これで人生何回目の引越しか。


3年前に息子を

県内唯一の病弱クラス(適応障害等の発達障害に対応)のある

特別支援学校に進学させるために転居。


私は片道25キロ、1時間弱の通勤に。


高等部に進学しないことになり、

私の残りの職業人生のため、

彼の通学距離も考慮して、転居を決行。


数えてみれば、15歳の息子で4回目。

48歳の私で9回目。

(離れて暮らす娘も都合で今月転居あり5回目)


年明けから部内異動、息子受験、引越し。

タスクが重なり、一時病状悪化したが何とか持ち堪えた。

合格発表と入学準備は控えているけれど、山場はこえた!


娘の施設入所や私の大鬱(休職)。

怒涛の苦しい時間が過ぎて、日常の有り難みを身に沁みて感じるようになり。

季節が過ぎてここからまた新しい時間へ。

息子の通信制高校受験→合格発表の翌日。

娘の日帰りLIVE遠征に同行。

もう娘は遠方でも1人で移動できる、都会の街中を1人ウロウロできる。

もう私の付き添いは必要なくなった。

これが付き添いできる最後。

2人で電車で遠出することも、もうないかもしれない。


子育ての最後って記憶に残らないものばかり。

最後の抱っこはいつだっけ?

最後に一緒にお風呂入ったのは?

一緒の部屋で寝てたのはいつまでだったっけ?


これが最後の、を噛み締めよう。

と思った矢先。

荒天により瀬戸大橋線が計画運休…出発したが帰りの電車がないってよ!


すぐに高速バス検索。運行を確認して予約。

LIVE終わりに会場近くで合流する確認だけして、

駅ターミナルで別れる。


このところ思うのは。

離れて暮らして3年。生活費の多くと学費は公費。

彼女はアルバイト掛け持ちで高校生で年間100万以上を稼ぎ。

日用品や昼食費を自分で賄い、貯金し、LIVE遠征費用を捻出。

共に暮らすこともなく養育もしていない私は。

果たして彼女の母親と言えるのだろうか?

私が育てたのは14歳まで。

来年からは大学進学で学費を出すことにはなるが、

こうして遠征付き添いも終わり、共に暮らすこともない。


彼女にしてやれることは、もう殆ど残っていない。

何を持って親と言えるのだろう。


そんなこんなや、

最後の付き添いが計画運休のハプニングで

終わることを思いながらLIVE終わりを待つ。

LIVE終わりからダッシュで高速バスターミナルへ!

ギリギリ到着で日付が変わる前に帰宅。


してやれることは殆どないけれど。

彼女の思い出や記憶に

「母親」の何か残っていればいいな。




1月上旬。

息子は通信制高校(週4通学コース)受験。

学科試験に面接、送迎した。


帰りに2人でモスを食べ、

海が見たいと言うので、近くの海沿い公園へ。


1月としては暖かく、快晴で、海は凪。

公園は乳幼児の親子連れ多数。

温かくて穏やかで平凡で空と海の青。



この時間のための15年だったのだとしたら。

重度のアレルギーも、病弱も、骨折も、

ASDとADHDにまつわるアレコレも。

娘と離れて暮らしているこの3年も。

全てが許されるようで報われるようで。


平和とか幸せとかって、

こういう時間のことをいうのだろう。

受験の合否なんてどうでも良かった。

先も見えず喧騒しかない中で過ごした数年。

それ潜り抜けたという事実だけで十分。

夢のような1日だと思った。



後日、合格。

そして昨日・今日と公立高校受験。

そう。もう結果なんてどうでもいい。

同じ空間や時間を穏やかに過ごせる、

平凡な日常がそこにあるだけで。


ふとみるとblogを開設して20年。

出産してからは数年に一度しか書いていないけれど。


どうやら私は文字で記録を残しているようだ。

時々、記憶の確認に自分の記事を遡る。


あぁ。もう必死だった。

子育てに生きることに。

双極性障害って言葉で片付けられてしまうのかもしれないけれど。

際限なく回転数をあげて走ってたな。


「私に万が一のことがあっても、この子たちは大丈夫」

そう安心できるまでに子ども達が心身共に成長し。

自分の人生を地に足を付けて考え、

周りの人達への思いやりと感謝を持つ。

そういう子達に育ってくれたと思える。


やっと一息。

呼吸ができるようになってきたから、

またゆっくりゆっくり文字の記録を再開しようかなと思う。




それは2年ほど前。
たまたまblog記事で見つけた霊場の摺袈裟を手に入れるため徳島へ。

なので順打ちでも逆打ちでもなく。
乱れ打ちで少しずつ参拝。

随分と時間をかけてようやく結願。