参考資料1675 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

キリストの奇跡と宇宙人 その36
コンドン委員会とピラト6
「イエスの存在そのものを疑うとなれば、彼の刑死後300年そこそこの時代に生きたユリアヌス皇帝に注意をはらわざるを得ないであろう。
 パレスティナ史上で誰も知らぬもののいないユリアヌスは、キリスト教の奇跡説話を笑いとばし、否定し去ったのである。イエスによるものとされている奇跡の多くが、テュアナのアポロニオスのでっち上げたものであろう、と言えば言えるのだ。
 1世紀ごろの大賢人とされたアポロニオスは、小アジアからエジプトやインドにまで放浪の旅を続け、民衆にその博識を教えたり、病人を治療したり、ときには死者を蘇らせたりもしたという。諸皇帝は彼を神のごとくうやまった。古典旅行記のうちで、最も興味あるものの一つとして、フラヴィウス・フィロストラトスの著わしたアポロニオス伝記がある。それには、各国の政情や宗教や風俗についての詳細が述べてあるが、キリストおよびキリスト教に関しては、あたかもそんなものは存在していなかったかのごとく、一言も触れていないのである。
 コンドン委員会にしてみれば、イエスにしても宇宙人にしても、どちらもその存在を容認する科学的根拠はないというのが、最も合理的な結論の出しかたであるには違いない。
 そうとすれば、数知れぬ殉教者は、ただの神話のたぐいのもののために犬死したというわけであろうか。確かに言えることは、キリスト教の調査などは、科学の手におえるものではない、ということになろう。キリスト教の調査には、科学を離れた、もっと微妙な神経や心理についての理解が必要である。UFOの調査にも、やはりそのような精神面での研究が必要なのであろうか。
 現在、私たちは、どうにもわからない問題に直面しているのである。最近の学界では、イエスの実在性をも否定しようとしている。科学者たちは宇宙人の飛来を否定している。だいたい、イエスが十字架にかけられた10年後には、イエスを信奉する者はごくわずかしかいなかったのだ。それが、アダムスキーが死んで10年後に、地球外人類が地球を訪れていると信ずる人は、なんと、世界の全域にわたって数千人もいるのである。ピラトと同じく、私たちも問いたい。真実は何んなのか、と。」
「やはりキリストは宇宙人だった」レイモンド・ドレイク著・北村十四彦訳より

感想
>彼の刑死後300年そこそこの時代に生きたユリアヌス皇帝に注意をはらわざるを得ないであろう。

ちょっと調べてみた。

宗教面の改革
「宗教面では、キリスト教への優遇政策を廃止している。ユリアヌスは「異端」とされた者たちに恩赦を与え、キリスト教内部の対立を喚起した。彼は弾圧などの暴力的手段に訴えることなく、巧妙に宗教界の抗争を誘導した。異教祭儀の整備を進めたのも、ユダヤ教のエルサレム神殿の再建許可を出したのもそのためであった。これらの行動により、永くキリスト教徒からは「背教者 (Apostata)」の蔑称で呼ばれることになる。
 その意図は教育行政に対してもよく現われている。362年6月に布告した勅令で、教師が自らの信じていないものを教えることを禁じた。これはキリスト教徒が教師となること自体は禁じていなかったが、実質的にキリスト教徒は異教のものである古典文学を教授することができなくなった。こうしてユリアヌスは、ギリシアの伝統ある文化・文明の「異教徒」による独占状態を作り出した。次世代の知識人層を「異教徒」で埋め尽くし、そこからのキリスト教徒の排除を図ったのである。ユリアヌスは表面的には宗教的な差別は行わなかったが、その内心では明らかにキリスト教勢力を打倒しようとしていた。
 一説によれば、彼が復興を目指した「異教」は新プラトン主義の影響を受けたものであり、帝政以前からの伝統であるローマの国家宗教ではなかったという。論者が言うには、ユリアヌスの考えるギリシア的宗教とは、ギリシア神話やローマ神話に代表されるような伝統的多神教ではなく、太陽神とその下降形態である神々からなる単一神教 (henotheism) であった。いずれにせよ、ユリアヌスはギリシアやオリエントの伝統的な宗教に対しても寛容であった。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9#宗教面の改革

キリスト教徒にとっては迷惑な話かもしれないが、一般的な目で見れば結構な話だろう。

>1世紀ごろの大賢人とされたアポロニオスは、小アジアからエジプトやインドにまで放浪の旅を続け、民衆にその博識を教えたり、病人を治療したり、ときには死者を蘇らせたりもしたという。

独断と偏見で述べるが、「死者の復活」はガセネタだろう。そんな事が出来るのは未来の科学の力だけだろう。

>キリストおよびキリスト教に関しては、あたかもそんなものは存在していなかったかのごとく、一言も触れていないのである。

イエスの存在については昨日も述べたね。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12345942904.html

>そうとすれば、数知れぬ殉教者は、ただの神話のたぐいのもののために犬死したというわけであろうか。確かに言えることは、キリスト教の調査などは、科学の手におえるものではない、ということになろう。キリスト教の調査には、科学を離れた、もっと微妙な神経や心理についての理解が必要である。

本当にイエスが存在したのかどうか、本当に死者の復活なんか起きていたのかどうか、などは確かめようがないが、本当にイエスが再臨するのかどうかを推理する方法はある。それは、「ヨハネによる福音書」第14章~第16章に出て来る「もう一人の助け主」(真理の御霊)が現われるかどうかで判断する事である。または、「契約の使者」。

「3:1見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。 3:2その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。」
「マラキ書」第3章1節~2節

「16.わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
17.それは真理の御霊(みたま)である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。」
「ヨハネによる福音書」第14章16節~17節

>それが、アダムスキーが死んで10年後に、地球外人類が地球を訪れていると信ずる人は、なんと、世界の全域にわたって数千人もいるのである。

数千万人の誤植かな。でも、たったの数千万人だよね。もっとも、この本が書かれたのは1974年(原本)だけど。

おまけ