先月中旬、体重計に乗ると、3、4kg増えていて慌てた。

 それで、一切のスナック類を間食として食べることを止めると決心した。

 もう一つ、何でも良いから、運動をするということも決めた。


 そして、1ヶ月余りを経ての結果である。

 スナック類は全く食べなかった。それまで、時として、絶えられないほど口にしたいと思った「柿の種入りピーナッツ」にも、見向きもしなかった。

 トマトとグレープフルーツは食べた。大抵、どちらかを1日に1回、口にした。トマトなら1個、グレープフルーツなら半分が1日の食べる量である。砂糖少々を振りかけた上であるが。


 運動はほとんどしなかった。テレビ体操のビデオも採ってあるのに、全然見もしなかった。

 ただ、暑い最中をクーラーに頼って、汗をかくことには背を向けた訳である。


 要は「しないで済むことは実行した」が、「しなければならないことは実行しなかった」という最も安易な過ごし方で終わったのだ。


 一昨日午後、高血圧を抑える薬が切れたので、いつもの医院に行った。

 小児科もある医院なので、子供の夏休み中は患者も多いだろうと、診療開始30分前に着くように出掛けた。さすがに、車は1台も止まっていなかった。

 尿検査、血液検査、それと心電図を採ってくれた。体重計にも乗った。食事前だが、2kg程度は減っていた。医者も、まあ良かろうと言ってくたので、良しとしよう。


 まだ、残暑は厳しいが、少しでも体を動かさなくてはならないと思う。

 テレビ体操は、とにかく始めよう。9月になれば、週に1、2回はゴルフの打ち放しにも行きたい。

 11月3日には、高校同期のゴルフコンペがある。体力を付けて、球筋を是正しておかねばならない。いつもいつも、無様なスコアでは情けない。少し長期計画でスコアアップに努力してみよう。


 予定を立てたり決心することは、昔から得意だが、実行が伴わない。これで小学校以来、40数年やって来た。今さらと思うが、とにかく決心した。


       《フリーセル:セルレスルールのフリーセルナンバー》

         346  2985  5359  11985  15829  18890

         20666  22249  29944  32556

 一昨日のテレビのローカルニュースで、同郷の人を見掛けた。

 同郷と言っても、遠く離れている訳ではない。

 ほんの20kmばかり先の、生まれ育った田舎のことを言っている。だから、指呼の範囲に入る位に近いところに住んでいた人のことである。


 その人は、ある樹木の剪定を指導する“樹木医”という肩書きで、登場していた。

 テロップで姓名も流された。だから気付いたとも言える。昔見た面貌と変わっていて、テロップがなかったならば、気付かなかったかもしれない。


 私とは、年齢がかなり違う。

 というのも、彼は、私と同級生だった友人の長兄であり、間に3人の兄姉があったからだ。

 その友人の家には良く行ったから、彼の兄姉の顔は、今も思い出すことが出来る。特に姉の顔は印象深かった。目鼻立ちがはっきりしていて、利発そうで、野性的な感じの美人だった。


 友人は、末っ子らしく甘ちゃんだったが、“樹木医”の彼は違った。寡黙だが、芯の強そうな人に思えた。小中学生だった私には、少し怖そうにも見えた。


 ついでに、もう1人を思い出した。

 私の家から2軒隣の、私よりは1つ年上の知人である。男ばかりの4人兄弟の3番目だった。

 年が近いから、一緒に良く遊んだ。近所では、一番親しかったと思う。


 10年どころではないほどの随分前だが、新聞の記事に、偶然にも、彼の名前を見つけたことがあった。

 交通死亡事故の当事者として載っていたのだ。死亡した側ではなかった。

 記事からは、ざっとした原因は分かったが、責任の所在等の詳しいことは読み取れなかった。その後は、目に止まることがなかったから、それっきりになってしまった。私の親兄弟にも尋ねたことはない。


 身近にいた人の名前が、このような形で目の前に現れたことは、私にはショックだった。今も忘れることが出来ない。


 テレビのニュースから、田舎のことが思い出された、という話である。

 暇を潰すには、フリーセルや“四川省”は手頃である。


 “四川省”は、学生の頃、友人から教えて貰った。30数年前のことだ。

 ほとんどがそうであるように、麻雀をやろうにも面子が揃わないか、面子を待っている時の時間潰しが、教わる機会となる。


 彼の昼なお薄暗い下宿の、テーブル代わりに置きっ放しになっている炬燵の上で、麻雀牌を裏返し、几帳面に並べることから始まった。並べ終わったら、今度は、それを崩さずに表返す。

