行こうとしていたのは別の場所


なのにどういう訳か辿り着いた



金比羅さん(金毘羅宮)


どういう訳だか785段登ることなく着いた

不思議な流れで終わった2026年5月連休

連休が始まって3日間

美術館、博物館、資料館などなどを巡っている


けれど

どうも感覚鈍麻している


今に始まったことではないのだけれど


娘と離れて暮らしていること

それは3年前の私にとってベターな選択であって

決してベストな選択ではなかった


これで良かったのだ

こうするしかなかったのだ

結果オーライ

時間が解決してきて今に至っているのであって

平凡な日常を送るために

どこか感情の回線を切ったり閉じたりしている

服薬の影響もあるだろう


綺麗な景色、花、画や写真、エンタメ

刺激はある、静かに反応はしている

四国八十八ヶ所のあとは四国ミュージアム88

けれど大きくは動かない

(時々落ちそうにはなるけれど)

躁にならず、鬱にもならない

感情鈍麻の方がいいのかもしれないけれど

少し物足りない


それでも 綺麗な景色、花、画や写真、エンタメ

触れながら日々を過ごしていたら

過去の選択、この道が最善で最適だったと

肚落ちする日が来るのだろうか

今月、父親が心臓カテーテル検査をするという

それに家族の同意と立会いが必要ならしい


DV家庭で母親の肋骨にヒビまでいれた人

資産を増やすことが何より大事な人


関係を構築するのに随分と神経を擦り減らした

その人は

もう老い先が見えてくる齢になった


両親と絶縁して既に18年の弟

老い先の面倒一切に私が関わることになる

それはとうの昔に引き受けたこと

(既に去年のうちに介護保険の申請は済ませた)

そして恩返し、恩送りでもある


さてさて

現実が追いついてきました

どんな日々、過去になっていくんだろうか

数年以内に行きたいと思っている


だからか、このニュースが目に留まる


父方、母方、2人の祖父。

父方は戦時中は甲種で中国に出兵したらしい。

母方は乙だか丙だかで内地だったらしい。


「らしい」というのは、

2人とも私に戦争を語ることがなかったから伝え聞いたに過ぎない。


父方祖父は同居していたので、

出征の時や軍馬に乗る姿とか割と写真も見る機会はあった。

一度だけ中国は朝夕の寒暖差が大きかった、

ただひたすら歩かされたというような話は聞いた

質実剛健で身なりや生活を大きくすることもなかった。


この歳になって

この時代になって

戦争を知る世代と共に暮らしていたのに、と思う

この歳のこの時代だから

聞きたい


戦争ってこんな風に日常に静かに沁み込んで

いつの間にか、気づかない間に狂気になってんじゃないかな


気づくとそこは非日常という名の日常


今は果たして戦後なのか 戦前なのか 戦中なのか

娘とは14歳6ヶ月で離れた


最終的には自殺未遂に殺人未遂

字面にしてしまうと、そうとしか書けないような

このままだと危ないギリギリだった


私と娘、それぞれがそれぞれのタイミングで

生活を、人生を選択していった

その結果、今日も離れて暮らしている


時に帰省し、時に通院や推し活遠征に付き添い

時に生活用品を差し入れ

時に食事を共にする


どうも親子の縁は完全に切れないでいる


週末は少し先のことになるが成人式のことを

今日はサブスク契約を継続しているか聞いた

そういう他愛のない会話もやりとりする


3年2ヶ月前のあの日

こんな日が来ることは想像できなかった


時間が解決するっていうことを実感している

親として全うできなかったことには胸が疼く

満足なんてない ただ、足るを知った

私が生きて 娘が生きて 息子が生きて

それぞれが自分の道を選び、自らの足で進む

そして私と彼女の縁は切れていない


そう

娘の人生初LIVE参戦は吉井和哉

あれは2歳の終わり

どんな反抗期でも推し活という共通言語があれば

繋がっていられるかもとあの時から思っていた

彼女は今時のエンタメを熱心に追いかけている

蒔いた種はちゃんと育っている