ネット上で「白高大神」と呼ばれている場所は白高大神ではなく、現在の正式な名称は「瀧川神社」です。白高大神と通称・誤称されていたり、鳥居に「白高大神」の扁額が掲げられようが「瀧川神社」です。各画像のキャプションをご参照。
同地は心霊系YouTuberや心霊系Bloggerに「奈良最恐の心霊スポット」として不当な紹介をされ、逆に広く知られる事となっていますが、実際には白高大神ではない(神理教であった)場所がそれと称されてきました。この修正情報は2年ほど前から発信されています。
故中井シゲノ氏が主宰した「玉姫教会白高大神」は、瀧川神社の南に近接して現存しています。つまり、瀧川神社と白高大神は別々の施設として併存しています。
以下、簡単に区別します。
● 瀧川神社 → 誤称「白高大神」。神理教瀧川道場・行場(後述
● 白高大神 → 故中井シゲノ氏の主宰した本来の「玉姫教会白高大神」。瀧川神社の南に位置。
白高大神の扁額がありますが、
瀧川神社入口です。
瀧川神社は、もともと「神理教瀧川道場・行場」として存在していました。また、本来の「玉姫教会白高大神」は、現在も瀧川神社の南にあり、管理者が時折訪れています。
神理教瀧川道場と玉姫教会白高大神は、昭和の終わりから平成の初め頃に両者とも活動を停止したようです。この事から、両者は昭和期には併存し、それぞれが交流しつつ独立して活動していたのではないかとの推測を、M氏からお聞きしました。活動停止後、建物は廃屋化し草木が生い茂りました。
また、参道入口にある、「白高大神」の扁額が掲げられた大きな鳥居は、地盤の脆弱性により「白高大神の鳥居をその場所にしか建てられなかった」ためそこに建てられたものとの事です。これらの理由から、両者が一括して心霊スポット「白高大神」と見なされたと推測されます。
これら金属製の鳥居は、
神理教の信者であった鉄工所によって作られた事も、
M氏の調査によって判明しています。
再塗装はM氏によって。
M氏とご夫人は2年以上前から同地に入り、荒れた神理教瀧川道場跡地を「瀧川神社」と改名、大変な費用と時間・情熱をかけて現在も整備を続けています。
このような場所を「心霊スポット」などと揶揄することは大変不適切です。「心霊スポット」の悪名を払拭し、瀧川神社の名を広める事がM氏ご夫妻の大きな目標です。
M氏お手製の灯籠。M氏へ協力者をされた
元石清水八幡神社の名も入ります。
中央の「天在諸大神(あめにますもろもろのおおかみ)」が
十八柱の神を示し、神理教の主祭神です。
最近でも、「瀧川神社」と改名されている事を知りながら「白高大神」として、また「心霊スポット」として紹介する記事がアップされたり、建物に瓶を投げ入れる、飾り物を移動するなどの悪質な行為が見られます。M氏は瀧川神社の夜間の立入や撮影を禁止していますが、その禁止事項を無視して夜間に侵入・イタズラをする行為が続いています。
M氏ご夫妻の努力を無にするような投稿は後を絶たず、「復興されてキレイになる前に行く」などと記述するブログ記事まで存在します。このような迷惑な行為は断じて容認できません。
瀧川神社は白高大神ではありません。そしてどちらも管理者がおり「心霊スポット」ではありません。神理教瀧川道場を瀧川神社として復興させようとするM氏ご夫妻の努力を無にしようとする行為は認められません。今後もこの事実を繰り返し伝えていきたいと思います。
私的には「瀧川神社(誤称白高大神)」という表現を使用する事があります。ここをお読みくださった皆様には、瀧川神社と白高大神が別の施設である事、そして白高大神の鳥居をくぐって入る先が瀧川神社であるという認識をお持ちいただければ、M氏ご夫妻も喜ばれる事と思います。
M氏(きーちゃん)は、普段はインスタで多く発信されており、瀧川神社境内にもご自身のQRコードを掲示しています。下記へ🙂
https://www.facebook.com/groups/345671325487737/posts/7722342864487176
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