“イスラエルの家”の罰が終わる時代
「これで、イギリス国民と、彼らが世界の主導権を握るようになった歴史が、予言者の語った予言どおりだったことがおわかりだろう。
ここで、“イスラエルの家”にはエフライムとマナセの二組の民がいたことを、あらためて思い出してほしい。父祖イスラエルが“祝福”を与え、ひとりは“ひとつの国と多くの国々の群れ”、もうひとりは“偉大なる民”になると語ったくだりを覚えているだろう。イスラエルはまた、兄が弟に仕えるとも予言した。
イギリスという国家がふたつの大きい国―――イギリス連邦とアメリカ合衆国―――に分かれたことは、この予言によく当てはまるとはいえないだろうか?
先にわたしが、“ユダの家”(ユダヤ人)と“イスラエルの家”(エフライムとマナセ)にはひとつの共通点がある、と述べたことを記憶しておられると思う。どちらにも例の“七倍罰”の期間があることだ。
ユダの罰は、バビロンの捕囚となり、第一の“獣”ネブカドネザルが紀元前603年にバビロンの王の地位を得たときにはじまって、その“七倍罰”の期間つまり二千五百二十年後にあたる1917年、エルサレムがユダヤ人の祖国として解放されたときまでつづけたことは、すでに見たとおりである。
しかし、マナセの罰の期間はそれより早く、紀元前734―732年に、ガドの支族、ルベンの支族、そしてマナセの支族の一部が、アッシリアの捕囚となった時―――2520年の期間がはじまった。
したがってマナセの罰の期間は、やはり二千五百二十年後の1787―1789年に終わったことになる。その1787年に、アメリカ合衆国初の憲法が起草されたのは、まったくの偶然だろうか?この憲法の草案は各州で可決され、1789年、ジョージ・ワシントンを大統領とする合衆国政府が設立されたのだ。
エフライムの罰はマナセより遅く、紀元前723―721年に始まった。アッシリアの王シャルマネセルがサマリアを包囲して、エフライムの支族がその捕囚となったときである。
簡単な算術で、その罰の期間は二千五百二十年後の西暦1798―1800年に終わったはずとわかる。
現代ではほとんどの人が、イギリス連合王国アメリカ合衆国より先に成立したと信じていることだろう。だが、事実は逆で、アメリカのほうが先だったのだ―――兄が弟に仕えると予言者が語ったとおりになったのである!
18世紀の終わりにかけて、アイルランドのカトリック教徒がプロテスタントの統治に対して反乱を起こし、フランスに援助を求めた。ここで年代に注目して、神の見えざる手が動いたかどうかを見きわめてほしい。1798年、イギリスとアイルランドの合併が決定され、1800年には正式に連合王国となった。まさに予言されたその年にドンピシャリ、イギリス連合王国が成立し、あのユニオン・ジャックが国旗に定められたのだ。
1700年が明けたころ、小さな島々に住むイギリス国民は、五百万人をわずかに超える程度で、争い合ってばらばらになっていた。この事実を、イギリス連邦に属する非英国国民をべつにして、今日の世界のイギリス国民の数と比べ、国家が“再興”されたかどうかを判断してほしい。
イギリスとアメリカは、予言者が《イスラエルの家の十支族は、罰の期間が満ちると“ひとつの国と多くの国々の群れ”になり、“偉大なる民”になる》と予言したとおりの正確な時期に勃興し、繁栄するようになったのだ。
これこれの時期にふたつの国家が現れて偉大になる、と予言されたとおりの出来事が実現している―――これは偶然だろうか、それとも“神”の摂理なのか?」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より
感想
>これこれの時期にふたつの国家が現れて偉大になる、と予言されたとおりの出来事が実現している―――これは偶然だろうか、それとも“神”の摂理なのか?
七倍罰の期間というのが、そもそも旧暦の1年が360日で7倍して2520日で「聖書の一日は一年」と読める箇所が聖書にはあり、それで2520年なので私はシンクロニシティー程度にしか考えていなかったが、「イスラエルの家」がイギリスとアメリカと断定されるのなら否定しよう。聖書がそんな暗号で書かれている訳がない。暗号だったら「666」の所のように知恵のあるものは解くが良いとか書いておくだろう。(「ヨハネの黙示録」第13章18節)
しかし、イギリスとアメリカが特別な国である事も事実だろう。(これだけシンクロニシティーが起こる所を見ると。)
「彼らは未来の奥義からその魂を救い出すことはできない
これは、あなた方のためのしるしである
義が世界の基準として、太陽とともに現れるだろう
驚くべき奥義をとどめておくすべてのものは存在しない
知識は世界に満ちて、おろかさは永遠に存在しない
この断片は逆説に富んでいる。神の計画を記した『死海写本』は、未来においてもはやユダヤの民の救いにならない、いや意味さえなさなくなるというのである。
太陽とともに新しい価値観=主義が登場し、奥義は存在価値をなくすという。この新しい価値をもたらす太陽とは何を象徴しているのだろうか。やはり、イスラエルの滅びた後のユダヤの、いや世界の盟主として台頭する日本を指しているのではないだろうか。
だが、それにしても奥義が、つまり神の計画そのものが意味をなくすとはいったいどうしたことだろう。いや、この断片では、奥義そのものを「おろかさ」とまで表現しているのだ。
この神の豹変ぶりはどうしたことだろう。これまで、ユダヤ人を導いてきた神が、自らを否定しているのだ。そして、神の奥義を守ってきたユダヤ人たちをもである。日本から現れるものは、神の奥義さえも超越する素晴らしいものなのだろうか。そもそも、神の計画とは何だったのか・・・・。」
「死海写本が告げる人類最後の戦い」上坂晨著より
およそ、律法の会議から離れて、心かたくななまでに歩んではならない
そのときは、共同体の人々が、初めに教えられたおきてによって裁かれる
ひとりの予言者と、アロンおよびイスラエルのメシアの現れるまで
死海写本『会衆要覧』
おまけ