自分の背中を、直接見ることは出来ない。

 痒くても、自分の手が届かないところもある。


 私の背中の特定の箇所に、脂肪が溜まる。取っても取っても、いつの間にか溜まる。

 背中に回した手の指でなぞっていくと、そこの1点が、ポツッとしているのが分かる。

 溜まり具合も分かる。

 ロボットの手なんかでは、及びも付かない感覚であろう。大したものだ。


 そろそろだなと思ったら、搾り出してくれるように頼む。


 両の手の親指の爪で、押し出しているのが分かる。

 そして、爪に乗せた脂肪を見せて貰う。


 その脂肪の塊は何かの卵に見えることもある。

 容器から搾り出したマヨネーズのようなときもある。


 快感である。

 搾り出す、そして、それを見ることに言い知れぬ喜びがあった。


 ふっと思いついて、手を背中に回してみる。

 手に当たった。そう言えば、長いこと放って措いたな。


 そして、その直後、背筋に冷たいものが走った。


 今は一人なのだ。 

 誰が搾り出すのだ?

 手が動かなくなったら、もう永久に取れないのか?

 見ることも出来ないのか?


 背中のことだけに、本当にゾッとした。

 少しパニックってしまった。


 情けなかった。

 暇を持て余して、パソコンの「スタート」クリックから、ゲームを良く楽しむ。


 そして、“フリーセル”の自分なりの遊び方を発見した。


 ルール通りに遊ぶと、大体成功する。

 ここ3年余り、ルール通りに遊ばないから、正確なところは分からない。


 ルールは、普通は次の通りだ。(実はこれさえも曖昧である)

  ①一時的に不要なカードは、左上の枠に預けて置くことが出来る。

  ②右上の枠には、Aから順に重ね置いて行くことが出来る。


 このルールで遊ぶと、成功し過ぎて、ゲームとして面白くない。 


 そこで、私は、自分に下記のようなハンディを課したのだ。

  a)左上の枠には、カードを一切置かない。

  b)右上の枠には、Aから自動的に重なるに任せる。

 

 要は、この左右の両枠に、人為的にカードを置くことを止めたのだ。


 スタート状態から、ルール通り、重ねることが出来るカードがあれば、移動して重ねて行く。

 その時、Aが一番上にあれば、他のカードを1枚でも動かすと、そのAは右上の枠に勝手に飛んで行く。Aが行くと、次は2が飛んで行く、という具合だ。

 とにかく、重なるカードを探しては移動して行くだけである。移動する時には、先を読んで、次に重なるように考えなければならない。

 もちろん、カードは1枚だけではなく、つながっていれば5枚までは大丈夫である。 


 この私製ルールに則ってやると、全てのカードを右上の枠に納めることが出来る確率は、1割にも満たないであろう。1日試みても、出来ないこともある。


 1枚も動かすカードがない場合もある。

 3、4枚移動するとお手上げの時もある。


 成功への足掛かりとも言える秘訣はある。

  1)まず 「1列の空き」 を作ることである。

  2)そして、この 「1列の空き」 を確保し続けて行くことである。

  3)「1列の空き」 を左上の枠と同様に、一時的保管場所として利用する。

  4)次は 「2列目の空き」 を作ることである。

  5)「2列の空き」 が出来れば、成功に大きく近づく。

  6)右上の枠に、自動的に飛んで行くように考えることも大切である。


 「1列の空き」 や 「2列の空き」 が出来ても、途中で行き詰まることがある。

 しかし、「空きの列」 が出来れば成功の確率が大きいので、途中で選択枝があった場合には、《元に戻す》か《やり直し》で前に戻って別のルートを試みる。そして、様々に可能性を探るのである。