 ルールは至って簡単である。一度教われば、誰にでも出来る。

 そして、麻雀牌さえあれば、1人で遊べるのも良い。気が滅入っている時には、一晩中、このゲームに没頭したこともあった。


 彼は、そのゲームが“四川省”という名で呼ばれていることを教えてくれなかった。彼も、知らなかったのかも知れない。

 しかし、その代わり、彼は、あることを教えてもくれた。途中で行き詰った時、「ルールを少し緩める」ことである。

 ルールは、「2度の曲り」しか、許していないが、「一時的に3度の曲りを許す」のである。

 そうすると、全ての牌が裏返って成功裏に終わる。たとえ、また行き詰っても、その度に緩和で救済してやれば、成功となる。

 実際の麻雀牌でゲームを楽しむ場合には、この「ルール緩和」は仕方ないことであると思う。何しろ、パソコンで遊ぶ時のようには、リプレイもリセットも容易ではないのだから。


 パソコンに向かうようになって、“四川省”を手軽に楽しむことが出来るようになった。

 一時、パソコンから追い出したこともあった。

 「暇な時間をゲームで潰す」ということが、「全ての時間をゲームが潰す」という事態になったからだ。これでは本末転倒である。ここに至れば、強制的手段を採らざるを得なかったということだ。


 今は、そこまでの付合いではなくなり、適当に楽しませて貰っている。

 もちろん、「ルールの緩和」は絶対に許してくれないことを承知してではあるが。


 “四川省”と名付けられた経緯を知りたい。教えて頂ければ幸いである。

 映画“薔薇の名前”を、レンタルビデオで見た。

 2度目だったが、ラストの辺りは初めて見たと言って良かった。全然記憶になかったのだ。


 最初の時に、単なるサスペンスドラマとして見れば良かったのかも知れない。そうすれば、無事に事件解決ということで、済ませることが出来たはずだ。

 しかし、何しろ、私から見ると、異教徒の話である。

 事件の真相を隠して、犯人を悪魔にしてしまう理由・背景がはっきりしない。

 同じキリスト教徒であるにも拘らず、どうも対立しているようである。

 修道院の内側での出来事だが、修道院そのものが良く分からない。


 全く予備知識を持たないで見たものだから、以上のような疑問が先立ってしまい、話に没入出来なかった結果、結末までも忘れてしまったのである。

 そこで、理解の手助けになればと思い、お節介をする。


 事件が起こった年は、1327年、14世紀初頭である。

《ベネディクト会》

 舞台となった修道院は、ベネディクト会に属している。6世紀にイタリアのベネディクトが執筆した戒律を守る修道院の集合体。8~12世紀の西欧のほとんどの修道院の規範となった戒律を持つ会派で、中世前半の欧州の社会や文化に大きな影響を与えた。

 この時期は、新興勢力の拡大に抗するだけの権威主義的巨大組織だった。老ホルヘ師の「我々は知識の保存に努める。探求ではない」の一言が古い学問観を示している。また、これが殺人を犯す動機でもあった。

 ラストの修道院炎上シーンは、新旧会派の交替を象徴しているようだ。


《フランシスコ会》

 ショーン・コネリーが扮するウィリアム修道士が属する会派。

 13世紀初めに、フランチェスコが創立。一箇所に定住せず、各地を移動しながら、説教や奉仕活動を行う。民衆の支持を獲得、人気は今に続いている。

 教皇から異端審問を託されていた。ウィリアム修道士が、修道院長から事件の真相究明を任される根拠にもなっている。


《ドミニコ会》

 異端審問官ベルナール・ギーが属する会派。

 フランシスコ会と同時期に、ドミニコによって創立された。

 教皇からの勅令により、異端審問の権限を得る。異端審問に奔走し、「神の番犬」の別名もあった。火刑等を行ったことで、民衆から受けた反発を、ラストの審問官遁走に象徴させているように思われる。

