0518、夢とロマンと科学、映画や小説やドラマ、舞台や演劇、あるいはアニメ漫画ゲームラノベの表現 | ひたすら楽して日本国民2

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いい世来いよと人の云う
お前のことが好きだった

表題の文字数が足りなくなるのはよくあること。

 

本来つけたかった表題を文字数削減のために堅苦しく書くなら、

「2024年現在の科学文明水準に即した人類の想像力の限界と、各種表現領域における人的技法(非機械的技法)の栄枯盛衰と二次元創作的な基礎教養水準に関する考察」

くらいになるからね。

 

・・・まあ、何言ってんだかわかんねえと思うよ。

 

アメブロの2万文字制限が足りないってしょっちゅう書いてる気がするけど、

僕がブログとTwitterやってる最大の理由は、

考えるスピードを落として文字数を削る「訓練」だからな。

 

もっと書きたいと思ったときに文字数が足りないってのが一番辛い。

経験したことない人にはわからんと思うけどね。

 

 

あ、お察しの通りこの記事も読む価値はありません

 

 

 

 

 

 

 

すげーーーーーーーーーーーーーーー簡単に言うと、

今の時代ってもう、

想像力よりも科学技術のほうが先にいっちゃってるんだよね。

 

 

 

たとえば、発電効率の話をする。

電力を遠くまで送るためにはどうすればいいか?

 

普通の人なら「より高性能な電線を作る」などと想像して、

電気をよく流す特殊な合金を作ればいい、くらいのことを考える。

 

だが現実の科学技術は、

「金(Au)の原子を7個並べると真ん中のスキマを電子が1個通れる」

くらいの話をやっているのだから、何を言ってんだかよくわかりゃしないのである。

 

何なら電力を電波として送受信することはできないのかという研究すらある。

 

ついに重力波すら観測されたのだから、

アインシュタインの名とともに知られる統一場理論の完成すら見えてきたのだから、

もしかすると時間すらエネルギーに変えられる可能性があるかもしれない。

 

そこまでいくともう、何やってんだか読者や視聴者のほうが理解できなくなる

 

 

 

 

僕はこれでもまだ作る側の人種にいるからこそ痛感してるけど、

それくらい知ってるだろと思った表現や常識が、

数々の無学や偏見によって拒絶されるのは、どこまでいってもなくならない。

 

先日の記事でも書いたことだけど、

間違っている格闘技の説明と、

 

正しい格闘技の説明を、

 

格闘経験のない人に理解してもらうのは極めて困難だ。

 

というより、

いわゆる運動オンチと呼ばれる人には、

ma=Fという当たり前な物理学の話すら備わっていないことが非常に多い

 

いまや進学率98%となった高校の物理で教わる話なのだから、

知らないわけがないと言い切って構わない・・・はずなのだが。

 

だから速度を発揮させるにも力が必要で、

それゆえに女のほうが遅いし弱いし、

そもそも人体の筋肉は特殊なトレーニングをしないとそんな膨らまないし・・・

 

ボディビルダーは特殊を通り越して異常なことをやってるから、

普通に生きただけでは筋肉なんか絶対につかないし、

むしろどんどん筋肉が落ちるから、骨粗鬆症や寝たきり老人が増えるわけで。

 

たったこの程度の、高校の保健体育レベルの話ですら、

僕は当たり前のように知っていても、

たぶんこのブログを読んでる人の大半が知らないだろう。

 

 

 

 

だから何かお話を作るときに、

あまり現実からかけ離れたものを基準にすると、話が通じなくなってしまう。

 

空想の話であっても、現実世界のリアリティに根ざしていなければならない。

しかもそのリアリティというものは、

科学的に正しいかどうかではなく、世間一般様の常識的に正しいかどうかだ。

 

純度100%の科学的事実を並べるだけでも、

「そんなわけねえだろw」と突っ込まれてしまうのだから、

正しいことよりも、普及していることを基準にしなければならない

 

 

 

 

 

だから「魔法」といえば、

「魔力を使う」「頭のいい人が得意」「男より女が強い」みたいな、

ゲームや漫画で構築されてきた各種常識が前提になる。

 

そもそも学力ないし知力でも最上位はほぼ全員男なのだから、

魔法が知力で決まる能力なら、魔法だって男のほうが強いはずなんだよ。

 

同様に、

女キャラはスピードや器用さが高いから弓が得意だとか、

魔力が高いだとか最大MPが多いだとか・・・

 

集中力的な意味での精神力だって男性ホルモンが司るのだから、

男のほうがMPだって高いはずなんだけど、

ゲームバランスの都合で、女をそういう調整にしているだけだ。

 

力が男、技と速度と知性が女。

 

実際は力も技も速度も知性も全て男で、女にできるのは産んで育てて男を支えること

 

でもそんなゲームやって楽しいか?

女であるだけでザコ確定、なんて

 

 

 

 

スーパーロボット大戦だって、

ロボットが戦うのだから、備わっている以上の出力なんか絶対に出ない。

はず、なんだよな・・・

 

スペック以上の強さは発揮できないし、

パイロットの気合や根性が機体に反映されるわけもない。

 

だからこそサイコフレームだの何だのと理由をつけては、

人間側の感情や意欲が反映されるようにする。

 

そうしたほうが盛り上がるし楽しい。

 

だから精神コマンドで気合を使って気力を10(昔は15だったよな)上げると、

与ダメージや命中率・回避率が10%増える。

前衛でバトルする連中はだいたい持っている。

 

逆に後方支援を任されがちな女キャラは愛とか信頼とか幸運とか・・・

 

まあいいや。

 

 

 

 

こういった矛盾はドラマや映画のほうが顕著なんじゃないかな?