 後は経験を積むしかない。


 これは、大変根気のいる頭脳ゲームになる。ゲームではなくなるかも知れない。


 しかし、一度、これに嵌ると怖い。もう、元には戻れない。


 こうして、私は、数にして 300程度 をクリアすることが出来た。

 たとえば、150、856、1922、4126、9362、11637、16067、20626、26211、32204 等々である。

 これは、《選択》で選び出すことが出来るゲームナンバーである。


 私は、自分の努力の証として、そのナンバーを全て書き留めたのだ。


 300のナンバーは、血と汗と涙と、そして 暇の結晶 である。

 先日、3ヶ月振りに散髪に行った。今年に入って2回目である。

 昨年の暮までは、1ヶ月半から2ヶ月の間隔で行っていた。同じ散髪屋である。


 間隔が長くなったのには、理由がある。


 この散髪屋は完全予約制である。それが気に入って通うようになった。何しろ、待ち時間がない。それに、前の事務所からは歩いて5分で行けた。


 予約制だから、店の玄関口に駐車スペースが1台分あるだけだ。パーマもやっているが、まあ、それで足りるのだろう。

 以前は近くに借りていたのだが、客が減り、経費削減策として、店の部分を奥に押しやり、駐車スペースを確保したということだった。

 それだけに、少し狭い。

 店は、少々狭くなっても、お兄さん一人でやっているだけだから十分だが。


 “事件”は、昨年暮に起きた。


 私は、いつも車で行っている。

 私は、駐車場から道路へ車で出る場合、絶対に前進で出ることにしている。

 それで、その狭いスペースにバックで車を入れることになる。


 もう、良いかな、と思ったその時、バギッと音がした。

 左奥にあった自転車に車が当たったのだ。ハンドルの柄が、テールランプに突き刺さっていた。ランプそのものには怪我はなかった。


 確かに私の不注意だ。

 しかし、あんなところへ自転車を置くなよ!


