参考資料498 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

はだしの聖人・ガンジー
「彼は行動の第一の目的をサチャグラハ、つまり「真理の把握」といっています。「真理とは何か、ということは哲学の難しい大問題である。しかし、私は真理を内なる声の語ること、と思う」とも、また「真理はブッダ、イエス、マホメットの口をかりて、さまざま違った形で表現されているが根本は一つである。ただはっきり言えることは、真理は謙虚な気持を充分にもった人でなければみつけ出せるものではないということだ。人は自らを無にしなければ、真理の大海の真只中で泳ぐことはできない」とも言っています。
 しかし、ガンジーが大事にしたことは、そういう真理とは何かということよりも、自分の身体と行動を通して真理を実現していくということでした。彼が哲学者としてよりも、思想の実践家―――ヒューマニスト―――として有名なのはそのためです。彼はその「真理の把握」のための実践として二つのことを説いています。一つはアヒンサ(不殺生)であり、もう一つはブラーマチャリア(禁欲・自己浄化)ということです。
 まず、アヒンサについてお話しましょう。ガンジーは、人間と動物との相違を暴力の有無にもとめています。しかし、話は横道にそれますが、最近の研究によりますと、人間の方が動物以上に暴力的だということがわかってきました。というのは、動物は同じ種類の間では決して殺しあいをしない、ライオンはライオンどうしがけんかをしても、決して相手を死に追いこむことはしないのです。しかし、人間はおたがいにけんかをして殺しあっていますね。その意味で、人間は動物以上に暴力的だということができましょう。
 といっても、ガンジーの不殺生(アヒンサ)の意義はいささかも減じません。減じないどころか、暴力的であるゆえに、そして戦争というけんかが依然としてなくなっていないだけに、彼のアヒンサの主張はますます意義を高く評価せねばならないといえましょう。
 彼のこの不殺生の主張の基本には、すべての生物を同胞とみなすというインド古来の宗教的考え方があるといえましょう。彼はこの立場から肉食を禁じ戦争の放棄を説き、殺生を肯定するあらゆる思想に反対しました。
 人間は強い信念、確信する真理の実現のため得てして殺生しますね。わたしたちは、その著しい例を十六世紀から十七世紀にかけて行なわれた宗教改革の戦争にみることができます。彼らは、キリスト教の愛の実践のために、血で血を洗う戦いを繰返すという大きな矛盾を犯しました。
 現在ですら、ある種の宗教的、政治的信念の実現のために、次々に爆弾を仕かけ、無関係な民衆を死においこむ一群のグループがあります。
 ガンジーは正しい目的の実現のためには、手段も正しくなくてはならないとして、暴力やそのきわまったものとしての殺生を、断乎として排斥していくのです。
 そして、不正に対しては、相手を真理にめざめさせるという武器を用いて戦うのです。武力や暴力でもって支配や弾圧をすすめることがあやまりであることを、相手に悟らせるのです。事実、彼はこの一見弱いとも思える方法――無暴力・無抵抗の立場にたって大英帝国の植民主義にたちむかい、彼らをして震駭させたのでした。
 しかし、相手を真理にめざめさせるといっても、そう簡単にはゆかない。ガンジーはもう一つ必要なことがあるといいます。それが第二の禁欲・自己浄化と訳されるブラーマチャリアです。すなわち、相手を真理にめざめさせるには、自分自身が精神的にも道徳的にもすぐれた人間となって、素手で相手にたちむかうことが必要だというのです。
 彼が若い頃、ロンドンで酒・女・肉食を完全にたって修行勉学につとめたことは、すでにふれました。また、彼が残した財産は、たったの履き古されたサンダルと眼鏡だけであったことにもふれましたね。彼は物質的な欲望を完全にたちきっています。さらに驚くべきことは夫婦の性生活すらたって、自己浄化につとめたことです。
 彼はインドの風習に従って十三歳で結婚しましたが、それからというもの妻のカストルバイのそばを一時も離れることができないほど、彼は妻を溺愛しました。しかし、三十七歳になった時、禁欲を妻に提案し、二人は性生活をたったのでした。
 それというのも、夫婦の間とは言え、性生活に身と心を奪われていたのでは、全身全霊を傾けて人類に奉仕することはできないと考えたからでした。
 大臣になれば豪壮な宅を構え別荘をいくつも手にいれることが出来、しかも待合という酒色の場で、政治上の取り引きが行なわれるというどこかの国の政治家にとっては、まことに耳のいたい限りでありましょう。
 以上のべましたような哲学にもとづいて、今でこそ昔日の面影はありませんが、太陽の没することのないといわれるほどの領土をもつかつての大帝国にたちむかい、ふるえあがらせたのでした。しかし、一方でインドの民衆からは「バープー(お父さん)」と親しまれ、「マハトマ・ガンジー(偉大な魂ガンジー)」という尊称をもって、今もよばれています。
 彼は常に民衆とともにあり、民衆の生活を守り、悲惨な鉄のくさりにあえぐ民衆を何とかして引きあげようと、生涯を生きぬいた民衆の指導者なのです。」
「哲学が好きになる本 ’88改訂」御厨良一著より

感想
>それというのも、夫婦の間とは言え、性生活に身と心を奪われていたのでは、全身全霊を傾けて人類に奉仕することはできないと考えたからでした。

真実はこんな感じらしい。http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0905&f=column_0905_019.shtml(念のため、尊敬している。)

参考資料
「わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう。インドがいくじなしで、はずかしめに甘んじて、その名誉ある伝統を捨てるよりも、わたしはインドが武器をとってでも自分の名誉を守ることを望んでいる。しかし、わたしは非暴力は暴力よりもすぐれており、許しは罰よりも、さらに雄雄しい勇気と力がいることを知っている。しかし、許しはすべてにまさるとはいえ、罰をさしひかえ、許しを与えることは、罰する力がある人だけに許されたことではないだろうか。」
「マハトマ・ガンディー ウィキぺディア」より

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