参考資料724 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「いちじくの木とぶどう園」の続き
「《いちじくの木》の象徴は、わたしたちにとって非常に重要である。何世紀ものあいだ、人びとは“世の終わり”について思いをめぐらしてきた。世界の終末を口にする者は、よくて変人、悪くすると狂人の烙印を押されてしまった時代もあった。近代兵器の破壊力が増すにつれて、とりわけ十九世紀末から二十世紀はじめにかけて、人びとは、世界的な破滅の可能性が以前よりはるかに現実味を帯びたことに気づきはじめた。
 核兵器が人びとの考えを変えたのだ。ほんのしばらく前まで、この長い歴史を持つ世界が終わってしまうのだと信じる人間は変わり者と見なされた。しかし今日、世界がある日、核戦争によって滅亡してしまう疑いようのない可能性を認めない人は、まずいないだろう。
 イエスが生きていた時代に世界の滅亡を考えていた人びとがいたのをご存知だろうか?実際、イエスの使徒のひとりが、世の終わりはいつ来るのかとイエスに訊いた―――すると、イエスははっきり答えたのだ。

 弟子たちがやって来て、ひそかに聞いた。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんながあるのですか」
マタイによる福音書 24章3節

 イエスの答えはこうだった。

 いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。
マタイによる福音書 24章32節

 言い換えれば、《いちじくの木》(ユダヤ人)が実をむすび、新しい生命を見せはじめたなら、それはつらかった冬が終わり、暖かな陽光がまもなく差しはじめるきざしだと述べているのである。
「夏だって?おいおい、世界が終わるんだろう?世界の滅亡を夏にたとえるなんておかしいじゃないか!」と疑問に思う読者もいるだろう。
 さて、ここで吉報をお知らせしよう!この世界は終わらない、と予言者たちは断言しているのだ。未来にはあまたの苦難、人類史上かつてなかった恐ろしい戦争が待ち受けているが、それでも世界は破滅しない―――予言者たちによれば、夏は近いのである!
 イエスに対する質問中、《世》と訳されている言葉は、《時代》あるいは《律法の時代》を意味する。だからほんとうは《あなたが来られて時代の終わるときには、どんなしるしがあるのか》と訊いたのだ!
 予言者たちによれば、わたしたちは急速に時代の終わりに近づいている。だが、安心していい。なぜならば、この時代がすさまじい断末魔のうちに終末を迎えたあと、人類すべてにとっての輝かしい新時代がはじまる、と彼らは名言しているからだ。予言者たちは、わたしたちの手をとって死の影におおわれた谷に導くが、究極的な希望のメッセージも伝えてくれているのだ。
 イギリスはけっして核戦争の戦場にはならないし、アメリカも核ミサイルの被害を受けない。このことについてはあとでくわしく述べる。
 イギリスの将軍が帽子を脱いでヤッフォ門をくぐり、エルサレムの旧市街に入って、《征服するためではなく解放するためにきた》のだと宣言したあの栄光の日以来、ユダヤの《いちじくの木》はすくすくと若枝を伸ばし、たわわに実をむすび、誇張でなく実の重みで枝がしなっているほどだ。夏は近いのだ!
 ぜひとも“ユダの家”を表す《いちじくの木》と“イスラエルの家”を表す《ぶどう》(十支族)とをきちんと区別してほしい。つねに注意して区別をつけなければ、古代の予言者たちが伝えようとしたことが理解できなくなってしまうからだ。《いちじくの木》と《ぶどう》はともに非常に大切な暗号なのである。
 イスラエル(この場合は“イスラエルの家”)は一度も《いちじくの木》とは呼ばれず、かならず《ぶどう》と呼ばれている。このことを予言者ホセアが明らかにしている。

 イスラエルはむなしいぶどうの木。みずからのために実をむすぶ。
ホセア書 10章1節」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>核兵器が人びとの考えを変えたのだ。ほんのしばらく前まで、この長い歴史を持つ世界が終わってしまうのだと信じる人間は変わり者と見なされた。しかし今日、世界がある日、核戦争によって滅亡してしまう疑いようのない可能性を認めない人は、まずいないだろう。

聖書が第三次世界大戦を予言しているというのが昔からのオカルト好きの解説だが、はっきり言って聖書預言は「神の計画」で第二次世界大戦などとは次元が違う。例えば、「ゼカリヤ書」第14章12節に、
「エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災いをもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる」

とあるが、わざわざこんな兵器を使わなくても核兵器で一瞬のうちに消してあげればいいだけだろう。聖書の他の部分に何度も「主は妬む神」と出て来るのでそれと何か関係があるのかもしれない。何にしても、現代人が現代の武器で江戸時代の人を殺すぐらいの武器の次元の違いがあると思われる。

>だが、安心していい。なぜならば、この時代がすさまじい断末魔のうちに終末を迎えたあと、人類すべてにとっての輝かしい新時代がはじまる、と彼らは名言しているからだ。

確かに「ペテロの第二の手紙」第3章に、
「その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる」

とあるが、艱難の期間は地獄の苦しみだろう。因みに、五島勉氏の「ファティマ・第三の秘密」に第三の秘密の一部が載っているが、そこには「地上の多くのものは破壊され、無数の人が滅びる。生き残った者は、死者をねたむほどの艱難に襲われる」とある。まぁ、「艱難汝を玉にす」も神の目的の一つだろうが。
http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12016566621.html
補足
「その時には、世の初めから現代に至るまで、かつてなく今後もないような大きな艱難が起るからである。もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。」
「マタイによる福音書」第24章21節~22節

因みに、ノストラダムスの予言にもこんなものがある。
1巻67番の詩
大飢饉は近づきつつある予感、
頻繁に向きを変えては、あまねく世界に広まらん。
それは大規模にして永きにわたるゆえ、もぎ取ることにならん、
木から根を、そして乳房から子どもを。
(高田勇・伊藤進訳『ノストラダムス 予言集』77頁)

「その日には、身重の女と乳飲み子を持つ女とは、不幸である。」
新約聖書「マタイによる福音書」第24章19節より

>ぜひとも“ユダの家”を表す《いちじくの木》と“イスラエルの家”を表す《ぶどう》(十支族)とをきちんと区別してほしい。つねに注意して区別をつけなければ、古代の予言者たちが伝えようとしたことが理解できなくなってしまうからだ。《いちじくの木》と《ぶどう》はともに非常に大切な暗号なのである。

昨日の記事では、「イスラエルの家」は日本の可能性もあると述べたが、「イスラエルはむなしいぶどうの木。みずからのために実をむすぶ」とあるので良くない事のようだ。因みに、「ヨハネの黙示録」第14章17節~20節に、
「また、もうひとりの御使が、天の聖所から出てきたが、彼もまた鋭いかまを持っていた。さらに、もうひとりの御使で、火を支配する権威を持っている者が、祭壇から出てきて、鋭いかまを持つ御使にむかい、大声で言った、「その鋭いかまを地に入れて、地のぶどうのふさを刈り集めなさい。ぶどうの実がすでに熟しているから」。そこで、御使はそのかまを地に投げ入れて、地のぶどうを刈り集め、神の激しい怒りの大きな酒ぶねに投げ込んだ。そして、その酒ぶねが都の外で踏まれた。すると、血が酒ぶねから流れ出て、馬のくつわにとどくほどになり、一千六百丁にわたってひろがった。」
とある。

おまけ