 車は排気量2000ccだが、3ナンバーのステーションワゴン。前の車より大きい。

 私は、この車を少々持て余している。新車1月目に、駐車中の身内の車と擦った位だ。

 それやこれやで傷だらけだ。修理にいくら掛かるのか、怖くてとても直せない。


 椅子に座って、髪にハサミを入れ出しても、お兄さんの口からは、そのことについては何もない。いつも通りの世間話に終始している。

 私は修理費が気になって、それどころではない。

 しばらくの間、少し不貞腐れていたが、やはり、一方的に私の非で終わりそうな雲行きだ。


 お互いに、そのことには触れないまま、私は店を後にした。


 傷口は透明テープで塞いだ。水は浸入せず、当面はそれでやり過ごすことにした。


 それから1ヶ月余り後のことである。

 2月初めの夜、遠方の町の広い道路を右折していて、中央分離帯の突端に前輪を乗り上げた。不注意だった。


 幸いにも、行き帰りは出来たが、帰ってから、駐車場で動かなくなった。

 近くの販売会社の出店に電話して、すぐ来て貰った。前輪の受け金物が曲がっていた。彼らはその場で応急措置し、転がして持って帰った。

 夕方までには直ったが、修理費は3万5千円も掛かった。


 ついでに、テールランプを取り替える費用を尋ねた。

 約1万5千円掛かると言う。


 散髪1回4千円だから、4回分だ。


 「よし、その4回分を、2年で取り返してやる」


 それで、3ヶ月に1回のペースになった。

 この調子で行くと、お釣りが出そうだ。


 散髪屋のお兄さんは、もう気付いているかも知れない。


 あの時、「修理費は店で持ちましょう」と気持ち良く言ってくれていたら、私はその義に感じ入って、毎月行くようになったと思う。

 “損して得取れ”は、「商売のいろは」ではないか。


 しかし、“他人の手にある1万円よりは、自分の手にある1千円”が正解だろうか。


 どちらを選択するかは、人間性によるが、相手があることだから難しい。

 ワンルームの設計は、予想以上に、なかなか手間の掛かる仕事である。


 1部屋は、ほとんどが、20㎡弱から30㎡程度までの広さである。

 この中に、居間兼寝室、キッチン、洗面、バス、トイレ、洗濯、玄関、それに収納部分と、一般住宅と同じ要素を取り込まなくてはならない。


 居住の中心である居間兼寝室が広いことは、誰しもが望むことであり、それを図面上で確保するのが、意匠屋の腕の見せ所である。


 限られた中で、居間を広くすると、当然、水廻りに皺寄せが行く。

 その結果、洗面、バス、トイレは、ホテルのように、一室にユニット化されてしまった。


 しかし、最近は、日本人特有の清潔好きのせいか、洗面、バス、トイレが別々になった部屋の需要が多いという。特に若い女性にその傾向が顕著だそうだ。


 私自身が振り返って見ても、ワンルームの設計は、ここ12、3年の経験であるが、この3点をユニットにまとめたことはない。洗面とバスを一緒にしたことはある。


 残念なことに、設計者は、ワンルームでもファミリーマンションでも、実際に住んでいる人の意見、要望等を直接に聞く機会が極めて少ない。

 デベロッパーや仲介業者の注文を基に、設計に当たることが多いのが実情である。


 また、私自身に話を戻すと、4年半前からの2年間半はマンションの、そして、それから現在までの2年間はワンルームの住人である。一戸建てに長く住んでいたのだ。

 マンションに住んでみて、自分のマンション設計に至らない点が多数あったことに気付かされた。申し訳ないと思う。


 ところで、現在、住んでいるワンルームは、洗面、バス、トイレの3点が一室である。いわゆるホテルタイプである。

 入居は、賃貸料、部屋の広さ、駐車場、ネット接続、ロケーションで決めたのであって、水廻りは結果であった。


 気を付けることと言えば、トイレを使った後の入浴は、しばらく時間を空ける位のことだ。入浴と言っても、私の場合はシャワーだけだが。

 歯磨きと洗面は、キッチンでしている。


 しかし、利点の方が大きいことが分かった。


 第一に、トイレの掃除が楽だ。シャワーを使いながら、洗えば良いからだ。


 第二に、小便が容易だ。これは、大発見だった。


 男にとって、あの洋便器に用を足すことは、大変な難事業である。


 50cmの高さから、25~30cm余りの楕円形の穴に、周囲に撒き散らさないように、注ぎ入れるということは、はなはだ難しい。

 まず最初は、どこに行くか分からないから、全神経を集中する必要がある。

 途中でも、気を緩めることなく、絶えず方向を制御しなくてはならない。

 終了間際も、勢いが弱くなるに連れて、体を前に移動することも重要だ。


 この一連の行為を、1日に何度もやる訳である。


 それでも、以上は、普通の場合である。


 朝、起き立ちに、どうしても用を足したくなることがある。

 そんな時に限って、“普通ではない”のだ。そうして、大失態をやらかすことになる。

 男とは何という生き物なのだ、と悲嘆にくれながら、便器とその周辺を掃除する羽目になる。


 その時、私は発見した!


 隣に 大きな容器 があるではないか!

