うちの三兄弟の受験がすべて終了しました。
振り返ってみますと、私は学習塾を経営しているわけですが、子供三人とも高校受験時に塾に通わせたことはありません。
自分の塾にも他人の塾にも。
ついでに言えば、家で私が指導したこともありません。
それで、長男の高校受験時の偏差値68、次男58、三男、62。
まあ、トップ校に入れるのは長男だけですが、三人とも塾に行かずとも平均をはるかに上回る学力でした。
塾に入らずにです。

この実験?からも言えること。
塾に通わなくても、育て方に間違いがなければそれなりの成績は取れる!
そのことを親御さんにはわかっていてもらいたいものです。

ちょっと子供が勉強しない、成績が悪いからと言って、すぐに塾にやろうとするのはどうかなと思います。
それって、自分で努力をしないでお金ですべてを解決しようとしているんじゃないの?
そんなことじゃ、子供の心には響きませんよ。
子供も同じ思考になります。
お金で何でも解決すればいいじゃん。
確かにお金をかければ、大抵のことは代行してくれる世の中ですけどね。
でも、そのお金を稼ぐにはそれなりの頭の良さも必要です。
学力もあった方がより良いでしょう。

頭を使うこともないままに、親のお金で問題を解決してもらっている子供が本当に自分で人生を切り開いていけるのでしょうかね?
そのあたり考えてほしいものです。

で、うちはどうしていたか。
勉強はすべてベネッセのチャレンジをさせるだけ。
それも落ちこぼれてからじゃない。
小学1年生からずっと。
落ちこぼれる前に始めるのがみそ。
そして、毎月確実に添削課題を提出させる。
遅れだしたら、確実に落ちこぼれます。
そのために、毎週確実に進捗管理をすること。
場合によっては、一緒にテキストを読んで考える。
それを低学年のうちからきちんとしていれば、知能指数に難がある子供、学習障害のある子供を除けば、中学に入るころには自力で説明を読んで学習を進められるだけの読解力、思考力、忍耐力が身についているはずです。

ちょっとした、気配りと手間だけです。
それを惜しまなければ子供の可能性は無理をさせなくても広がっていくのです。
自分は勉強嫌いだからと、子供の勉強から目を背けているから、子供はどんどんダメになっていくのだということを忘れないでください。

本当に子供のことを思うなら、しっかりと子供と一緒に学んでやってください。
そうすれば、下手に中途半端に中学からお金をかけるよりも、成果が上がるものです。

三男、無事高専合格で、これで子供たちの受験はすべて終了。

後は子供が働き始めたら楽させてもらいましょう。

さて、うちの三兄弟ですが、

長男は京都大学農学部

次男は都島工業建築科

三男は府大高専

ということになりました。

 

これを見ていてい思ったこと。

こいつら私の人生をトレースしているなあ。

 

私は現役受験生の時の大学の希望は農学部でした。

結局、途中で興味が変わったことと、勉強が受験までに間に合わなかったこともあって、外国語学部になりましたが。

また、小学校の時の夢は大工。

これは私の親父が建設業に従事していた関係で、なんとなくそれがいいな~という淡い夢。

そして、高校受験の時には何となくでしたが、私も府大高専を受験しています。

7倍の競争率を通り抜けて合格しましたが、結局入学は辞退して、普通科の高校に行きましたが、今でもときどきふと思います。

高専に行ってたら、今とは全く違う人生だったんだろうなあ。。。

別に後悔はしていませんけどね。

でも、今より楽な経済状況だろうことは間違いないでしょう。

 

さらに言えば、私が40半ばごろに農業に関心があったのですが、次男は大工をしてお金を貯めたら農業をするそうです。

本当にそうなるかどうかは分かりませんが、子供たちは私が一度は進もうとした道をそれぞれに進もうとしています。

彼らが私の代わりに私の見ることのなかった世界を見てくれるようです。

 

