参考資料834 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

バビロニア帝国の滅亡
「ダニエルが生きていたのは、“第一の獣”の支配する時代である。バビロニア帝国の滅亡には、ぜひふれたい面白い事実が山ほどあるが、スペースの関係で割愛せざるをえない。ただし、ふたつの事実だけは、間違いなく読者もわたしと同様、興味をそそられそうなので書くことにする。
 バビロン(=バビロニア)はパレスチナを苦しめる一連の異邦人の世界帝国のはしりだが、同時に古代の予言者によって、古代バビロンの称号を継ぐ前記の諸帝国を表す共通の名称となった。エルサレムを新たに征服した国が、名前を継いだわけだ。
“獣”たちの系譜を追って、現代の“獣”(666)を見つけようと思うなら、相続権の証拠たるパレスチナの征服によって、次々と交替していったこうした帝国を調べていく必要がある。
 バビロニアとそのメディア・ペルシア人による敗北を語るとき、バビロン征服をめぐって起きた数多くの不思議な事件のうち、以下のふたつだけはどうしてもふれなければならない。
“異邦人の時代”、つまりエルサレムが“異邦人によって踏み荒らされる”時代が、二千五百二十年に等しい“七倍罰”の期間だったことを思い出してほしい。そして、それをしばらく頭の隅においておいていただきたい。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
以前に「ギリシャ語のゲマトリアでイエス・キリストの名前の「イエス」が888なので、「666」はイエス・キリストのような人物の暗号ではないだろうか」と書いた事があり、その後、イエスは当時の新興宗教の教祖であり従来のユダヤ教に対して救世主を名乗っていて「麻原彰晃みたい」と書いたが、その補足をする。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12074441136.html(ついでに「アンリ二世への手紙」も見てね。)

「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。」
「マタイによる福音書」第10章34節~39節

イエス・キリストが本心で言っているんだったらちょっとショックだよね。ただし、イエスは磔刑の時にも旧約聖書のセリフ「神よ、神よ、どうして我を見捨てたもうた」と述べているので、これも旧約聖書の内容を自分のものとして述べているだけかもしれない。因みに、旧約聖書には何ヶ所も「主はねたむ神」というような内容が出て来る。(私は秘かにイエスとは別人ではないかと思っている。念のため、ほふられた小羊でもない。)
もちろん、携挙されるほどの信念を作るためにあえて言っているという見方も考慮しているが。

補足:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12002597807.html

おまけ 詭弁としか思えない。