 バスタブである。


 それからの私は、用足しの緊張感から、開放された。

 シャワーを流しながら、心置き無く、悠々と放水している。


 「これこそ、男の特権である」、と一人悦に入っている。


  * 一人悦に入っても、世間からは、非難轟々で、大顰蹙を買い、総スカンを食うか

   も知れない ・ ・ ・ 


  * 半月の間、何を措いても、それこそ仕事をほったらかしても、このブログと「あの

   ブログ」 の二つを、とにかく毎日書いた。ネタは2つがダブっただけだ。しかし、そ

   れなりに全部書き直したものだ。

    月も変わったことだ。もう、半月、頑張ってみる。

 ここに辞書がある。

 「新明解国語辞典 第三版」(三省堂)で、裏表紙を捲ると、「1987年(昭和62年)第48刷発行、定価2000円」とある。初版は1972年(昭和47年)。


 今の時代、ネットで探せば済むようなものだが、四六時中、電源が入っている訳ではないし、これはこれで重宝している。


 もちろん、国語辞書だけではないが、誰しも中学校、高校、大学へと進級する度に、それなりの辞書を揃えたはずである。

 家庭にも、ビジネスにも必需品であるに違いない。


 嬉しいのは、中学校での最初に手にした辞書である。

 そして、丁度思春期で、それらしき語彙を探しては、読んでみたくなる。たとえば、「恋愛」とか「性交」とか。

 それは、辞書が新しくなる度の楽しみともなるのである。


 さて、「新明解国語辞典」である。仕事場用に買ったものだ。20年近く前のことだ。


 習い性に従って、まず、「恋愛」を見る。

 笑った。今までに、こんな辞書は無かった。

 こうである。ちょっと長い。長いが引用する。


  《恋愛》 特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来る

       ことなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられ

       ないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態


 ここまで親切丁寧なのは、初めてだ。


  《性交》 成熟した男女が時を置いて合体する本能的行為


 時代を読み取れるような訳である。最新版では変わっているかもしれない。今は時を置かない。


 ちなみに、同じ三省堂の「新小辞林」では、どうということもない。

  《恋愛》 男女がお互いに慕わしく思うこと(気持ち)