もしかすると、こうやって子供は親の思いをトレースして生きているのかもしれないね。

そういう私も、父親が大峰山の信仰をしていましたが、その影響か吉野の金峯山寺で得度を受けております。

これもまた、父親の気持ちをトレースした結果なのかもしれませんね。

数学死んだ、と次の公立高校受験に備えていた三男。

今日が落ちているの確実とみられていた府大高専の合格発表日。

 

多分落ちているだおろうと言いながらも、一応は合格発表を見に行くと言っていた三男。

もう、気分は次に向かっている様子。

私の感覚では、競争率が例年より大分低いので、四分六くらいの確率で通るかもしれんとは思っていたけど、本人には落ちているだろうと言う態度で接する。

 

私はこの日も普通に仕事。

7時から幼稚園で保育士をして、9時過ぎからはりらくるでセラピストをする。

二時過ぎに終わって一度家に帰ってきたけど、それまで合格発表のことは忘れていた。

そういえばどうなったんだろう?

思い出したら気になりだした。

一時半に学校を出て高専に向かっているから、2時半には合否は判明しているはず。

後は帰ってくるのを待つだけだ。

何やら、ネットでも発表が分かるらしく、嫁が調べていたが、三男の受験番号うろ覚えなので、多分合格しているだろうと、ラインに入っていた。

でも、本人から直接聞かないと、安心できんな。

 

4時前。

三男帰宅。

顔を見ると、いつものようににこにこしている

顔だけ見ても分からん。

「どうやった?」

「ん?合格してた。」

そうかそうか、それは良かった。

 

三男は末っ子ということもあって、甘やかして育ててしまったので、何かと詰めが甘い。

そのために今回の受験でも、大きなポカをして半ばあきらめていた。

これは高校に入ったら、バイトをさせて、社会に鍛えてもらわないといけないな~。

 

とりあえず、合格ということなので、バイトについてそろそろ調べ始めるように言った。

すでに、次のステージは始まっている。

入学後は、定期代、学用品費、身の回りにかかる費用全部自分でまかなわせるのが、うちのポリシー。

高専の5年間で、しっかり社会人としてやっていけるように、鍛えないといこう。

 

とりあえず、今日はおめでとうだ。

昨日の三男の府大高専受験。

帰ってきて言った言葉

「数学死んだ。50点あるかないか・・・」

 

何やら例年よりも難易度が上がっていたらしく、周囲の受験生もかなり慌てていた様子。

三男よ、自分のミスで取れる問題を落としての50点なら、死んだと言うのも分からなくはない。

実際結果も危ういだろう。

 

しかし、自分のミスがなくて、実力通りにしてそれなら、死んだも糞もないだろう。

数学の難易度が上がっていた。

ただそれだけの事。

 

他の科目はどうだった?

一つ一つ積み重ねていくと70パーセントは取れているらしい。

確かに、例年通りなら厳しい得点だな。

 

でもな、自分の力を出し切ってのそれならしょうがない。

それで落ちるのは「死んだ」ことにはならないんだよ。

 

やり切ってダメなのは、縁がなかっただけなのだから。

明日は三男の府大高専の入学試験。

三男が言った。

「あ~やばい。明日大丈夫やろか」

私が聞いた。

「何がやねん」

 

「数学の問題の最後がちょっとひねってることがあって、それができひんかもしれん。」

三男が言う。

「それだけか?」

「う~ん、後はそれなりにできると思う。」

 

私が言った。

「お前、入試で満点取らんとあかんと思ってへんか?」

「・・・」

「あほか、入試は満点取るもんちゃうわ。合格点取れればいいもんや。」

 

そうなのである。

入試で満点を取らないといけない学校など存在しない。

どの学校もその生徒の内申点にもよるが7~8割とれていれば合格だ。一部の学校は9割近く必要かもしれないが。

とりあえず、三男の内申点から行けば府大高専は75パーセント取れれば間違いなく合格できるだろう。

 

