ペギー葉山といえば、「学生時代」や「ドレミの歌」を思い
浮かべるが、彼女の名前を国民的にしたのは、昭和34年に発
売した「南国土佐を後にして」だ。 ジャズ歌手が歌う民謡
入歌謡曲は新鮮だったが、自身は歌うのが嫌で最後まで抵抗
しまくっていた。
そもそも、この歌はペギーのために作られたものではなく、
戦時中に高知の「鯨部隊」の兵士たちが歌っていたものを、
昭和30年になって鈴木三重子がレコード化する。 彼女は、
この翌年、「愛ちゃんはお嫁に」で一世を風靡している。
「鯨部隊」とは、日中戦争時、」中国に駐屯していた第40師団歩兵隊第236連隊で、通称鯨部隊と呼ばれていた。野営のときなどに、焚火を囲み歌っていた。 レコード化した歌詞は、戦時下ではないので、一部変えている。
昭和33年、NHK高知放送局開局記念番組として「歌の広場」
の生放送の収録が行なわれた。 ゲストは、ペギー葉山だ。
局からは、高知で歌い継がれてきた「南国土佐を後にして」。
当初は、鈴木三重子に出演交渉していたがスケジュールが合
わず、ペギーに回ってきたのだ。
歌中の「よさこい節」を、江戸の町で流行らせたのは、あの
坂本龍馬だった。 江戸末期、料亭で酒が入ると必ず歌い出
し、即興で替え歌などもひろうしていたそうだ。 これが、
芸者衆に広がり江戸の巷に流れていった。
日露戦争勃発時には、♪ロシァ来い、ロシァ来い♪と歌わ
れていたとか。
また、はりまや橋辺りは高知の中心部で、江戸時代初期に
掛川から移住してきた山内家の家臣の住居が集まっていた。
この歌のルーツには3つの説が有り、有力な2つが、
①土佐の紅茶のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た
➔これは、悲恋の物語
②「よさこい」は「夜さ来い」で、熱愛の物語 である。
司会の高橋圭三から励まされる。
『そんなに深刻に考えなくてもいいよ。 何も、こぶしコロコロじゃなくたって、ペギーの歌として歌えばいいんだよ。』
会場は大盛上がりで、♪よさこい♪のところになると大爆発。
手拍子打ったり、一緒に歌い出したり。 生放送画終わる頃
になると、各地のNHKに賛辞が殺到する。 発売枚数は優に
200万枚を超えていた。
私が生まれた代々木上原には、古賀政男の邸宅があった。
(今は、記念館)そに傍に、ペギー葉山(と、根上淳)の
家が有った。 特に、古賀政男邸は表通り沿いだったので、
何度も前を通っていた。 私にとっては大昔のことだ、
合田道人著 「昭和歌謡の謎」参照