瀬戸は日暮れて | hitonotoumadeのブログ

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60歳→65歳→ついに『75歳のブログ』

昭和47年は、ある意味で日本の戦後にピリオドが打たれた年

だと言える。 沖縄がアメリカから返還され、戦後ずっと断

絶していた中国との国交が結ばれ、ランランとカンカンが有効

の印に来訪。 グァム島のジャングルで戦後28年もの間独り

で生き長らえてきた元日本兵・横井庄一さんが発見され帰国。

 

そんな年に生まれた歌が、良き日本、良き故郷を歌った、あの「瀬戸の花嫁」だ。 デビュー曲「私の城下町」は、100万枚

突破の大ヒットだったので2年目のジンクスになるのでは?

世の中は、そんな見方をしていた。しかし現場のマネジャーは

前奏の”鴎が啼くような”ヒューヒューというスチールギターの

音を聴いた瞬間、これで絶対いけると確信したそうだ。

 

レコード大賞こそ、どんでん返しで「喝采」に持っていかれ

るが、まだ新人でありながら、日本歌謡大賞を受賞する。

 

2曲目用に作った曲が、「瀬戸の夕焼け」と「峠の花嫁さん」

だった。 どちらも、もう一つピンと来ない。 

誰かが「繋げたら”瀬戸の花嫁”だね」とつぶやいた。 神の

お告げだったのか、一瞬で決まる。 歌詞も、その2曲を元に

新たな歌詞が作られた。

作詞の山上路夫が、仕事で四国を空路訪れた折、窓から見下ろ

した瀬戸の海が真っ赤に染まっていた光景が心に残っていた。

しかし、それは日本の美しい自然ではなく、公害によって汚

れた海の色だった。 沢山の不純物が混じった川から流れ込

んだ水に、それを餌にするプランクトンが群がって出来た"赤潮”だ。 そんな海を蘇らせたい、そう心から思った。

 

また、時代を象徴する歌でもあった。 ”結婚とは2人の自由

な意思の上で結ばれるもの”に、徐々に変わっていく時代だ。

吉田拓郎が、それまでのイメージを”ぶち壊して”、「結婚し

ようよ」を歌う。

 

瀬戸内海に浮ぶ島は、727も在る。 島のモデルは無かったが

幾つかの島が、名乗りをあげる。 後になって、関係者の誰か

が気が付いた。 レコード発売キャンペーンで、小柳ルミ子が

訪れていた島が実在していたのだ。

高松港からフェリーで20分、女木(めぎ)島。 桃太郎伝説が

残る島だ。 ここから嫁いだ先が、北にフェリーで20分の所に

在る、男木(おぎ)島だ。 海幸山幸伝説が残っており、山幸

彦を祀る賀茂神社と、海の神の娘・豊玉姫を祀る豊玉姫神社が

在る。 この2人の孫が、神武天皇だ。

古くから、結婚の幸せと出産の安泰を祈願に豊玉姫神社に行列

ができたそうだ。 また、明治23年から31年まで、2つの島を合わせて、雌雄嶋村という1つの行政区になっていた。

 

合田道人著 「昭和歌謡の謎」その他 参照