我が身を持って体感した事実。

とにかく浮上したいのだ。
苦しくて、苦しくてもがくのだ。

社会復帰8ヶ月。

さて陸に戻れたのかというと、まだ水の中にいる感じ。

水の中でも地に足がついて
水位が首から下になり
肩から下になり 胸から下になり…
と徐々に陸に近づく。

ありとあらゆるものを掴んで、掴んで。
水の中では浮いて軽くても陸では重力で重い。
きっとそんなこともある。
これからは手放していくことも必要かもしれない。

手放すって実は結構難しい。
たとえそれが藁だったとしても。

大鬱期100日。

10日に1回くらいのペースで

気分転換に連れ出して下さっていた方がいる。


復職前、これが最後になるか。

太平洋まで。


この方のお陰で、自分の状態がどんな感じか掴めていた気がする。

10月半ばに感じたトンネル、細い道への恐怖心。

気分が悪くなった11月末の映画館。

12月初旬の大塚美術館での軽いパニック。


12月半ばの外出では和らいでいた。

年末に息子を映画館に連れて行った時も大丈夫だった。

年が明けてからはトンネルも細い道も大丈夫だった。


不安、焦燥感、恐怖心、動けない、億劫、起き上がれない。

回復期の波を都度感じながら。


今でも完全回復ではない。

ひとり親、生活を考えたら、雇用の継続を考えたら

このタイミングで復職以外の道がなかった感じ。


上手くいかなかった時のプランB・プランCを心中に

用意して。流れに身を委ねるしかない。

流れに竿を差して逆らうのは体力も勇気も要るからね。


11月末から訪問看護の利用開始。


12月初旬にリボトリール処方。

長くて続いていた脳内パニックがようやく落ち着く。


中旬、元夫が県内に仕事を確保して転居。

夫婦としてはもう他人。

養育費も11年貰っていない。支払える状態にもない。

けれど子どもに対しては家族。

施設入所の娘に、発達障害の息子。

そして私は双極性障害で大鬱期。

養育に関しては協力する以外の道はなしと決断して動いてくれた。


併発していた不安障害(狭い道やトンネルを運転できない、映画館が怖い)

これも今にして思えば曝露療法になっていたのだと思う。

定期的に外に連れ出して下さっていた方がいたお陰で落ち着く。


1番厄介だった貧困妄想。

齢70を超え年金暮らしながら、

母親が当面の支援をすると断言。

また年が明けて障害者年金を申請。


blogを始めた20代は両親との関係に悩み、

30代は結婚・出産に離婚。

40代は育児。

「家族」との距離感に悩み続けて気分が浮き沈み。

結局、本当に1番の底で1番苦しんだ家族に支えられる。


こうして大鬱期ながら事が動き。

どうにか来月からの復職がみえた。


もう一体いつからが分からない。

早期覚醒というやつで。
毎日1時半とか、2時半とか、3時半に覚醒。

自動思考が止まらず。


様々な本で自己肯定感だとか、潜在意識だとか、

無意識とか、呼吸法だとか。

その他のアレやコレ。

眠るためだったり、自動思考を止めるためだったり

のことを試してみているが、現在まで全く効果なし。


鬱の急性期は布団の中でジッとしていることも

出来ず徘徊する勢いだったのが。

どうにか目を閉じてジッとしていられるようになったくらい。

早期覚醒の解消には程遠い。

ぐっすり眠りたい。

朝がとにかく辛い。辛い。辛い。


ようやく何か気分転換してみたいとか、

(といって昔から好きだったものに触れても感情が起伏しない)

(胸がつかえたりイライラしたりもよくある)

(常に悩みの種の思考が勝手に回る)

考えてばかりでなく行動してみようとか、

小さな小さな意欲の種は出てきたかもしれない。


あぁ。本当に自動思考を止めて。

しっかり一晩眠りたい。



元夫とのLINEや電話。こちらに来た時の触れ合い。

大阪時代のタイヤ屋営業さんも毎日でやりとり。

無償で鍼治療してくれる方。

父の知人でありながら私を支えようと、
食事に連れてってくれたり差し入れ下さる方。

これまで3回食事を作って差し入れてくれた同僚。

いつも必要とあらば話を聞いてくれてる友人たち。

NPOからの食料支援。

足が悪いのに訪ねてくれた伯母。

そして支援する方向に変わってくれた母。


双極性障害は人間関係が拗れ、孤立することも少なくないと聞く。

それなのに。この鬱々2ヶ月、誰1人として見捨てることなく。

かえって味方が増えるばかり。

愛に溢れた日々に感謝します。


仕事が出来ず、鬱で家事育児もままならず。

それでも私は見捨てられない。

なんと幸せな人生なんだ。

あとは仕事をどうしていくか、だな。