0500、数学が苦手な子に必要な勉強法の話3つ | ひたすら楽して日本国民2

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いい世来いよと人の云う
お前のことが好きだった

最初に注意書き。

 

授業中に消しゴムのカスをまとめて、ウニウニこねていたことのある人は多いだろ?

みんなやったことがあるはずだ。

 

じゃあなんでみんな「消しカスをウニウニこねる」んだろうな?

 

・・・AIだのオンラインだのがどれだけ普及しても決して需要が消えないものは、

生身の人間による教育だと断言してもいいくらい、

勉強なり生き方なりを教えるときに、画一化というものをやってはいけない。

 

少なくとも僕は30年以上の経験に基づき、その難しさを思い知っている側の人間だ。

 

生身の人間同士で面と向かって喋れるなら、

こういう性格の子にはこう言えばいいと調節できるし、

同性の子か異性の子かで対応も変えられる。

 

特にオンライン授業では、相手の見える部分しか見えないからな。

 

貧乏ゆすりをしている子はストレスがたまってるってことだから、

とりあえず軽く体動かして脳に酸素を供給しようぜって提案ができる。

モニター越しだと、そういう場所で何やってるのかは見えてこない。

 

「消しカスをウニウニこねる」のも、

「勉強のために机に向かうストレス」を、

「別の動作でごまかして」いる。

 

貧乏ゆすりも雑談も、要するに喋ったり動いたりすれば酸素を交換できるからな。

 

思っている以上に勉強は脳に負担をかける行為だから、

苦手な子にはむしろ自分から雑談させるってのは意外なほど大事。

どうせ僕がいない間は一人で黙って勉強しなきゃいけないんだから。

 

そういう部分も含めて、僕はまず勉強は肉体労働なんだってことをわかってもらう。

 

そりゃ辛いし、女の子は不利だし、

酸素が足りないから辛くなってストレスになって、

すぐ別のことをやりたくなる。

 

軽くラジオ体操や筋トレをやってもらって脳と血液に酸素を供給させると、

そういうことをしなくて済むようになるんだってのを、

子供のほうが体で覚えてくれれば、次からは言う必要がない。

 

長時間連続して向き合わされる練習は学校や模試でやるんだから、

家にいる間は学習効率を高めなきゃいけない。

 

勉強が苦手な子だったら少しでも、家にいる間だけでも、効率を重視しないといけない。

 

 

 

 

 

・・・・・・僕は数学の時間に数学なんか教えないことで有名なんだ。

 

「その子に関していえば」、本当に必要なことは数学じゃないことが大半だからね。

 

 

 

 

 

1、そもそも算数ができてない子(2割)

 

すげー簡単なことなんだけど、

そもそも四則(+、-、×、÷の計算)ができてないせいで、

計算自体が遅くてストレスたまっちゃうパターン。

 

分数の掛け算割り算もそうなんだけど、

計算って最終的には条件反射でやるものであって、考えてやるものじゃないからね。

 

数学が苦手な人はまず計算が遅い。計算練習の量が足りない。

 

才能がないから苦労してるんだろ? じゃあ努力しか選択肢はねえよな。

僕を羨んだって学力は上がらないから文句は今ぜんぶ言え、それからやろう。

 

1桁どうしの掛け算足し算引き算を最速で100%正解できるようになるだけで、

数学の苦手意識が取れたって子は結構いるもんよ。

だから小学生用ドリルを購入してコピーしてひたすら練習すればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

2、国語が苦手な子(4割)

 

数学の話なのに国語?

 

と思った人は、100%の確率で数学が苦手だと断言してもいい。

 

少なくともたかが東大数学や京大数学ですら難しいとか思っちゃうでしょ?

だから円周率が3.05より大きいことも証明できなければ(03年東大)、

tan1°が無理数であることも証明できない(06年京大)。

 

まあ、これは日本の国語教育が長年クソの塊であった弊害なんだよ。

だから数学に国語は要らないって思ってる人は、

日本のパヨク教師どもを憎悪しても許される。

 

いわゆる「作者の気持ち」を答えさせる国語って、

絶対の正解例が存在しないクソ出題形式として名高くて、

ついには「全国に満点が一人もいない」という不名誉な記録すら叩き出してしまったからな。

 

日本には作者の気持ちを完璧に把握できる人間などいるわけがないし、

入試問題に出題された文章の作者が、

「俺そんなこと考えてねえよw」とSNSで暴露したのも有名な話

 

なので今の入試は「論理的文章の読解を要求する国語」をちゃんと用意した。

気持ち()などという解釈(運ゲー)次第でしか正解できないものより、

どんなバカでも考えれば正解できるもののほうが重要だ。

 

そう、そこなんだよ。

 

数学が苦手な人の多くは、

論理的思考力が足りていない

 

「問題文が何言ってるかわからない」って子は

めちゃくちゃ多い。

あなたもそうだったのでは?