「ええか、お前の受ける高校は75パーセントで合格や。高くても80パーセントや。

お前が言っている数学の最後の問題の配点はええとこ20点くらいやろ。そしたら、それ以外の問題を丁寧にミスをしなければ、○○そこを落としても合格点じゃ。入試ではできひん問題は諦めろ。こつこつとできる問題だけを丁寧に答えていけばいいんじゃ。それで落ちたときは最初からその学校に行く力がなかったんやから潔く諦めたらええねん。そう考えてもやばいんか?」

 

「う~ん、そう言われれば、大丈夫やと思うけど・・・」

「それやったら、やばいとか言うな。やばいと思えばできる問題もできなくなる。満点取らなあかんと思えば、一つ分からん問題が出てきたら焦ってしまう。ただ、合格点を取ればいい。トータルで75パーセントあれば良いねん。一つや二つできひん問題があっても、気にするな。溶ける問題だけ解いてこい。」

 

これはいつも教室で受験生たちに伝えていることである。

入試に満点はいらない。

合格点を取れればよい。

合格点がイメージできないなら、70パーセント取れればよい。

それを目指して、1問2問は最初から捨てても良いのだ。

 

気楽に頑張ってきたら良い。

 

 

 

 

ふとした気の迷い。

5年位前に100円均一で買った古本。

今一、ピンとこないがオーラの本らしい。

で、この中で一つだけ役に立ったことがある。

それは、最後の方に願望実現のメカニズムについて言及しているところ。

そこを見ていてふと、ずっと前に読んだ本に書かれていたことを思い出した。

それいがいのオーラーの話は既存のものに自分のオリジナルの見解を足してみました、みたいなもん。

 


だったかな?

 

こっちだったかもしれない。

それを思い出して書いたメモがこれ↓

時間は未来から過去に向かって流れていると言った人がいた。
何を言っているんだと思ったが、何となく分かった。

現在も未来も過去も並存する五次元には、ただ一つの未来が在るわけではない。
無限の可能性の無限の未来がそこにはある。
私たちは、今現在に言葉を発し、意識をある方向に向けることで、その五次元の一つの未来の可能性と繋がることになる。
すると、その未来が今現在の私に向かってやってくるのだ。
それは、決して運命論的な決まった唯一の未来が在るという意味ではないのだ。
今でも、この瞬間に時間は未来から過去に向かって流れている。
そう、今の私の意識に応じた未来が私を迎えにやってきている。

ただ、厳密に言えば、五次元の未来は一つ一つ個別の未来が形となって収容されているのではない。それば空、あらゆるものになり得る可能性としてそこにはある。
それに、今現在の私の意識が投影されたとき、一つの未来が映し出されるのだ。
その未来は、刻一刻と現在の私の意識の投影を受けて姿を変える。そして、その未来が現在に流れ着いた時には、その時の意識に相応しい未来が晴れて実現されるというわけだ
 

成功法則本は世の中にたくさん出ています。

私もよく読みました。

まあ、どれを読んでもそんなに変わりありません。

内容はあんまり覚えていません。

というか、オカルト系のものとある種の行動哲学的なものがありそうですね。

あと、その折衷案てきなもの。

とりあえず、怠け者の私は行動によって成功に近づくというのは面倒なので、あまり好きでありません。

オカルト的な、運をよくするとか、宇宙とつながるとかいうやつが好きです。

ただ、これって私にはあんまり効果がない。

これは私がネガティブな性格だから?

それとも、前世のカルマが現世で苦しみを呼び寄せるから?

 

行動哲学的なものはそれなりに効果があるような気もするけれど、何せ私は我流で何でもする上に飽き性だから、結果が出るまでやり続けられない。

だめだ、こりゃ。。。。

 

そんな時に出会ったのがこの本

当然100円均一の古本です。

しかも、注文カードまで挟まっていたから、これは新本が問屋から流れてきたもの?

とにかく、売れなかったんだろうな。

こんな本に効果があるの?

 

そう思いながらも手に取ってしまいました。

CD付きだよ。

これは、CD流すだけで成功できるってパターン?

