない。また、聖書の律法は、神と家族間に対する罪など、倫理的な罪はそれと比べて重い処罰が課せられ、物品等の損害など商業的罪に関してはそれと比べ軽い罪が課せられている(en:Gordon Wenham) 。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/ハンムラビ法典#ハンムラビ法典と聖書
旧約聖書の律法の方が進歩的なようだが、未来においてはそうとも限らない。
「大本神諭」の続編と言われている「日月神示」から、
「世界中まるめて一つの王で治めるのぞ。それが神のやり方ぞ。百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度は永遠に定まるのぞ。身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ」
とあり、身分の違いをはっきりさせる事が真の精神的自由につながるのかもしれない。因みに、江戸時代は身分の違いはあったが和算などの共通の趣味によって交流があったようである。
「江戸時代中期、18世紀半ばに有馬頼徸という殿様がいた。久留米藩の藩主だった人物だ。無類の算術好きとして知られ、一説によると藩政よりも数学に熱中していたという。(中略)さらには遊歴算家という、諸国を教え歩く和算家もいた。山口和はその一人である。山口は旅日記を残しており、教え歩いた人たちの職業を綴っている。その仕事は実にバラエティーに富んでいる。上は名主、医者といったその地の名士から、百姓などの庶民まで。また、指物師、具足師、表具師などの職人、酒屋、薬屋、荒物屋、魚屋といった商売人。幅広い身分、職業の人たちが、山口の教えを乞うたことになる。
江戸時代は身分制社会であったが、同時に上下を超えた交流があったことを窺わせる。筆者はここに、江戸期ならではの自由な精神の在り方をみたいと思う。算術の前では、殿様も農民も、老練な大算術家も幼子も変わりはない。そうした精神が息づいていたように思うのである。
庶民から大名まで、誰からも強制されることなく上下等しく、数学に親しんでいたのが江戸時代だったのである。」
「算法勝負!「江戸の数学」に挑戦」山根誠司著より
>・630年 サバラン山でゾロアスターが、アフラ・マズダ神から法典を受けた。
ゾロアスター教といえば麻原彰晃が詳しかったな。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11771186999.html
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11774913105.html
>ところで、『彼以外にはだれも知らない』彼の名とは、いったい何であろう?私はそれが「マイトレーヤ」であるという気がしてならない。
「マトレーヤ」なんて誰でも知っているんだから、「真理の御霊」だろう。これは2000年間「自分の中にあるキリスト(聖霊)」なんて解釈をされてきたのだから。
「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
それは真理の御霊(みたま)である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」
「ヨハネによる福音書」第14章16節~17節
因みに、麻原彰晃は自分を「真理の御魂」と称していた。その点、クリスチャンよりは正しい解釈をしていたと考えて良いだろう。また、サイババも自分の事と考えていたようである。
「一方、サイババ自身は、キリストのこの言葉を知っていたのだろうか、それに対して次のように答えている。「イエスの言ったことは、単純である。「わたしをあなた方に遣わされた方が、今度はお出でになる」と彼は言った。「(わたしを遣わされた方、降臨される方は)その名を真理という」サティアとは、真理を意味する。「彼は赤いローブを、血のように赤いローブをまとうだろう。彼は背が低く、王冠(のような髪)をしている」イエスは、彼自身が再び来るとは言わなかった。彼は、「私を遣わした方が来られる」と言った。それが、わたしのことである。このババ、このサイ、背が低く、縮れた髪の王冠をし、赤いローブをまとったババが来たのだ。わたしは単にこの形をしたものではなく、あなた方一人ひとりの中にいる。あなた方のハートを占める、あなたがたのハートに脈打つ血の色をしたローブをまとって、あなた方のハートに、私は住んでいるのだ」」
「真実のサイババ」青山圭秀著より
念のため、サイババの名前はサティア・サイババ。因みに、再臨する救世主は「黄色いローブ」をまとうらしい。
「イーサーは、ダマスカスの白い拱廊に、黄色いローブをまとい頭に油を塗って降臨し、マフディーに加わって偽メシアと戦う。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/イスラームにおけるイーサー#再臨
どいつもこいつもインチキ野郎ばかりだね。念のため、イーサーとはイスラム教でのイエスの名前。
おまけ