 

 

・・・・・・・・・少し別の話をする。

 

 

僕はこのブログでしつこいくらい、

「僕がそう感じてるわけでも、僕がそれを賞賛しているわけでもないが」だの、

「少なくとも僕は」だのと書いているけど、そういうことなんだよ。

 

僕個人がそれをスゲーと言ってるわけじゃなくて、

それができることをスゲーと言うべき状況であると判断しているだけ。

 

僕は野球に興味がないけど大谷翔平のすごさはわかるし、

ボクサーではないけど井上尚弥のすごさもわかる。

彼らはスゲー。論理的には。

 

感情的にはどうだっていいよ。

すごいのはその戦績を生み出した練習なり才能なり技能なりであって個人じゃないから。

 

どんな天才でも災害や事故で死ぬことはあるんだから、

成功者ってのはまず幸運に恵まれてることが大前提なんだよ。

毒親やクソ指導者に潰されず、後輩いじめで引退させられたりしてないのが大前提。

 

もし全く同じことができる奴がいたら、すごいのはそいつ個人である必要がない。

 

僕らみたいなお受験界隈のエリート層ってのは、まさにそう扱われるからね。

教育の最終到達点は能力を要求するものであって、個性なんか問われていない。

 

同じことができる奴が他にもいるならお前でなくていい。

代えのきかない高級歯車なのに劣化互換でも社会はなんとか回っちゃう。

現場の苦労、管理職の苦労、不具合を吞み込んでくれる優しい人のおかげでね。

 

だから仕事はできるけど人格がイカレてるクソ野郎もいれば、

仕事はできないけど職場の雰囲気をよくしてくれる人もいるだろ?

 

トップ層に必要なのは能力、それ以外に必要なのは魅力と価値。

あなたがどちらへ進むのかに応じて、要求されるものは変わる。

スポーツマンになるなら練習、サポーターになるなら学習が必要であるように。

 

お受験社会のテッペンに近づく努力とは、まず能力。

個性や特技なんてのはテッペンまで登った奴にだけ要求される。

まず能力がないと現代社会の科学文明を維持できないからね。

 

まあ、だから、うん。

 

「僕がそう言いたい」んじゃなくて、

「世の中は嫌でもそうならざるを得ない」って話

をしている。

 

数学の勉強も同じでな。

 

「俺が私がこうしたい」なんてのは誰も要求してない。

心がワガママを言ってるうちは問題なんか解けない。

 

「問いに答えなさい」、

より正しくは「受験の出題形式に見合った解法を提示しなさい」。

 

アインシュタインは数学が苦手だったそうだが、

「先に答えが浮かんでしまうので途中式が書けなかった」のだそうだ。

 

僕も全く同じことをやらかして、

中学に入った直後の数学は「全問正解だが0点」だったよw

あの程度で途中式なんかいらねえだろと思ってしまったのが敗因だった。

 

Q:全問正解なのに途中式がないから0点にされるのは理不尽では?

 

A:大事なことは自分が正解する能力より、それを他者と共有する能力だから。

 

 

 

えっそこで共有とか言っちゃうの?!

 

はい。

 

 

 

科学ってのは傑出した個人により枠組みごと大きく進歩する時代を既に終えているから、

「なんか思いついてここまで試したけどダメだった、次の誰かさんヨロシク」

という引継ぎができなきゃいけない。

 

そうやって無駄に思える研究データを参照して、

ダメだったと証明されたことを安心して除外できるようになるだけで、

次の誰かが正解に至る可能性が増える。

 

科学はもはや、アリやハチみたいな虫の世界なんだよ。

 

一人でやるんじゃなくてみんなでやる。

 

成功した人おめでとう、

そいつが成功するまでに無数の失敗を積み上げてくれた人ありがとう、

そいつが学問に没頭できる社会と治安を実現させてくれた人のおかげです。

 

「テストで50点しか取れない俺のオツムがこうやりたい!」

 

うるせーバカは死ね。

 

「数学なんて社会に出たら使わないと思ってる私のやり方で生きたい!」

 