いいじゃんいいじゃん。

怠け者の私にはぴったりだ。

しかも100円。

マクドナルドでコーヒー1杯我慢すればいいだけ。

これで夢が買えるなら、安いもんだ。

 

で、内容は、神道の祝詞をボーカロイドに唱えさせれば、場が浄化されて、聞いている人のカルマも浄化されるから開運間違いなし!と言うもの。

本とそれだけの内容だった。

これが本当なら、春からは私もウハウハだな。

成功確定!

 

とりあえず祝詞が好きな私は毎日祝詞をパソコンで垂れ流します。

 

まあ、祝詞が祓うのは穢れなわけで、それは生まれ持った魂の使命を果たしやすくするというのが私の解釈だから、本当に私のエゴにまみれた希望がかなうかどうかは怪しいです。

三男の受験まであと一週間。

私は毎日、外に遊びに行けとけしかけるが、三男は頑として言うことを聞かない。

1日24時間勉強するわけでもないのに、家に閉じこもって何の意味があるんだ?

巷の高校受験生のこの時期の平均勉強時間など現実には良いところ2,3時間だろう。

それくらいなら、日中は遊んでいても何の問題もないじゃないか。

あれこれ気にして家でゴロゴロしていても不健康極まりない。

受験生よ、もっと遊べ。

メリハリをつけた生活をしろ。

 

そんな三男が受けるのは府大高専。

偏差値で言うと60と少しくらいの学校。

今年の倍率は1.8倍くらいかな。

私が受けた35年位前には、7.08倍で偏差値も65近くあった。

時代は馬鹿でも大学に行かせたいという、馬鹿な親によっておかしなことになっていると感じるな。

大学で本当に専門的なことを探求する気のない奴は、さっさと高校出たら働く方が良いのだ。

その方が社会も健全に回るだろうし、本人の勉強にもなる。

中途半端な大学で4年間遊ぶよりも、自分で稼ぐ4年の方がよほど勉強になるぞ。

それに少しでも早く働き始めればその分、人手不足の解消にも役に立つ。

だから、これからは高卒で働く人をもっと優遇すべきなのだ。

分かるか?政治家と官僚よ。

見せかけだけの高学歴社会などくそくらえだ。

 

ああ、話がそれた。

三男の中学(枚方第一中学)は今年3人が府大高専を受けるらしい。

その中の一人が地域の一番塾でそこに通っているだけでもステータスになる進学塾(馬淵教室)に通っているのだが、府大高専に落ちたら府立の普通科の牧野高校を受けるらしい。

しかし、この生徒の悩みは牧野高校は就職率が良くない。

当然だろう、偏差値60ちょっと切るくらいの高校だ。

基本的には進学校にあたり、就職をする生徒はほとんどいない。

そんな学校がまともな就職先を見つけられるわけもない。

なによりも、卒業生には何も手に職をつけられていないのだから、まともな就職先などあるわけもない。

 

ちなみに三男が受けるのは都島工業。

ここの偏差値は50ちょうどくらい。

偏差値だけでみると、牧野高校よりも10近く低い。

だから何なんだ?

就職倍率は10倍を軽く超えるのだ。

しかも、大学進学についても工業系の大学についていえば、偏差値だけで考えれば考えられないくらいの実績でもある。

高校を出て働くというなら、これほどおいしいところはないという学校なのだ。

これは都島工業だけの話ではなく、ほかの工業高校でも就職倍率は同じ偏差値の普通科高校をはるかにしのいでいる。

中途半端な高校に入ってフリーターになったり、底辺の大学を卒業しておかしな仕事に就くくらいなら、工業高校に入る方が何万倍もましなのだよ。

 

多くの大人がその現実を知らない。

親も学校の先生も塾の先生もだ。

 

三男と一緒に府大高専を受ける生徒についていえば、卒業後の就職率について考えているのだから、大学に行く気はないのだろう。

そんな生徒に牧野高校を進めるのはどういう了見だ?

おかしいとは思わないのか?

ここには明らかに学習塾の進学実績作りの論理が働いているとしか思えない。

偏差値50の工業高校に入っても、実績としては意味がないが、偏差値60の高校なら、一応の形にはなるだろう。

それが工業高校を受けさせずに普通科に行かせようという考えにつながっているのだ。

なんやかんやと親をそそのかして、牧野高校を受けるように仕向けたのだろうな。

これはいったい誰のための進路指導だというのだ?

