参考資料758 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

参考資料757の続き
「イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんなしるしがあるのですか。
マタイによる福音書 24章3節

 このくだりには、三つの質問が含まれている。
★ こうしたことが起こるのは、いつか。エルサレムが荒廃し、神殿が破壊されるのはいつか。
★ 世の終わり(運命の日)のしるしは何か。
 イエスの答えはそっくり引用する必要がある。

 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがキリスト〔救世主〕だ』と言って多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢餓や疫病や地震が起こる。これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
 偽予言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで堪え忍ぶものは救われる。そして御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりがくる。
 予言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら―――読む者は悟れ―――
 そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。屋上にいる者は、家にあるものを取り出そうとして下に降りてはならぬ。畑にいる者は、上着を取り帰ってはならぬ。それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ!逃げるのが、冬や安息日にならないように、祈りなさい。
 そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
 神がその期間を縮めてくだされなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう」
マタイによる福音書 24章4~22節

 エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ!この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。
 人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる・・・・

 はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この世代は決して滅びない。
ルカによる福音書 21章20~32節より抜粋

 ここで忘れてはならないことが、ふたつある。ひとつは、予言では“世代”が四十年間を意味することだ。《四十》というのは、ユダヤ教の聖典では非常に重要な数である。
 洪水が地上を覆った期間は、四十日間だという。ノアは洪水が引いてから、四十日待ったのち、箱舟の窓をあけた。モーセがエジプトを去ったのは、四十歳のときである。四十年後、彼は選ばれてイスラエルの子らをひきつれ、エジプトを出る。四十年間、イスラエルの民は約束の地をめざし、荒野を旅した。サウルがイスラエルを治めたのは、四十年間であり、ダビデやソロモンの統治期間も同じである。イスラエルは神に従わなかったために、四十年間ペリシテ人の手にゆだねられた。エリは死ぬまでの四十年間、民衆の指導者としてイスラエルを支配する。イシボセテがイスラエルの統治に臨んだのは、四十歳のときである。ヨシヤパテの在位は四十年にわたり、ヨアシュは四十年間王位にあった、という具合なのだ。
 次の文章には、もっとはっきり書いてある。

 主の怒りはイスラエルに対して燃え上がった。主は四十年にわたり、彼らを荒れ野にさまよわせられ、主が悪と見なされることを行った世代の者はことごとく死に絶えた。
民数記 32章13節」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがキリスト〔救世主〕だ』と言って多くの人を惑わすだろう。

以前にも書いたと思ったが、「わたしの名を名乗る者」とは「救世主」を名乗る者ではなく「イエス・キリスト」を名乗る者である。イエス・キリストの顔を誰も知らないから出来るだろうが、そういう事実(認識)を世界中の皆が共有していなければ絶対に起こらないだろう。(気違い扱いされるだけ。)そもそもイエス・キリストが空中再臨したとしても顔が分からなかったらマジシャンとして片付けられて終わってしまうのではないだろうか。昨日も書いたように補佐役(ほふられた小羊)が御国の福音か何かで世界を準備させておかなければ「神の計画」は実行出来ないのではないだろうか。
因みに、「ルカによる福音書」第21章8節にも「多くの者がわたしの名を名のって現れ」(口語訳)とあり、訳には問題がない。

>屋上にいる者は、家にあるものを取り出そうとして下に降りてはならぬ。畑にいる者は、上着を取り帰ってはならぬ。それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ!逃げるのが、冬や安息日にならないように、祈りなさい。

津波でも来るのかというのが第一印象。まぁ、私の持論は「小惑星の衝突」でもない限り「神の計画」の実行はないと思っているので、海に落ちれば大洪水、地に落ちれば「ダニエル書」最終章にある「地の塵」となるだろう。両方とか勘弁して欲しいが「そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。神がその期間を縮めてくだされなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう」と一致する。(衝突の冬。)
また、「冬や安息日にならないように、祈りなさい」からイエスもはっきりとは分からないのだろうと思っていたが、「主の日は盗人のように襲って来る」(「ペテロの第二の手紙」第3章)所に意味があるようにわざと教えなかった可能性が高い。(イエス・キリストの考えている事は次元が違う可能性がある。というより預言は警告が目的ではなく改心が目的だろうからね。)

>予言では“世代”が四十年間を意味することだ。《四十》というのは、ユダヤ教の聖典では非常に重要な数である。

四十年については以前にもちょっと触れた事がある。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11963637094.html(というより46年+3年=49年か。)

おまけ