  《性交》 男女の性の交わり 交接 房事


 この手のものばかりではない。

  《手締め》 物事の決着や成功を祝って関係者一同が掛け声に合わせてする拍手。

         シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャンシャンシャン、シャンと聞

         こえるように調子を取る


 手拍子が聞こえて来るようではないか。


 決していい加減な辞書ではない。なにしろ 三省堂 なのだ。 

 著者には、金田一京助・春彦親子他3人の名前もある。

 《序》に、「見出し語の安易な多収を避け、寧ろ語釈の、真の意味における充実を専ら心掛け、斯界における革命を図った」とある。

 意気込みが尋常ではなかったのだ。

 もちろん、ほんの一部の語彙に限られている。奇特な著者があったのだろう。


 ネットで見ると、現在は6版、累計で1950万冊を売上げ、高校では3割のシェアを誇ると言う。目にした人も多いはずだ。


 10年位前に、「文藝春秋」の巻頭コラムだったと記憶しているのだが、この辞書を、同様な趣旨で紹介している方があった。


 私と同じ思考の人があるものだと、妙に親近感を覚えたものだった

 昨日の朝のニュースにはびっくりさせられた。


 自分を主体に考えると、こういうことだ。

 「一級建築士の資格所持者に構造に関する試験を課す」


 以下、戸建木造住宅から、100階建ての建物まで設計が許されている一級建築士について書く。

 許されていても 可能であるとは限らない。100階建ての建物が一人で設計出来る訳がないが、法律上は一人の判子が必要十分条件である。


 建物を建てるには設計図を書いて、その設計図を有資格者の名前で審査に付し、建築確認というお墨付きを得ることが必要である。審査は特定行政庁や民間検査機関が行う。

 設計は、意匠、構造、設備の各担当が、関係法令や基準に適合するように英知を絞って行う。設計をリードするのは意匠担当であり、法律上は全責任を負う。

 これが話の前提である。


 そして、昨日の朝の“とんでもないニュース”に戻る。


 再試験を課されるのは、あの男が、自分の構造設計能力不足を隠して、仕事からあぶれないようにするために、耐震偽装をしたからだ。


 そして、国交省が、耐震偽装を見逃した行政庁や民間検査機関の責任を、我々に転嫁しようとしているからだ。

 能力不足の点から言えば、こちらの方が、余程深刻である。構造に関する実務をしていない者が審査するという矛盾は、建築確認という制度が始まった時からのことである。


 あの男以前にも、意図しなくても間違った構造計算はあったはずだが、審査する側が見逃せば、そのままだ。


 設計事務所には、管理建築士を置かなければならない。管理建築士は一級建築士資格を持っている。これを一級建築士事務所という。

 一般的には、所長=管理建築士である。

 しかし、所長や社長には資格は要らない。

 世界的に名の通った建築家でも一級建築士の資格を持たない人もいる。


 構造事務所を除くと、大体において、意匠担当が管理建築士だ。

 管理建築士はクライアントの要望にあわせるべく計画し、法規をチェックし、設計の全体を把握しなければならない。

 物件が多ければ、それらが出来る他の意匠屋に任せることになる。

 そのような状況では、構造は構造屋に、設備は設備屋に任せるしかない。もちろん、打合せして、設計方針、意見、要望は伝える。


 一応、構造関係で必修であるものの単位は取った。一級建築士の試験には構造関係の問題も出るから勉強もした。それだけである。


 地震が発生する度に耐震構造も変わったが、詳細は構造屋任せだ。


 要は、意匠屋には構造は分からない。手の届かないところへ行っている。


 今さら、試験をされても迷惑だ。


 意匠屋一人に責任を負わせないで、構造屋と責任を分かち合う制度を作る方が、実態に合っていて、現実的である。


 国交省は考え直すべきだ。


 *このブログは、“軟派”で行こうと思っていたのに、もう一方の“硬派”よりも、余程硬い稿になってしまった。

 人間性は、なかなか変えられない。

 後、一踏ん張りも、二踏ん張りも必要だ。


 昨年の3月、ほとんど10年振り位に歯医者に行った。

 

 10年の初めの方は、行き付けの歯医者が会社から遠かったし、それなりに忙しかったので、足が遠のいたのだ。

 まだ、治療途中だったが、長引かされているようにも思えたので気分を害したせいもある。


 5、6年経った頃、止めて貰っていた歯が抜け落ちた。これは行かざるを得ない。歯もぐらぐらしているのが、自分でも分かる。


 散髪屋のお兄さんに、近くにいい歯医者はないかと尋ねた。散髪屋は昔から町の情報屋さんでもある。


 教えて貰ったのは良いが、その頃には、仕事の方も大きくぐらついていた。歯の治療の通いは高く付きそうだ、と思ったら、そのままになってしまった。


 新たに引っ越した近くに歯医者があった。それも車でいつも通る道沿いである。歩いたって5分も掛からない。それに予約制の歯医者の駐車場にしては車が多い。

 思い立って4、5年、やっと決断したのだ。それが昨年3月だ。


 歯周病だ、歯石が一杯だ、歯茎が無くなりつつある、歯が欠けている、汚れている等々、散々言われたが、仕方ない。でも、そうじゃあなかったら来ていない。


 2ヶ月通った。かぶせたり、歯石を取ったりと良くやって下さった。私には腕の良い歯医者に思えた。女性の助手さんもよく掃除してくれた上に、丁寧に歯磨きの要領も教えてくれた。子供じゃああるまいし、と可笑しかった。

 

 前に行っていた歯医者に女医さんだったことがあった。私の頭の方から治療するのだが、その女医は頭をおっぱいで挟んで手を動かすのだ。その時は参った。今なら喜んで行くのだが。

 今度はそんなことはなかった。


 それから半年たって、葉書で様子を聞いてきた。時々痛む歯もあったので、年明けから通うことにした。医者に行く場合、どの診療科でも大体「通う」と言うから、大変なのだろうが、今度も、やはり、1ヶ月半通った。


 自分ではちゃんと歯磨きしていた積りなのに、まだ駄目だと言う。また歯石を採られた。何故、2、3回で採り切れないのかといつも思う。


 この度は、新しいことを教えてくれた。歯茎の強化に“歯間ブラシ”を使えと言うのだ。歯の間を掃除するのではなく、歯茎を維持するために使うのだそうだ。1本貰った。後は店で買えということらしい。


 先日、そのブラシを使っていて、青くなった。奥歯の間で折れてしまったのだ。何度か使ったブラシで、そろそろ危ないかなと思ってはいたのに油断した。

 それが取れない。奥歯だから、指がうまく入らない。長さもはまり具合に丁度良さそうだ。舌で押しても抜けない。

 このままにしておいて、寝てる間に喉から入ってしまったら危なくないか。

 気が気ではなかった。一人はこれだから困る。涙が出そうになった。


 とにかく、無理やり抜いた。

 

 こんな歯間ブラシ1本に冷や汗をかいてしまった。

 使う回数を多くしないことにしようと決めた。

 “つながっているからねって♪ 愛しているからねって♪” を耳にすると、ドキッとする。


 土曜日の夜の NHK番組 「つながるテレビ@ヒューマン」のオープニングに流れるメロディだが、NHKはどういう積りでこのフレーズを使っているのだろうか?