 

だって生身の人間が演じるわけだから。

 

この世に実在するどこかで、やはりこの世に実在する誰かが演じる。

だから不可能なことは全てCGや特撮に頼るしかない。

 

だがCGや特撮映像ですら、

「人間が作るもの」でしかないという限界は超えられないから、

この世に存在しない架空の何かを、かつ美しく描く必要があるわけで。

 

一般的な撮影をするだけではつまらない。

だからCGを使おうとしても、

人間にはできそうもないことをするなら、そのような設定の話を作るしかない。

 

メイクや照明や小道具でどうにかしようと思っても、

人体を使って何かを描写させる限り、

腕は3本になっちゃダメだし、目が8つあっても困る。

 

面白そうなものを作ろうとする限り、

面白くもなんともないものを熟知していなければならない

 

 

 

 

 

これがいわゆる「基礎」ってやつなんだよな。

 

名作や傑作がなぜ面白いのかは既に散々分析共有されてきて、

そのエッセンスは至るところで再利用されている。

 

基本となる型を知らずに好き勝手やっているだけなら、

それは「型破り」ではなく「形無し」でしかない。

 

四次元殺法コンビのAAでも貼るか?

 

 

 

そりゃだってお前さあ、

たとえば「16歳の男の子と15歳の女の子が無人島に流れ着いた」って話を聞いて、

そっからどんな展開を想像する?

 

「男の子が前を歩いて女の子が後ろについていって洞窟を見つけてサバイバルする」

 

か、

 

「未知の危険生物たちと遭遇して必死に生き残る」

 

くらいの展開しか考えられないし、期待もしないだろ?

いやまあ僕は男性向けエロも女性向けエロも書くから、

 

「実は憧れていた先輩が気絶していたので人工呼吸をするうちにディープキs

 

・・・まあいいや。

 

どっちにしても、

女の子のほうがサバイバルの達人で、

男の子のほうが守られてばかり、なんて展開にされて、誰が喜ぶだろうね?

 

まあその場合は男の子にも何か見せ場を持たせる必要があるから、

男の子であるだけで背が高いとか力が強いとか泥汚れを全く気にしないとか、

何かしら「男らしさ」を用意してあげなきゃダメだろ、うん。

 

で、水浴びしてるところで女の子が裸を見られてノビタサンノエッチー、というのは、

「ラッキースケベ」ではなくて、

「非日常的な状況においても日常的倫理観が介在していることの描写」なんだ。

 

これも以前ちょっぴり書いた↓のでお暇でしたら。

 

非日常的な状況で、ドキドキハラハラする、

でも登場人物が常識を忘れておらず、

読者や視聴者と同じ感覚で行動している。

 

だからこそ、「自分だったらどうするだろうか?」って考えられる。

 

自分と置き換えられそうな要素が少なからず存在していないと、

仲のいい犬と猫の映像を延々と垂れ流されているのと大差がない。

 

そういったお約束的な表現がなぜ求められているのかを理解したうえで、

普通の流れにするのか、一度ひねってからハッピーエンドにするのか、

それとも波乱の連続で登場人物をいじめ抜いてからバッドエンドにするのか。

 

選択肢があるからこそ面白い。

この作品は、作者は、両方描写できる人なんだ、

だからこそどっちに結末を用意しているんだろうかと思わせることができる。

 

 

 

 

これはハッピーエンドかバッドエンドかに限らず、

リアルかファンタジーかという問題にも共通していえる。

 

んだけど・・・

 

こんな心底どうでもいいこと、読んでて楽しいんだろうかね?

 

 

ひとつ確実に言えるのは、

「頭ではわかっていることを言葉にする能力」って、

ある人にしかないものだからね。

 

30年以上勉強教えてきてよく思うことだけど、

読書感想文を躊躇せず書ける人とそうでない人との差は、

家庭環境とか愛され方とか学力とか知的才能とかじゃなくて、単一の適性だからね。

 

読書感想文っていう前提でしか使えない能力や技能ってのがあるっぽい。

読書感想文ならスラスラ書ける人でも、日記や小説は無理ってのが珍しくもない。

 

僕がこんなどーでもいい話を書くのも、

「頭ではわかっていることを言葉にする能力」が足りなくて、

モヤモヤしてる人が救われたらいいな、くらいの感覚でしかない。

 

 

 

 

 

ああそうだ。

 

なんて番組だかは忘れたけど欧米のどっかで、

「無人島で男女それぞれに集団生活をする」って番組があって、

男は秩序を保って役割分担を始めたが女はgdgdになりケンカした、という顛末があった。

 

あれは実にリアルだなと、普通の人なら思うんだよね。

でもフェミ腐った「ありえない女」を想像できちゃう人種にとっては、

女のほうが平和的だし有能だからヤラセだ、というのが真実であるらしい。

 

平和的な人間が他人の作ったものにケチつけにくるわけねえだろ(即断)

 

普通の人なら男がリードして女が従う構図に何の違和感も覚えないだろうが、

違和感を抉り出してでもケチつけたがるアホ(ポリコレヤクザ)ってのがいるんだよね・・・

そういうクズを最優先する風潮はなくしていかなきゃダメですよ。

 

まあ無人島に男女が流れついたら普通はヤっちゃうんだろうけど、

ちなみに僕だったら「妊娠リスクがデカすぎるから絶対ヤらない」。

女のほうが不安になって体の関係を求めてくるだろうな、とは思うけど。

 

Q:不安になったから体の関係を求めるなんて、そんなこと本当にあるの?

A:標準以上に(性的関係において)モテる男女だったらよくあるよw