おめーが使ってるスマホは数学の塊だから今後一生使うなクソ野郎死ね。

 

僕がそう思ってるんじゃなくて、

事実だけを突き付けていいならそうなっちゃう、ってことなんだよ。

 

 

 

 

数学は、問題が要求していることに答える練習なんだよ。

 

俺が私がやりたいままに答えなさい、なんて要求していない

 

もし過去の人類の誰もが思いつかなかった画期的な解法があるというなら、

それを書いて正解すればいい。

 

もしそんな天才的な知能を持ち合わせていないというなら、

過去の誰かが思いついた方法をマネして再現する努力くらいはしろ。

 

社会に出ると無数にやってくる問題と面倒への対処法は、

先輩たちが確立させてくれたものがワンサカあるから、

それを学習して対処を覚えろ。

 

わざわざ作り直す手間をかけるくらいなら、

既に用意してあるものを使いこなす努力をしろ。

 

 

お前が斬新で独創的な新発明をできるほどの天才でないなら

 

 

あなたに個性や気持ちがあるのは

わかってるから。

 

今要求してるのは

個性や気持ちじゃなくて、

目の前の問題に

対処することだから。

 

 

 

論理的思考ってのは、

気持ちの問題を論理の世界に持ち込もうとするオコチャマに対して、

今必要なのはそれじゃないからワガママは後にしてねと、躾をすることから始まる

 

「俺がこうしたい」で正解できないなら、それはやめろ。

 

「私はこう思う」で失格するなら、それはよくない。

 

 

つまり、書いてあることをそのままマネすればいい

考え方、式の変形、公式の使い方。

 

問題集や教科書に全部書いてある通りに意識して、実行して、書いて、計算する。

 

a^2+2ab+b^2=(a+b)^2

 

左を見たら右に変形させて、右を見たら左に変形させればいい。

 

aの部分が3Xかもしれないし、bの部分が5Yかもしれない。

 

そしたら9X^2+30XY+25Y^2になってるはずだから、

9と25を見たら9=3*3と25=5*5を連想して、

3Xと5Yを足して二乗すればいい。

 

だから正解は9X^2+30XY+25Y^2=(3X+5Y)^2

 

係数は「何かの2乗」なんだから、係数の平方根をとればいい。

 

・・・と、書いてあるんだけどな、教科書や問題集には。

 

でもあなたは脳内でそういう思考ができないし、言葉にもできないだろ?

そういう理解もできなかっただろ?

 

対面授業だったらここを丁寧に教えられるけど、

オンライン授業だったらできないんだな、うん。

 

どこでつまずいてるのかを都度確認するのが難しいし、

最初に喋ったように、

相手がどれだけ苦しんでいる=嫌がっているのかも察しがつかないから。

 

 

 

論理的思考力が足りない人に必要なのは、書いてある通りにやること

 

俺が私がこうやりたいと思う感情を殺す練習

 

自分流でダメなら他人流で点を取るのは、

ダサいことじゃないしすごいことなんだとわかること。

 

科学も、スポーツも、技能も、それこそ仕事や恋愛やセックスも、

自分のやりたいようにやってダメなら、

うまくいくかもしれない方法を選んで、誰かがダメだと言ったか?

 

失敗されるよりは、成功してもらうほうが、あなただって楽だろ?

 

だからまず最初に必要なのは、論理的思考というよりは思考のワガママを捨てること

 

思考のワガママを捨てることができれば、

因数分解なんかただの条件反射にすぎない。

むしろ条件反射をすればいいだけなのだから、あとは反復練習。

 

スポーツだって同じだぜ?

 

投げたいように投げても球速は上がらないし、振りたいように振っても打球は飛ばない。

 

蹴りたいように蹴ってもシュートは入らないしパスはつながらない。

 

殴りたいように殴ってもガードされるしカウンターも食らうしダウンもする。

 

自分がやりたいようにやってうまくいくならそれでいい。

やりたいようにやってもうまくいかないなら、

既に用意してある方法でやってみようぜ?

 

スポーツの世界じゃうまくいかないこともあるが、

たかが高校までの学問の世界に、

運ゲーでしか正解できない問題なんか一つもないんだよ。

 

まあ、その例外が「作者の気持ち国語」だった、という話は既にしたけどな。

 

ちなみに1998年東大後期数学第三問みたいな、

「大学入試史上最難関」と満場一致で叫ばれるようなクソ問題なら、

一周まわってだーーーーーーーーれも解けないから安心していい。

 

もしあんなもんを解ける奴がいたら、負けても悔しくないだろ?