 不倫相手が、よく 「つながろう、ネェー」 と言いながら甘えて、迫って、求めて来たものだった。


 「つながろう、ネッ」 「つながろう、ネェーネッ」


 考えてみれば、これほど単純で、明快で、単刀直入な言い方はない。


 「エッチしよう」 と言うよりは、よほど具体的ではないか。

 何をするのか、はっきりしている。それでいて、きつい言い回しでもない。


 「セックスしよう」 と言うよりは、よほど奥ゆかしいではないか。

 言われると、ポッと赤面しそうで、しかも、身構えなくてリラックス出来そうだ。


 口にする彼女も、自然に微笑みがこぼれるというものだ。


 あの頃は、良かった。


 NHKは、いつも私に辛い思いをさせる。

 

 私は、95%はNHKを見ている。あれこれ、ちょくちょく文句を言いながらも、いつも見ている。

 この番組も好きだ。時折、西原女史が出てくるし、Kアナの声には痺れる。


 NHKの言いたいことは分かる。

 皆がネットでつながろうというのだ。皆の愛で連帯したいのだ。

 

 でも、あのメロディで、しかも “愛しているからねって♪” と続けられると、どうしても、私はあらぬことを考えてしまうのだ。個人的なことに思いが至るのだ。

 

 NHKが悪いのではない。


 NHKさん、ごめん。

 4年振りに ワープロ を机に置いた。

 まさか、本当にキーを叩くことになろうとは思ってもいなかった。


 私は字を書くのが苦手だ。下手なのである。同じ字が同じにならない。

 だから、窓口では、鼻から乱暴に書くことにしている。どうせ、子供に笑われるような字なのだから。


 普及型のワープロが世に出てきたときには、割と早くに手に入れた。3行しか画面に表れず、今考えると不便だったが、私は重宝した。ほとんど何でもワープロで書いた。

 手元にあるのは、私にとっては4代目の書院、9年前の高級品である。大きくて大変重たい。

 この4代目は、以前、共同で起した会社の購入品だが、分かれるに際して、業務データの入ったFDと共に、私が持ち出した。ワープロにはメーカー間で互換性がない上に、元の相棒はワープロが打てず、彼の奥さんはオアシスの愛用者だったからだ。


 昨日、以前に携わった工事現場の施工担当者から電話があった。その工事に関連した書類を捜してくれないかと言うのだ。

 ファイルに綴じた書類は、何度かの引越しで処分していたから、FDから書類を見つけ出すしかない。それで、操作できるかどうか分からないワープロを引っ張り出したという訳だ。


 嬉しいことに電源を入れると、ちゃんと動いた。プリントアウトは、4年前に既に機能停止している。


 FDは約200枚はある。私と会社の事務員で書込んだものだ。あるクラブの役員をしていた関係上、私個人のものもかなり多いが、眠ったままだ。貴重な資料だが、今はパソコンの時代であり、仕方ない。

 

 1枚づつ入れたり出したりして、項目の内容を読み取っていく。結構、時間が掛かる。パソコンより、動きが遅い。

 1枚毎に表題はラベルに書いてあるが厳密ではないし、あるであろうと思われるFDになければ、全てに当たらざるを得ない。

 1日近くを費やしたが、結局、目的の書類は見つからなかった。

 明日、もう一度、挑戦してみよう。何しろ、現在のお客様の依頼なのだから。


 事務員が書いたFDの中に、面白いものを再発見した。

 彼女は、いつも オーラ を発しているような女性だった。


 私は、そのオーラに負けた。


 8、9年前に、そのFDを見つけたときには、彼女が書いたものかどうか、疑った。内容には、さもあらんかと思ったが、綴られ方が妙に様になっていたからだ。


 それは、“ゲイ”がテーマの小説だった。それもかなりの長編なのである。

 若いゲイボーイが、素人の中年男と無理やりに関係を持ち、それを続けていく仔細が、それなりに臨場感を持って書かれてあった。細部は少し端折られていてリアル性に欠けるように思った。

