参考資料783 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

千二百九十年の謎
「ダニエルはほかにもふたつ、年数期限についてふれた。先にあげた②千二百九十年と③千三百三十五年というふたつの期間である。とくに後者、つまり千三百三十五年という期間は、三つのうちでも最も驚くべきものであることがいずれわかるだろう。
 1917年11月2日、英国政府は、パレスチナにおけるユダヤ民族の祖国建設に対し援助を約束するバルフォア宣言を出した。次いで、12月8日、アレンビー将軍が聖都をトルコ人から解放した。ネブカドネザルに《踏み荒らされて》から、二千五百二十年後。エルサレムがウマルの手に落ちてから、千二百六十年後のことである。
 言うまでもなく、千二百六十年と千二百九十年の差は、三十年である。したがって、次に問題とすべきは、1947~8年だ。
 三十年ほど時間の流れを飛び越えよう。このあいだ、国連がパレスチナにおけるイギリスの委任統治を正式承認し、第二の世界戦争が人類を苦しめた。またこの期間は、ユダヤ人がかつてない苦難をなめた時期でもある。聖地に帰還するユダヤ人の流れは細流から激流へと変わり、こうした移民の洪水に対し、英国政府は故郷に帰るユダヤ人の数を減らそうとして、時宜を逸した、悪名高い不幸な手段をとった。
 諸国の軍隊は、ふたたび中東の戦場で砲火をまじえた。英国第八軍団は、エジプトとスエズ運河を防衛するために、歴史的な大激戦を戦った。世界は不安におののいた。ナチス・ドイツやイタリアを中心とする枢軸国は、パレスチナへ破竹の進撃をつづけるだろうか?あのユダヤ人大虐殺の張本人どもにとって、ユダヤ人そのものの故郷を征服すること以上に、刺激的な経験があろうかと。この戦時中、ヨーロッパの災厄をはらいのけるために英国人兵士とユダヤ旅団兵士は肩をならべて戦ったのだ。
 1945年、ヨーロッパに平和がもどった。これで問題の三十年のうち、二十七年が過ぎたわけだ。何百万人というユダヤ人が、家族とわが身にふりかかった運命にうんざりしていて、いまやパレスチナに祖国を建国することを望んだ。
 1946年、アングロ・アメリカン委員会は、ナチスに国を追われた十万人にのぼる人びとにパレスチナへの入国を許可した。
 1947年、国連総会で、ユダヤ人国家樹立計画が採択された。
 1948年、これも運命の年か? この年にはどんな大事件が起きたのだろう。
 1948年5月14日。イスラエルの最大都市テルアビブの記念ホールへ行ってみよう。いましもデイヴィッド・ベングリオン首相が立ち上がって、演説するところだ。(そのスピーチの一部を引用する)
「このイスラエルの地で、わがユダヤ民族は誕生した。この土地でその霊的、宗教的、民族的特性は形づくられた。ここで、自治独立の生活を営んでいたのである。またこの地で民族的かつ普遍的な価値を有する文化を創造し、世界に不滅の聖なる書物を与えたのである・・・・。
 したがって、イスラエルの地のユダヤ人民とシオニズム運動を代表する国民会議の構成員たるわれわれは、英国のパレスチナ委任統治完了の日に集い、われらの民族的かつ歴史的諸権利と国連総会の決議に基づき、ここにイスラエルの地にユダヤ人国家―――イスラエル国の樹立を宣言するものである・・・・イスラエル国はユダヤ人移民と亡命者の集団に門戸を開く。またすべての居住者のため、国土発展に専心努力する決意である。
 わが国は、イスラエルの予言者がうたった自由、正義、平和を基盤とするものである」
 かくしてユダヤ人国家イスラエルは、誕生した。二千五百年前に予言者が予言したとおりの年1948年にだ。これもただの偶然にすぎないのだろうか。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
シンクロニシティーという事にしておこう。それにしても聖書預言なんて日本では都市伝説みたいなものだが、海外ではスピーチにも使われるぐらい常識なんだね。結構信じているんだろうね。

おまけ