 なお、映画とは直接関係ないが、ベルナール・ギーは、14世紀初頭に実在の人物である。


《枢機卿》

 映画では、教皇の代理として会合に出席している。この時期、フランシスコ会と険悪な関係にあった。炎上する修道院から急ぎ逃げ出して行くのも、教皇の権威失墜を暗示しているようである。


 以上は、日本放送協会「ヨーロッパ中世の修道院文化」(杉崎泰一郎)からの引用である。

 映画“薔薇の名前”の理解には、大いに役立った。感謝。

 幼い子がいると、大勢の人が楽しむ花火大会に行くのは、なかなか難しい。


 一番下の子が、3歳になった時、ようやく家族全員で花火大会に行くことになった。

 3歳と言えば、一応話も通じるし、物事も理解出来る年である。ある程度の時間も我慢出来るであろう。大きな花火を見て喜ぶかも知れない。そう考えて、行くことにしたのだ。

 それ以前には、花火大会を家族で楽しんだと言う記憶がないから、初めてのことだったかと思う。


 会場は、5、6㎞先の河川敷きである。一家5人の場所取りを考えて、早めに家を出た。

 雑踏を避けるため、会場からはかなり離れたところに座る場所を確保した。花火が打ち上げられるまで、ビニルシートを敷いて、座って待つことにする。


 廻りにも、人が段々に増えて、打ち上げの時間も近づいて来た。

 離れた場所にいるから、会場の催し物の様子は分からない。区切りの時間が、打ち上げの時間だと察するしかない。


 時計が8時を指す。花火の打ち上げ開始の時間だ。

 ドーンという音が聞こえる前に、予想していた方角の斜め上空に、花火が開く。

 音と花火が逆になるのも最初だけだ。一旦始まってしまえば、音と花火の区別なんか付くものではない。


 「帰ろう!」「早く帰りたい!」

 いきなり、下の子が言い出した。泣き叫ばん限りの表情である。怖がっているのだ。

 「大丈夫だよ」と、なだめようとしたが、聞く耳なぞ、もう持たない。


 仕方ない。早々に立ち去ることにした。

 私もだが、上の2人の子は、とても残念そうだった。


 こうして、最初で最後の花火大会は終わった。

 その後は、庭での家庭用花火を楽しむだけだった。

 私は、映画を観る前に、出来るだけ、その映画の“あらすじ”を知りたいと思う。

 映画館で観る場合でも、レンタルビデオやテレビで観る場合でも同じである。


 それは、テレビドラマについても同じだ。映画を観る時の癖からかも知れない。


 どうしてそうなったのだろう。

 映画は、限られた時間の中で、ストーリーが展開される。だから、ストーリーの背景とか、登場人物についての長ったらしい説明は出来ない。

 説明は簡潔であり、一度聞き逃すと取り返しがつかない。そうすると、ストーリーの繋がりに付いて行けなかったり、後の展開が読めなくなる。

 洋画だったら、字幕がなければお手上げだが、字幕は字数が限られるから、話を端折っているはずである。

 私は、それらが嫌いなのである。

 ストーリーも、紹介記事に書いてある程度の“あらすじ”は、事前に分かっていても、全然大丈夫だ。


 テレビドラマの番組紹介は、必ず目を通す。ストーリーの流れが分かっている方が、安心して見ていられるからだ。


 こうまで強調するのには、訳がある。

 映画の好きな女性がいた。気に入りそうな映画が上映されていれば、毎週だって連れて行ってくれた。

 彼女は、週刊誌の映画の案内は見るが、それは、題名と評者が記す☆印の数までで、それ以上は絶対に読もうとしなかった。話しさえ聞かなかった。そういう女性だった。

 とにかく、徹底していた。少しは英会話が出来たからかも知れないが、邦画についても、同じだったから、全く白紙の状態で観たかったのだろうと思う。確かに、食い入るように一生懸命観ていた。


 このことについては、他人に尋ねたことがない。世間ではどちらが多いのだろうかと、ふと思った。

 大抵の週刊誌や雑誌等には、あらすじ付きの映画紹介があるし、テレビにも番組紹介がある。

 だから、予備知識を頭に入れてから観る、という人が多いのではないかと思う。


 そうは言っても、一旦観始めれば、“あらすじ”なんかは、忘れてしまっているが。

 先日、ビデオ屋で、目当てのビデオを探している時に、「トップガン」を目にした。

 20年前のトム・クルーズのデビュー映画である。

 幾度となく見ているせいか、とても20年も経っているとは思われないが、確かに1986年の公開作品だ。


 余談だが、翌年、上の子が中学生になった時、掃除の時間に、「トップガン」のテーマミュージック“デンジャー・ゾーン”が流されていたそうだ。さぞかし、掃除が捗ったと思う。