 

これを本当なら学校の授業でやるべきなんだけど、

悲しいことに家庭の方針にされてしまっているからな。

 

「親がバカだと受験に負ける」ってのはそういうことだ。

我慢の重要性なんだよ、論理的思考の原動力は。

 

 

 

 

 

 

3、想像力が足りない子(4割)

 

これはまあ直球でいうと、女の子がダメなやつね。

 

空間的想像力、抽象的思考力。

 

リンゴ、イチゴ、スイカ、ブドウ、メロン。

 

まあ「果物」だよな。

 

でも最初っから「甘い果物」って言われると、

リンゴもイチゴもスイカもブドウもメロンも甘いから、

具体的にどれのこと? となってしまう。

 

・・・・・・のは、数学が苦手なタイプの人だね。

 

「甘い果物」の話をしてるんだから、「甘い果物」なら何でもいいんだよ。

「リンゴ」じゃなきゃダメなら「リンゴ」って言うに決まってんだろと。

 

 

 

もういっこ。

 

「この道、滑って転びそうだな」

 

ツルツルに磨かれたタイルの床が雨で濡れてるのか?

 

寒い冬の日に雪が降って凍ってるのか?

 

急斜面が砂や砂利混じりの土で、風が吹くたびにホコリが舞ってるのか?

 

普通の人は「滑って転びそうな道」を聞いただけだと、

そういう想像ができないし、やろうともしない・・・らしいな。

 

それこそ僕には「想像もできない」オツムだけど。

 

 

 

 

 

これは先述の論理的思考力の話にもつながるんだけど、

たとえばy=4x^3-3x^2+2x-1ってのが、

具体的に何のことを言ってるのかなんてどーーーーーーーーでもいいんだよね。

 

とりあえずyって言われたらこーいう数式のことだから、

都合よく形を変えてグラフを描いてね、

それしか聞かれていない

 

聞かれていないことに答える必要はないし、

じゃあ「言われたことを冷静に考える」のってどうすればいいんだって、

もう想像力しか残ってねえでしょ

 

えっ他になんかあんの?

あったらぜひ教えてほしい。

 

考えなくていいことを考えるし、

考えなきゃいけないものを無視する。

 

会話や課題に際してどこが重要なのかがわからないのは、

人生経験が足りず、

言われたことが実際には何を示すのかを想像できないから。

 

まあその人生経験の代用品が学識・学力なんスけどね。

 

(僕みたいな)才能で代用しろってのは無理だから。

 

 

 

 

微分ってのが本質的に何を示すことなのか、

積分ってのが本質的に何を示すことなのか。

 

ぶっちゃけそんなもん、理解できなくても大学受験程度なら余裕で受かる。

 

でもそのままで理解するのは非常に苦しいし、たぶん数学をやる気が全く起きなくなる。

 

だから本当だったら、

1時間くらい使って「実際に紙を切り貼り」したり、

「格闘技を併用して体で意味を理解」したりするほうが望ましい。

 

微分的打撃、積分的打撃。

 

そんなもんあるのかって?

これのおかげで東大に受かったって言ってるアホが僕の教え子に複数いるよw

「先生に殴ってもらったおかげです!」ってわざわざ人前で言いにくるアホがなw

 

体で理解できるってのは便利だからね、オンライン授業じゃ絶対やれないこと。

 

まあでも、そういう「手間を省略できる」のが想像力なんだけどね。

 

子供だったらそれを一緒にやることで手先を動かして脳が発達するけど、

大人だったら時間を削るために、

脳内で硬貨や紙幣を積み上げて、脳内で実際にどう動くのかを試してくれなきゃ困る。

 

 

 

実際に全部試せばバカでもわかる。

でもそれやってる手間が惜しいから各自の脳内で省略してね。

 

論理的思考力と想像力。

 

時間をかければ済むことを、時間をかけていられなくなった現代人の武器である。

 

 

 

まあこればっかりは、性差がモロに出ちゃうから・・・

 

直方体の対角線がどこを通っているのかが、

男の子ならそこそこ想像できるけど、

女の子はまあ苦手な子が多いもんよ。

 

これはスポーツでいうと、

ボールがどう飛んでくるのかを想像して反応する能力に近い。

 

男女の脳機能は、「女と子供」は近くて、「男」は遠い。

そして想像力や抽象的把握力は男が得意とするもので、女と子供は苦手とするもの。

 

科学的根拠もクソもない、男女1000人ずつに教えてくりゃアホでもわかる現実だ。

 

