参考資料949 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

聖櫃がもたらす数々の恐ろしい災厄とは
「聖櫃が驚異のパワーを見せつけたのは、ヨルダン河渡河の時だけではない。河を渡ったのち、イスラエル人は、やがて堅固な城壁で囲まれたエリコの町にたどりついた。町は、城門を固く閉ざし、彼らの入城を拒否した。すると、主がヨシュアの前に現れて言った。

「見よ、私はエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。
あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。
町を一周し、それを六日間続けなさい。
七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。
七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。
彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、の声をあげなさい。
町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい」(「ヨシュア記」第6章2~5節)

 ヨシュアはすぐさま祭司と民を集め、

「(祭司たちよ、)契約の箱を担げ。
七人は、各自雄羊の角笛を携えて王の箱を先導せよ。(中略)
(民たちよ、)進め、町の周りを回れ。
武装兵は主の箱の前に行け」(「ヨシュア記」第6章6~7節)

と命じた。そして七日目、彼らが町を七度回って民が鬨の声をあげると、エリコの城壁が一気に崩れ落ちた。こうして、

「民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した」(「ヨシュア記」第6章20節)

 こうなると、聖櫃は、まさにスーパー・ウェポンである。これを押し立て、ヨシュアに率いられたイスラエル人たちは、アイの町の占領、ギブオン人の征服、そして五人の王(エルサレム、へブロン、ヤルムト、ラキシュ、エグロン)たちを次々に屈服させていく。その進撃のさまは、まさに、

「神は立ち上がり、敵を散らされる。
神を憎む者は御前から逃げ去る」(『旧約聖書』「詩篇」第68章2節)

という状態であった。これだけのスーパー・ウェポンである。その取り扱いには細心の注意が必要であった。怠った者がどうなるかは、ペリシテ人を襲った災厄を見ればわかる。
 ペリシテ人、そう、あのイスラエル人にとって最強のライバルと言われた部族である。
 彼らは紀元前1050年、この時イスラエルの中央聖所が置かれていたシロの町に侵入し、町を徹底的に破壊し尽くした。そして、聖櫃を奪い去ったのである。
 ペリシテ人は、聖櫃を七か月の間、自領の町から町に移しながらとどめおいたが、どの町でも災厄が起きた。
 最初に聖櫃が運び込まれた町アシュドドのダゴン神殿では、次のような災厄が起きた。

「ペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運び入れ、ダゴンのそばに置いた。
翌朝、アシュドドの人々が早く起きてみると、主の箱の前の地面にダゴンがうつ伏せに倒れていた。
人々はダゴンを持ち上げ、元の場所に据えた。
その翌朝、早く起きてみると、ダゴンはまたも主の箱の前の地面にうつ伏せに倒れていた。
しかもダゴンの頭と両手は切り取られて敷居のところにあり、胴体だけが残されていた」(「サムエル記上」第5章2~4節)

 そして、決定的なことが起きた。

「主はアシュドドとその周辺の人々を打って(=殺すこと)、腫れ物を生じさせられた」(「サムエル記上」第5章6節)

 驚いたペリシテ人は、あわてて聖櫃をガトの町に移した。すると、この町でも小さい者から大きな者までが主の御手で打たれ、腫れ物がほかの者に生じた。ペリシテ人は聖櫃をエクロンの町に送った。するとエクロンの住民は大声で叫んだ。

「イスラエルの神の箱をここに移して、私の民を殺すつもりか」(「サムエル記上」第5章10節)

 ついにペリシテ人たちは、聖櫃をイスラエル人に返することにした。聖櫃と賠償の品、五つの金の腫れ物と五つの金のねずみを積んで牛車に載せて送り届けることにした。
 その道中、またもやベト・シェメシュの人々に災厄がふりかかった。

「主はベト・シェメシュの人々を打たれた。
主の箱の中をのぞいたからである。
主は五万のうち七十人の民を打たれた」(「サムエル記上」第6章19節)

 聖櫃の恐るべきパワーは、異民族のみに災厄をもたらすのではない。取り扱いを誤ったイスラエル人にさえ、恐ろしい結果をもたらすのだ。
 ダビデでさえ聖櫃の災厄を受けている。イスラエルにもどった聖櫃は、その後ダビデの手でエルサレムの天幕(神殿)に移された。が、この時、担いで運ばなければならないのに、ダビデは牛に引かせて運んでしまった。すると、

「一行がキドンの麦打ち場にさしかかった時、牛がよろめいたので、ウザは手を伸ばして箱を押さえようとした。
ウザが箱に手を伸ばしたので、ウザに対し主は怒りを発し、彼を打たれた。
彼はその場で、神の御前で死んだ」(『旧約聖書』「歴代誌上」第13章9~10節)

 聖櫃があるべき場所に納められたのは、ダビデの跡を継いだソロモン王によってである。聖櫃は、ついに豪奢なソロモン神殿(第一神殿)の奥の院・至聖所に納められることになった。モーセが聖櫃を造ってから約四百年後のことである。聖櫃納めの荘厳を儀式が執り行われた。至聖所は光に満たされ、神の栄光がいかなるものであるかをイスラエルの人々に示してみせた。
 そのさまは、『旧約聖書』の「列王記上」に以下のようにつづられている。

「祭司たちが聖所から出ると、雲が主の神殿に満ちた。
その雲のために祭司たちは奉仕を続けることができなかった。
主の栄光が主の神殿に満ちたからである」(第8章10~11節)」
「封印された【黒聖書】の真実」並木伸一郎著より

感想
どう考えて聖櫃自体の力ではなく背後にいる神(私は未来人と思っている)の力だろう。

>「主はアシュドドとその周辺の人々を打って(=殺すこと)、腫れ物を生じさせられた」(「サムエル記上」第5章6節)

「ゼカリヤ書」第14章12節を連想した。

「エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。」
(口語訳)

「諸国の民がエルサレムに兵を進めてくれば/疫病で主はそのすべての者を撃たれる。肉は足で立っているうちに腐り/目は眼窩の中で腐り、舌も口の中で腐る。」
(新共同訳)

これは「終わりの時」に再臨する主が使う兵器らしいが、「もろもろの聖者と共に」来る割には「核兵器」のようなもので瞬殺しないで苦しめるようである。後悔させるためなのかな。
これについては最近、イスラム教で面白い文章を見つけた。

「イスラームの文章もまた、ヤージュージー( Ya'juj )とマージュージー( Ma'juj )、つまり地上に破壊を引き起こし拡散させる古代巨人のゴグマゴグの様子に触れている。 神はイーサーの祈りに応じ、彼らの首に虫の一種を送り込んで殺す。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#.E5.86.8D.E8.87.A8

寄生虫ではないだろうか。ただし、立ったままという事は一瞬なので従来の寄生虫とは次元が違うのかもしれない。
参考までに。http://matome.naver.jp/odai/2139684916832450501
寄生虫とは関係ないが奇病。https://www.jstage.jst.go.jp/article/kobunshi1952/14/3/14_3_205/_pdf
他にも奇病は沢山あるが兵器として考えると、脳の未知の部分に一瞬にして作用するのだろうか。(興味がある人は「奇病」で検索してみて下さい。ただし、閲覧注意かもしれません。)

おまけ