参考資料782 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

千二百六十年の謎
「前に見たとおり、ダニエルは三つの年数期限を示した。一番目は千二百六十年だ。また1917年には、エルサレムが解放される。これはバビロニアのネブカドネザル王がエルサレムを征服し、“異邦人の時代”が開始してから、二千五百二十年(三百六十年の七倍)後のことだった。
 ダニエルが示した一番目の年数期限が、イエスのいう《異邦人の時》、つまり七《倍》という年数の半分であることに、もうお気づきだろう。ダニエルは《一倍、二倍そして半倍》と書いた。これは“異邦人の時代”である“七倍罰の期間”の二分の一だ。
 1917年、あの運命の年! もしダニエルが正しければ、エルサレム解放の千二百六十年前に、《憎むべき破壊者》である何かが起きたはずだ。1917年から千二百六十年を引くと、西暦656~657年という数字が出る。
 西暦655年、エルサレムはイスラム軍の手に落ち、“岩のドーム”の建設がはじめられた。寺院が完成したのは、688年だった。これもたんなる偶然の一致だろうか。
 イスラム軍がエルサレムに進軍した年に関して、もうひとつ重要な事実がある。それはネブカドネザル王が最初にエルサレムを征服して、“異邦人の時代”の到来を告げたときから、ちょうど千二百六十年後にあたるのだ。千二百六十年足す千二百六十年は、二千五百二十年! これは偶然か、それともなんらかのパターンなのか。
“憎むべきもの”は荒廃をもたらすことになっていた。エルサレムと聖地が、西暦655年以降、荒れ果てた不毛の地に変じたのは、歴史的事実である。
 第二代正統カリフ・ウマル(在位634~644)のエルサレム入城に関して、十八世紀イギリスの大歴史家エドワード・ギボンが自著『ローマ帝国衰亡史』で興味深い事実を記している。
《降伏文書に署名したのち、彼[ウマル]は用心もせずに、恐れる気配もなく市内に入った。そして総大司教と相手の宗教の古さについて丁重に語り合った。ソフロニウスは新しい主人にうやうやしく頭を下げ、こっそりダニエルの言葉をつぶやいた。『憎むべき破壊者が聖なる場所にいる』と》
 予言者たちは“諸国民のホロスコープ”を書いたのだろうか。こうした事件のすべてに、人類の行動を管理する“見えざる手”が感知できないだろうか。ことここにいたっては、こう自問したほうがいいかもしれない。もしこうした出来事がすべて現実のものとなり、予言者たちが正しかったとしたら、彼らがこれからさき起こると予言した事態もほんとうに発生するのではないかと。
 以下の章で、われわれは好奇に満ちた目から未来を隠すカーテンを開けて、その向こうを見るつもりである。
 強大なるネブカドネザル! 空しい時の回廊のかなたから、うつろな彼の声が響いてくる。《この街はほんとうに余が作りあげた偉大なるバビロンなのか?》と。諸君の耳には、天空の向こうから聞こえる雷鳴のような哄笑が感じられないか。幾多の王国が倒れた。エジプト、ギリシアの諸王国が。バビロニア、アッシリア、メディア-ペルシア、ローマ、イスラムの諸帝国が。その墓標を前にして、この偉大な諸帝国を率いた権力者たちは、歴史を作るのは自分たちだと考えた。しかし、じつは彼らも見えざる手のあやつるひもに、それと知らずにぶらさがっていたのではないだろうか。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

おまけ