 その映画のある場面に、埃っぽいバーが出て来る。

 バーの片隅、でもないが、その店の中の壁際に《ジュークボックス》が置いてあるのを目にする度に、懐かしく思ったものだ。


 学生を始めたばかりの頃、大学のすぐ近くの喫茶店に、そのジュークボックスが置いてあった。

 1曲50円だったが、100円入れると3曲聴けた。

 学食では、50円玉1個出してハヤシライス1杯を注文すると、5円玉1個が返って来た。

 市内バスの均一料金が20円、市内電車なら乗り換えても15円、タクシーの初乗り料金が80円の頃の1曲50円は、かなり高い。コーヒーの値段は忘れた。


 ジュークボックスの側のテーブルに座る。対面には、高校3年の折、同クラスだった友人がいた。男だった。専攻は違ったが、同じ工学部生だった。とにかく、いつも彼がいた。お互いに寂しかったようだ。

 映画を見たり、他の友人とは麻雀をしたり、ビリヤードで暇を潰したが、どういう訳か、彼とは他にすることがなかった。

 聴いたのは、大抵、ポップスかフォークソングだ。「恋は水色」の全盛期だった。

 他ははっきり覚えていない。私と音楽の付合いは、その程度のものであるが、それでも十分に息抜きにはなった。


 しかし、ジュークボックスとの付合いは短かった。1年余りのことだったと思う。


 大学の内外が、学生運動で騒々しかった頃の思い出である。

 一昨日の寅の刻、すなわち夜明け前だが、買物に出掛けたついでに、レンタルビデオ屋に寄った。

 ショーン・コネリーの「薔薇の名前」を、じっくり見てみたいと思ったのである。


 ビデオ屋は、大きな本屋の2階に併設されていて、24時間営業している。

 久し振りの店内は、陳列棚の配置が全く変わっていて、初めて入った店のようだった。

 目的の「薔薇の名前」は、直に見つかったが、一番下の棚にあった。2本あって出版元は違うが、どちらも同じ内容のようだ。違ったら怖い。

 20年前の映画で、我々には分かりにくい修道院が舞台となっている。だから、話の内容も、大筋は分かっても細部は理解しにくく、しかも画面は暗い。今では余り人気がなくて、待遇も悪いのであろう。

 最近、修道院に纏わる小説と、ずばり修道院の解説書のような本を読んだ。どの程度に理解が進んだかは不明だが、この新たに仕入れた知識で以って、今一度、「薔薇の名前」に挑んでみたいと思ったのである。

