ムッソリーニと悪魔主義
「ムッソリーニが道化であり、きわめて悪らつな独裁者だったことに、意義を唱える人はいないだろう。しかし、彼に極端な憎しみを抱く人はいない。先の大戦で従軍した連中でも、ヒトラーは憎みこそすれ、ムッソリーニに対してはそうでもない。ところが、その生き方が示すように、ムッソリーニもまた悪魔主義者であり、“竜”の息のかかった“終わりの時”の指導者だったのである。
彼が神への礼拝に我慢ならなかったという事実が、悪魔主義者のしるしだったことは言うまでもない。ムッソリーニが悪魔主義者だった可能性をしめす最初の徴候は、前出の『ムッソリーニ』という本の冒頭部分からもうかがえる。ムッソリーニの幼年時代について、ヒッバートは言う。
《彼は教会に長時間いたためしがない。香の匂いで胸が悪くなるというのが、その言いぐさである。それに法衣の色や、蠟燭の明かり、声楽とオルガンの音が、彼をひどく苛立たせたのだった》
ムッソリーニは教会を完全に不必要な組織とみなし、当時の法王とたえず争い、神を“亡霊”呼ばわりして、“意地の悪い残酷な暴君”と称した。また時には、“神は存在しない”と主張したりもした。「キリストとは、何者だ」というのが、ムッソリーニの口癖だった。「二年間に二、三の村を改宗させた貧しい小男にすぎないではないか。しかも、その弟子どもときたら、パレスチナの最下層の人間、十二人の無知な浮浪者ばかりだ」
ムッソリーニの生き方は、まぎれもなく、彼が悪魔じみた人間だった証拠となるだろう。若いころ梅毒に感染した彼は、常習的強姦犯を自称した。ありていに言えば、この男は友人であるゴロツキ同然のマルクス主義革命家たちのひそみにならったわけである。ムッソリーニは、機会さえあればためらうことなく、“ものにした”女たちに獣欲を剥き出しにした。女たちが、相手の行き過ぎた行為を拒もうものなら、彼がいつも持ち歩いているナイフの餌食にされた。仲間の社会主義者によれば、連中の目から見ても、この男は手に負えないばちあたりだったという。
この人物の個人的倫理感について書かれた事実を集めれば、それだけで一冊の本になってしまう。したがって、ここでは『ムッソリーニ』の引用だけにとどめよう。
《なおも性欲にかられて、彼は自分の泊まるホテルの部屋を訪れたさまざまな女たちに襲いかかった・・・・征服軍の指揮官が捕らえた奴隷をなぶるようにして、彼は女たちを陵辱した。相手がだれであろうと、その過程を楽しんでいるようだった。そして抑制心をかなぐり棄てて、まったく利己的にふるまい、情人の苦痛や快楽にはいっさい頓着しなかった。ベッドよりは床を好み、ズボンや靴を脱ぐこともしないありさまだった。この放埓な行為のすべては、ふつう一、二分で終わった》」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より
感想
ムッソリーニが悪魔主義者なんて聞いた事がないので、ちょっと調べてみた。
「当時のジャーナリストは「女学生たちは、映画スターのように彼にあこがれてしまい、彼の言葉はすべての人が読めるように、村の壁に大きく書かれた。・・・1932年、軍事演習のとき、とおくの緑の丘や、樹木や、教会の尖塔などに取り囲まれた、黄色い株のある広い田野を彼は歩いていた。農夫たちは、上気し、息せき切って四方から集まってきた。ムソリーニを見、彼の身体に触り、声をかけるためにである。・・・彼の秘書の一人が革の財布をもって後ろに従っていた。カードを配る賭博師のような手つきで札束を配っていた。見る見るうちに彼の後ろには、狂喜した数千人の人たちの行列ができた。しかし、彼のいつものような無表情なかたい顔には、何の動きも見せなかった。・・・・町の広場に集まって、彼の演説を聞いている群衆を見た人は、その光景を決して忘れることはないだろう。モザイク細工の部品のように、ぎっしりと頭が並び、すべての目は一つの焦点、すなわち、彼が演説しているバルコニー、スタンドに向けられているのだ。それは、何か不気味なぞっとするような光景であった。」と書き残しており、国内の人気の程が窺われる。
イギリスやアメリカなどの民主主義国家でも「ムッソリーニこそ新しい時代の理想の指導者」と称える動きがあり、1920年代前半のアメリカの新聞でも好意的に報道された。辛口な論評で知られたウィンストン・チャーチルも「偉大な指導者の一人」と高く評価していた。詩人のエズラ・パウンドもムッソリーニに心酔した一人である。一方で新聞記者でもあったアーネスト・ヘミングウェイは政権奪取間もない頃からムッソリーニを批判していた。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B#.E5.80.8B.E4.BA.BA.E5.B4.87.E6.8B.9D
「元々が師範学校出身の知識人であり、教師としての教育を受けていることもあって大変な勉強家であった。本領である政治学では様々な思想に関する博学な知識を持ち、ジョルジュ・ソレルの修正マルクス主義に深い理解を示して新たな思想であるファシズムを体系化した。他に哲学にも通じてブランキからシュティルナーまで多くの理論を学び、また芸術面では近代ドイツ文学に傾倒していた。加えてドイツ語・フランス語(後者は政府から正式な資格を取得している)に堪能という教養人であった。また演説家としても非常に有能で、感情が高ぶるほど激烈な弁が冴えたヒトラーとは対照的にさわやかな演説をする人物として知られた。
若い頃からスポーツを得意としており、毎朝起きたら体操をやりジュースを飲み、最後に乗馬に興じてからシャワーを浴びて朝食をとるのが日課であった。朝食ではパンの他に果物が用意してあり(本人も果物が健康の秘訣だと言っている)、魚はたまに食べるが肉はほとんど食べなかったという。モータースポーツを愛好し、国威発揚のためにイタリアの自動車メーカーを国際レースの場に出ることを推奨した他「ミッレミリア」などの国内におけるレースへの支援も欠かさなかった。ちなみに自身の愛車はアルファ・ロメオ社のスパイダー・コルサ(en:Alfa Romeo 6C)であった。
ムッソリーニは行動的で粗野な反面、繊細な神経の持ち主で他人を信用せず、友人も作らず常に孤独であったと言われている。」
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%BD%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B#.E7.A7.81.E7.94.9F.E6.B4.BB
オカルト(スピリチュアル)や宗教に傾倒している人の話を鵜呑みにしてはいけない。(悪魔主義者で強姦魔とは思えないね。)
補足:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1441579629(愛人は男気があるねぇ。)
おまけ