だから訓練すれば誰でも得られはするけど、

必要とされる労力は明確に異なる。

 

女の子は辛いことがひじょーに多い。

男の子はできないとたぶん車の運転もできないし仕事も辛い。

 

まあでもこれは、脳の発達に個人差があるからね・・・男女間にもあれば個人差もある。

 

だから大人になったらスンナリわかったって人は結構多い。

あくまでも現代社会が10代に要求せざるを得ないってだけ

 

「ハタチ過ぎればただの人」ってのはそういう意味でもある。

まあ実際はただの人になんかなれないから、

僕はここまでおよそ7000字くらい書いておいて、文字を削る苦労で汗が出てるわけだがさ。

 

 

 

 

「個人として」ぶっちゃけた話をすると、

女の子は数学から逃げて私立文系でいいと思うんだよな。

ただしMARCHごときが高学歴とか抜かすならケツ叩かなきゃいけなくなるけど。

 

それくらい、抽象的把握や論理的思考、想像力ってのは大事。

車の運転、他人の苦労への配慮、何をするにも想像力が欠かせない。

 

言われたことを数式に直す能力だって、想像力の範疇だからね。

 

物理が苦手な人はだいたい数学も苦手だけど、

実際に何が起きているのかが想像できてない人がとても多い。

 

縄の長さが10メートルしかない状況で何メートルあればいいですかって聞かれて、

二次方程式の解が5と12だったとしたら、

「12メートルは選べない」「5メートルなら選べる」、これも想像力のうちだ。

 

「旅行に行くなら何が要る?」

 

「飲み会するなら何を注文する?」

 

「花見をするなら何を持参する?」

 

「雨が降りそうな空模様だけど傘は要る?」

 

と、同じ。

 

「このような条件で動く点Pがあるならt秒後にどうなる?」「点Qと重なるよね」

 

「人身事故で電車が遅れてるらしいけどどうする?」「京急なら動くでしょ」

 

「みんなデスマーチで疲れてるから休憩させたほうがいいのでは?」「病院送りになるよね」

 

「黄色い沈殿ができたってさ」「鉛だったらクロムかヨウ素だよね」

 

 

 

結局は知識の問題、条件反射ができるかどうかの問題でしかない。

 

でもそれを、

時間のかかる想像力の産物ではなく、

即座に出てくる知識にまで凝縮させることができたら?

 

人類社会はもっと便利になる。

 

 

 

 

 

かくして数学が苦手な人は、

そもそも計算が苦手か、勉強方法が間違ってるか、人生経験が足りないか。

 

あなたには(僕と違って)才能がないんだから、

計算練習をして、勉強方法を改めて、多くのことを見聞きするか、しかないでしょ?

 

 

 

 

 

でも才能があればその手間を省けるというだけで、

自分を作り変えていく手間と苦労は同じだよ。

 

あなたたちが「そこ」で苦労してる間に、

僕らは「ここ」で苦労を先取りできるってだけ。

 

だからもし数学が苦手な凡人がいたら、

数学が得意な天才よりも「速く」走らないと、

あなたよりも「早く」、彼らは先へ行ってしまう。

 

「速い(fast)」と「早い(early)」の違いの把握は、国語力や論理的思考力に直結する。

 

だから「英数」って言われるんだよね。

だからこそ数学には「国語力」って言われるんだよね。

 

かくして「英数国」が主要教科と言われるのは、ちゃんとした理由があるのさ。

 

 

 

なぜ「早いと速い」、「seeとlookとwatch」を区別するのか?

 

y=f(x)と書いたから何なのか?

 

 

 

ぜーーーーーーーーーーーーーーんぶ理由があってやってることなんだよ。

 

言葉も、数式も、計算も。

 

現代教育システムそのものが、不必要なことやるほどヒマじゃない。

まあプログラミング、ダンス、20世紀の歴史と文学は無駄だらけだがな。

 

 

 

 

それをいちいち説明してあげてもいいけど、

あなただって毎回8000文字も読みたくないでしょ?

 

僕だって嫌だからな(正直)

 

何度も同じことを繰り返したくないなら、よくあるパターンを覚えましょう

 

たかが受験数学なんて、それしかやることねーからな。

 

この記事ではその病理を解説したにすぎませんよ。

 

 

 

 

 

数学が苦手な人にとって一番大事なことは、

何がわからないのかを自覚して、言われた通りにやること。

 

まあ、子供と女が嫌いそうなことではあるよ、字面からいってもね・・・