 中年男は、何故か、私と同業であった。


 新たな発見もあった。母親のSM関係とその実の子と異母兄との近親ゲイ関係の2つが絡んだ話だった。


 良く知るようになると、彼女が読書好きだと分かった。SMに興味があると、ふと漏らしたこともあった。女らしい反面、大変な男勝りだった。


 彼女が書いたに違いない。もっと早くに見つけていれば良かったのに、と残念に思った。


 とにかく、当時は、事務・応接室と設計室の場所が離れており、彼女は、自由に何でも出来る長い時間と広い空間を持っていたのだ。

 1ヶ月振りに医者のところへ行った。薬が切れたのだ。そして今日は、2ヶ月に1回の検査と診察の日でもあった。


 車で行けば、10分で着く。16時から午後の診療開始だが、30分も前に到着した。駐車場に車は1台しか止まっていない。予想通りだ。良かった。

 この医院の駐車場は狭くて、10台足らずで一杯になる。駐車出来ない事態を避けるために早く出たのだ。


 自己診断で糖尿病ではないかと心配になり、診察を受けたのが始まりである。糖尿病からは逃れられたようだが、血圧が高かった。

 血圧が高く、献血も出来なくなっていた。下が100を切らないと、採血して貰えない。しかし、今のように、薬の服用が常態化すると、もう採血してはくれない。


 それで月に1回の医者通いである。


 私の掛かる内科の他に小児科がある。内科は1階で主人の、2階の小児科は奥さんの担当である。もう、何年も通うのに、奥さんの顔を見たことがない。

 時折、受付に歳の頃36、7の面長できれいなご婦人の姿がある。たまにしか見ないので医師夫婦の娘さんだと勝手に思っている。 内科医に似ているようにも見えるからだ。

 先生には息子さんがある。親の職業に関係なく、アナウンサーであった。「あった」と過去形なのは、最近、アナウンサーリストに名前を見なくなったからだ。

 以前、東京に移動になり、番組のサブ司会者で出ていたのを見て、先生にそのことを話したことがあった。先生は嬉しそうだった。それまでは、長く地方局勤務だったからだ。東京から地方に戻されて、しばらくするとリストから消えた。


 その先生と私は、ある時期に同じクラブに所属していた。そのクラブでは、先生の方が先輩だった。10歳余り年配でもある。


 クラブは、地域への奉仕を目的に設立されていた。同種のクラブは市内に25余り、県内に110位あった。110のクラブは互いに親子、兄弟の関係にあって組織化されている。設立年度と親子・兄弟関係によって、組織内の序列は厳しく守られている。私たちの所属クラブは、まあ中堅どころというところ。最先発のクラブには、25年の遅れがあった。そのせいか、会員には小企業のオーナーが多かった。100人を超える従業員を擁するような会社は、2社しかないのだ。

 だから、会員数は5、60人だったが、先生のような“紳士”は少なかった。


 何があったのか、先生は会長就任を前にして退会された。お伺いして理由を尋ねたが、本当のところは教えて頂けなかった。

 私は、8年間在籍した。三役の会計、幹事も務めたが、自身の景気後退のため、6年前に退会した。

 奉仕団体だからお金が要る。奉仕に掛かる以上に、夜の付合いとかゴルフに費やすお金が多かった。


 2ヶ月に1回の診察にもかかわらず、同じ待合で1年振りに元会員に出会った。

 このように、あのクラブ所属が縁で、今も繋がりを保っている人もある。

 

 しかし、2ヶ月はあっという間に経ってしまう。