本当に生徒の声を聴いていれば、絶対にありえない選択肢だったと思うのだ。

 

塾がこんなことをしていたら、子供は誰の言葉を信じればいいのだ?

あきれてしまう

 

 

私、神様が見えて、話もできるんです。

そう言って憚らない人がいます。

本人は謙虚なつもりでも、それ言ってしまうと、十分に尊大に見えてしまうのは私の僻み根性のせい?

まあ、同じ神様でも見る人によって全然違う印象になるのは何故?

それは、同じ神様でもつながり先が違うと違う次元のものが出てくるんでしょうね。

それはそれぞれ見えると公言する人の心の次元に関係しているのだろうと思います。

つまり、その人がどれだけ神様が見える、神様とお話しできると言っても、それが唯一の真実とは限らないという意味なのですね。

それを自覚していない自称見える人は、自分が見たもの、聞いたものを唯一の真実と思い込んでいます。

そんな本、増えましたなあ。

これもその一つ。

とにかく、清まる、清める、清い、と清めが大好きな著者

この人によるとこの地球は限りなくけがれているようでして、外出すると汚れに汚れ倒してしまうようで、家にこもるのが良いらしいです。

どうしても、外に出るときは、帰ってくるとシャワーを浴びて清めたりと、ある意味、脅迫症的に心を病んでいるのではないかと思うほど。

まあ、こんな人の言葉でもありがたがる人もいるんでしょうね。

本になるくらいだから。

でも、そんな汚れがいっぱいで人がまともに住めないような世界に人を生まれさせるなんて、この人の言う神様も人が悪いですね。

そして、この方、東京は特にけがれていると言いながら、その東京から離れようとはされず、部屋に閉じこもっていらっしゃいます。

その東京への執着は何なのでしょう。

こだわりを捨てれば、汚れも清浄もない世界が現れるのが真実ではないのでしょうかね?

すさまじい観念の世界を垣間見た気がします。

100円均一で古本が買えるのはとてもありがたいです。

古本って著者には印税が入らないから迷惑なシステムかもしれませんが、消費者特に私のようなコスト感覚に厳しい人間にはありがたい。

でも、最近100円均一は消えつつあり、200円均一に置き換えられています。

ブックオフさん、それで収益は保たれています?

余計な在庫を抱ええることになっていません?

私は100円だったら買ってるけど、200円じゃなあ・・・となることがよくあります。

おかげで最近の本の購入数は以前の五分の一くらいになりました。

定価で買うのは年に1,2冊です。

こういう意識が、私のもとにお金が回ってくるのを阻害しているとも言われるかもしれませんね。

まあ、しょうがないです。

多分私は、そんなにお金がなくてもご機嫌でいられるようにできているようですので。

お金は好きですけどね。

 

で、この本も100円で買いました。

何年前かな。

分からないくらい以前に買って本棚にずっと眠っていました。

著者はクンダリーニヨガと奇跡のコースの内容を柱にしながら、99のちいさな気づきのヒントを与えてくれます。

いくつかは瞑想の仕方であり、いくつかは物の味方のヒントであったり。

そうですね、奇跡とは大掛かりな出来事ばかりではありません。

自分の中で何かに気づいたり、何かが変わることで、世の中の見え方がガラッと変わる瞬間があります。

周りが変わるのではなく、自分の味方が変わるんですね。

どちらが変わっても、受け取り方が大きく変われば、それは自分の生きる世界が大きく変わったということに変わりがありません。

それはまさに奇跡。

そんな奇跡の可能性が盛り込まれが本でした。

これが100円なのは安い。

でも、多分200円なら買っていないかな?

じゃあ150円?

それは、一人一人が決めればよいことです。

何よりも、私がこれを古本屋で買っているということは、誰かが定価で買っているのですから、その人にはその価値があったのですね。

それはそれで、納得できます。