参考資料1674 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

キリストの奇跡と宇宙人 その35
コンドン委員会とピラト5
「物質科学の進歩に動じないイエスに不快を感じた科学者たちは、科学の発達によって人類はすでに月に着陸し、次は火星だとイエスに語る。銀河系に属する1000億ほどの恒星は、やがて人類の征服するところとなり、あとは10億ばかりの遠方星雲を克服するだけで、宇宙は完全に人類のものになるであろう。まずこんなようなことを揚言した科学者に対してイエスは、人間が神に近づくことのできるのは、自分自身を克服したときだけである、と答えるであろう。
 アダムスキーの友人という金星人オーソンに会ったほうが、まだ話が通じただろう、とぼやく委員も出てくるかも知れない。とにかく、委員たちからみると、イエスはあまりにも理解し難い存在で、銀河系外の星雲のどこかから来たのではないか、と言いたくなるほどなのだ。
 言うまでもないことながら、コンドン博士は委員会の仕事をイエスの審問と比較することに、もってのほかと腹を立てるであろう。しかし、宇宙人なるものがキリスト教界に何らかの影響を与え得るとすれば、イエスの審問との類似性には、誰しも思い当たることではなかろうか。
 UFOの存在を否定する科学者は、イエスの来歴にも疑問を抱かざるを得ないであろう。福音書の記述は、信者としての目から離れてみれば、どうみても事実とは考えられない点ばかりである。
 最初にできたマタイ伝にしても、事件後、約50年を過ぎてから書かれたものだ。裁判記録は残っていないし、死海写本にも、似たようなことは何も書いていない。特にドイツでは、イエスなる人物はそもそも存在しなかったのではないかと考える神学者が多い。学説的にその主な支えとなっているのは、マンチェスター大学で新旧両約聖書研究講師をしている、セム系言語学の大家、ジョン・M・アレグロ博士である。
 博士一流の美文によって説くところでは、キリスト教というものは、民間に神聖視された紅頂キノコの一種、学名アマニタ・ムスカリアなる、テングタケに属する特殊な植物に由来を持つ、きわめて古い単純な伝承をその起源としている。「キリスト」、つまり、「聖別された者」という語は、本来の意味からすれば、「精液に濡れたもの」ということである。福音書は、薬屋たちが、お互いの秘密を守るためにでっち上げたものにすぎないのだそうだ。」
「やはりキリストは宇宙人だった」レイモンド・ドレイク著・北村十四彦訳より

感想
>イエスは、人間が神に近づくことのできるのは、自分自身を克服したときだけである、と答えるであろう。

イエスはそんな事は言わないだろう。

「28.ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。
29.イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
30.心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
31.第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない」。
32.そこで、この律法学者はイエスに言った、「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。
33.また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭(はんさい)や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。
34.イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、「あなたは神の国から遠くない」。それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。」
「マルコによる福音書」第12章28節~34節

>とにかく、委員たちからみると、イエスはあまりにも理解し難い存在で、銀河系外の星雲のどこかから来たのではないか、と言いたくなるほどなのだ。

確かに、イエスは聖書を読むと変な事ばかり述べているが、全て理解可能である。例えば、

「7.広場であいさつされることや、人々から先生と呼ばれることを好んでいる。
8.しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は、ただひとりであって、あなたがたはみな兄弟なのだから。
9.また、地上のだれをも、父と呼んではならない。あなたがたの父はただひとり、すなわち、天にいます父である。
10.また、あなたがたは教師と呼ばれてはならない。あなたがたの教師はただひとり、すなわち、キリストである。」
「マタイによる福音書」第23章7節~10節

真の共産主義とか千年王国を考えれば、意味は分かるだろう。ただし、現時点では誰もイエスには着いて行けないという事だろう。

「34.地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
35.わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
36.そして家の者が、その人の敵となるであろう。
37.わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
38.また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
39.自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。」
「マタイによる福音書」第10章34節~39節

二極分化させてハルマゲドンを迎えるためには避けては通れない道である。

補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11350930987.html

>特にドイツでは、イエスなる人物はそもそも存在しなかったのではないかと考える神学者が多い。

これについては以前にも考察したね。

「この他、ユダヤ人のラビ(教師)の教えを記録した『タルムード』には、「彼の名前はナザレとのヨシュア(注、イエスはヘブライ語でヨシュアだそうです)で、魔術を行い、イスラエルを惑わし、知者たちを愚弄し、ファリサイは人と同じ仕方で律法を解釈し、5人の弟子を持ち、自分は律法の一点一画も変えるために来たのではないと言い、過越祭りの前日に異端者、扇動者として十字架刑に処せられ、彼の弟子たちは彼の名前で病人を治した」とあります。『タルムード』は当然イエスがメシアであったというキリスト教の主張を否定しようとしますが、さすがにその実在までは否定しませんでした。」
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12340320007.html

タルムード」にはイエスの悪口のような事が記載されているらしいので、実在したと考えるのが自然だろう。

>博士一流の美文によって説くところでは、キリスト教というものは、民間に神聖視された紅頂キノコの一種、学名アマニタ・ムスカリアなる、テングタケに属する特殊な植物に由来を持つ、きわめて古い単純な伝承をその起源としている。

ベニテングタケだね。
補足:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11227947769.html

>「キリスト」、つまり、「聖別された者」という語は、本来の意味からすれば、「精液に濡れたもの」ということである。

普通は、「油を注がれた者」である。実に怪しい話である。だからオカルト好きは嫌なんだよね。
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-anointed.html

おまけ