0375、話題の種≠コミュニケーションツール | ひたすら楽して日本国民2

ひたすら楽して日本国民2

いい世来いよと人の云う
お前のことが好きだった

僕の頭の中にある心底どうでもいいこだわりのひとつが、

「文字列が違えば意味するものも異なる」という感覚だ。

 

「memento mori」というラテン語の綴りを、

「メメントモリ」と音だけカタカナにすれば印象が変わるし、

「死を思え」と和訳すればさらに印象が変わるように。

 

少なくとも、

その言葉や表現が何を意味するのか知らない人に向けて使うかもしれない状況なら、

文字列の違いは、意味の違いよりも大きな意味を持つことがある。

 

・・・という感覚も、漢字ひらがなカタカナAlphabetの識字が可能であり、

5種類もの文字の種類の使い分けができて当たり前な日本人特有のものだと、

自覚していなければできないことも、あったりなかったりする。

 

 

 

僕はその制約を自分に課すことに何の躊躇もしないし他人に要求することもないが、

普通の人はそういう意識をそもそも持っていないらしい。

 

 

 

同様に、

「話題の種」というものは種であるわけだから、

そこから何が出てくるのかがわからない。

 

まあ普通に楽しめた旅行のお土産を見せたら、

「金も時間もないから羨ましい」という嘆きが聞こえてくるかもしれないし、

「○○行ったのに△△を食べなかったのは損してるよ!」というオススメの声かもしれない。

 

僕の中で「話題の種」というものは、

そこから何の話になっても構わないものであり、

特定の話題をしたいときに用いるものではない、という認識になるわけだ。

 

しかし「コミュニケーションツール」とはツール(道具)であるわけだから、

共通の話題が欲しいから○○する、という場合に用いる言葉ではない。

 

むしろツールそのもの(手段)は話題そのもの(目的)ではないのだから、

コミュニケーションツールとはむしろ内的なもの、

声色や言葉遣いなどの加減・・・ で は な い はずだ。

 

それゆえに僕の中で「コミュニケーションツール」とは、

たとえばマッチョである、たとえば巨乳である、たとえばハゲである、

その他誰がどう見てもその場を変貌せしめる明確かつ強烈な特徴のことだと思う。

 

同様に、オシャレや化粧もコミュニケーション「ツール」だ。

自分を相手にどう見せて、相手にどう印象づけるのか。

美女はそれだけで有利だし、マッチョは不利なことも多いが有利なことも多い。

 

自分の努力次第でコミュニケーションの方向性をある程度操作可能な要素。

それこそがコミュニケーション「ツール」であって、

やはり話題の種別そのものではないと考えている。

 

言葉遣いに気をつけたくらいでは話題の種別なんて変えられないし、

必要ならばケツから出てくるウンコの感触の話をするのが話題というものであり、

マナーは、ツールではないと考えるわけだ。

 

まあ、場合によってはマナーがツールに相当するってのも否定はしないけど。

 

話題ってマナーを遵守して着飾った場所で飛び交うものじゃないでしょ?

着飾った場所でやるものは「社交辞令」であって「会話」じゃない。

中身の詰まった、血の通った会話は、ああいう場所ではやらないし、できない。

 

 

 

 

僕は事あるごとに主張しているが、

少なくとも僕は「話題を選びたくない」し、選ぶつもりもない。

 

だからどんな話だって真面目に受け取るし、

たとえ何かを指さしてバカだとデカい声で笑うことがあっても、

その話題自体がどうでもいいものだと軽んじることだけは絶対にしたくない

 

喋ること自体が目的なのかもしれないし、

会話内容よりも発言者が誰なのかを理解すべきかもしれないし、

いずれにせよ、僕のことを「話題を選ぶ人間」だと思われたくない。

 

便秘や痔の悩みがあるなら今すぐ打ち明けてほしい。

あなたの健康と幸せのために。

便秘を放置して痔に、痔を放置してガンになることもあるからな。

 

不妊の悩みがあるなら、僕を信じてくれる限り打てる手があるかもしれない。

ただし対応が遅くなるほど意味がなくなるので、やるなら今から徹底的に。

 

花粉症の治し方だって、成功率95%以上なある手段を知っている。

これだけは絶対に、僕のことを信じてくれる人にしか教えないけど。

そして教わった人には、自分の口から喋ることは絶対にするなと厳命してきた。

 

 

 

僕は話題を選ばない。だがそれ以上に、意図が歪んで伝わることは避けたい。

 

僕に悪意はないし、何なら常に友好的ですらある。

 

少なくとも僕とあなたが殴り合いをすれば僕が勝つだろうから、

もし僕があなたとわざわざケンカしたがっている悪党であるなら、

あなたが110番を押す前に殴りかかってるはずだろ?

 

できる力があってもやらないのだから、僕は力を使いたいわけじゃない。

 

ケンカをしたくない、少しでも誰かの役に立てたらそれが一番だ、

「無益」で済むなら「有害」呼ばわりされるよりはマシだから、

距離感を適切なものに保持しておきたいわけだ、お互いに。

 

僕に対して年賀状を出す必要はない。

10年間一切連絡をよこさなくても構わない。

だが11年目に困ったというなら、いつでも連絡をよこしてくれればいい。

 

 

僕は話題を選ばない。相手が誰であろうと尊重し、対等な存在であろうとする限り。

 

犯罪者だろうと、売春婦だろうと、無職の童貞だろうと、金持ちだろうと、美女だろうと。

 

あなたたちは等しく「ヒト」であるはずだろ?

少なくとも僕ほど異常な「その他」ではないはずだからな。

 

 

 

 

 

僕の扱いはあなたの「友達」でなくても構わない。

 

だが僕を信じてくれないことには、

僕からあなたに与えられる知恵も工夫も救済も何もあったものではないよ。

 

あなたが僕を10信じてくれるなら、僕からは10を差し出そう。

あなたが僕を100信じてくれるなら、僕からは100を差し出そう。

 

あなたが幸せでも、不幸のどん底でも、美女でも、金持ちでも、

話題が何だっていいのなら、あなたが誰であっても構わない。

 

 

 

 

僕は話題を選ばない。だからあなたが誰であるのかも問わない。

これ以上の平等は存在しないと、僕は思うのだよ。