 DVDではないので、頭出しが不自由だが、巻き戻しと早送りを繰り返して、とにかく思いを遂げたい


 その後、題名も内容も分かっているが、そしてテーマ音楽も有名であるが、一度も見たことがなかった「ブーベの恋人」を見つけたので、これを手にした。

 今日は、主に昔の作品にしよう。

 次に、これも初めての「カサブランカ」を探した。棚の一番下に、3本もあった。新しいそうな1本を引き抜いて手に持った。


 2本共、ビデオである。それで、もう2本はどうでも良さそうなDVDにした。1週間で5本を、根を詰めて見るのは辛い。

 そして、3本のビデオだけよりは、5本にして借りた方が安いからである。


 カウンターのお兄さんに、更新手数料210円を含めて、1260円を請求された。


 久し振りのビデオである。楽しみたい。


         《フリーセル:セルレスルールのフリーセルナンバー》

           1081  2215  7607  10107  13793  19201

           21013  23078  26146  27737

 最近、正午頃の1日に1個のトマトが、おやつになっている。食事代わりかも知れない。現在、私は朝夕の2食派だからである。

 トマトとの付き合いは、月初めに、トマトの話題をテレビで見たのが発端だった。


 食料品の買出しのついでに、3個か4個入りパックを、1つ買って帰る。

 1個は、握りこぶしをほんの少し小さくした大きさだが、全体が真っ赤に色付いている。以前には、“完熟トマト”とか言っていたと思う。100円近い値段が付いている。


 冷蔵庫で十分に冷えたトマトを、6つに切り分けてから、砂糖を振り掛ける。

 私は、砂糖党である。テレビでは、塩党もいたようだ。

 私を育てたのは、祖父母である。どうも、甘やかされて育てられたようで、梅干にも砂糖を掛けていた。


 最初は砂糖を掛け過ぎてしまった。確かに美味しいのだが、糖分の取り過ぎだと気付いて、今は控えている。

 1個を6つに切るのも、明日からは考え直そうと思っている。半分にするのは簡単だが、その半分を3つに切り分けるのは、ちょっと難しい。最初の1つが大きくなったり、小さくなったりすると、1切れを一気に口に入れるのが苦しくなるのだ。


 私は、トマトジュースを飲むことが出来ない。何故だか、はっきりこうだからとは言えないが、とにかく、駄目である。ミックスジュースなら大丈夫だ。

 世間でも、トマトは好き嫌いの激しい食べ物だと思う。


 トマトを“食べ物”と書いた。トマトは、果物、それとも、野菜。一体どっちなのだろうか。

 サラダとかピザに入っているなら野菜、それだけで食べる時には果物だと思っている。それが私の分類方法である。


 田舎育ちの私は、畑のトマトなぞ見向きもしなかった。いくらでも大きくなって来るのだ。

 今は、店に行かないと手にすることも出来ない。そうなると無性に食べたくなる。

 人間とは、無い物ねだりする生き物である。

 今日、8月15日はお盆である。

 仏教では、父母や祖先の霊を供養する日となっている。暦の関係で、地域によって異なる日がお盆であったりするが、多くは今日である。


 そして、太平洋戦争(大東亜戦争)の終戦記念日でもある。

 未だ、軍部の反対もあった中で、昭和天皇の決断による玉音放送を潮に、ポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した日である。

 敗戦記念日とは言わない。同じように、戦後処理のため、我が国にやって来た連合国軍は占領軍ではなく、進駐軍と言った。

 せめてもの矜持であったのであろうが、今に至ってもなお、戦争責任を曖昧にしている元凶の一つだと思う。この戦争責任論争は、この先、永遠に続くであろうと思っている。


 さて、8月15日に降伏することは、どのようにして決まったのだろうかと、いつも考える。

 米英中3カ国が、ポツダムにおいて、我が国に対して無条件降伏の勧告を宣言したのは、7月26日である。

 なお国体護持であるとか、徹底抗戦を唱える軍により、宣言は無視された。そして、米軍による8月6日の広島原爆投下と9日の長崎原爆投下、続いてソ連の対日参戦となった。

 もしも、祖先の霊を祀る8月15日という日がなかったならば、まだ、降伏受諾は先に延ばされて、もっと多くの人が犠牲になったのだろうか。

 8月15日という日があったから、この日に降伏することが都合良かったのだろうか。それでは、20日余りの間の多くの犠牲者は救われたものではない。


 日露戦争に勝利して手に入れた満州権益は、軍人多数の犠牲との引き換えである。だから、「彼らの死を無駄にしてはならない」という論理を生む。如何にも“正論”に思える。

 満州権益を守るということを大儀名分に、泥沼の日中戦争へ突き進む。そして、欧米との間に軋轢が生じる。

 泥沼化したが故の多くの犠牲が、軋轢を衝突已む無しへと変えて、勝敗を考えない太平洋戦争に突入させた。

 犠牲が多ければ多いほど、それを「無駄死にさせない」という一念をより強固にする。これでは、「降伏する」なぞということは口にも出せない。

 

 やはり、あの不幸な原爆と8月15日があってこその降伏だった、と思わざるを得ない。

8月15日がお盆であって良かったと思う。お盆が半月早ければ、なお良かった。7月15日でも良かった。いくら思っても切がない。


 この度の、イスラエルとレバノン=ヒズボラを見ればよく分かる。

 ヒズボラによるイスラエル兵士1名の殺害と2名の拉致が、一般民間人を含めて、双方1200余りの犠牲を生むことになったが、なお、当事者には戦闘を止めることが出来なかったのだ。何と愚かなことか、と傍目には思われるが、これが現実なのだと思う。