村上春樹さん『街とその不確かな壁』 | 意識デザイン


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『街とその不確かな壁』

村上春樹さんの新刊が出ましたね。
──『街とその不確かな壁』。


ぼくが大学生のころ、村上さんが『風の歌を聴け』で
『群像』の新人賞を受賞されたときから
(つまり、まだ単行本になる前の段階から)、
しばらくのあいだは、新作が発表されるたびに
全作コンプリートしていた作家さんです。

「しばらくのあいだ」って、
具体的には『ノルウェイの森』までなんだけど、
いまにして思えば、それはあの作品云々というよりも、
ちょうどその頃がぼくにとっての
「街」を後にした時期だったんだな、
とあらためて思った次第です。



村上さんの『街とその不確かな壁』を読みはじめて、
「自分もその街にいたことがある」──
と、すぐにそのことに思い当たる人たち、
あるいはいまだにその街にいることを感じている人たち、、、
この作品はそうした人たちに向けて書かれた作品です。

もっというなら、あらかたのブンガクというのは
そういうものだと言ってもいいでしょう。



村上さんは小説家として比較的初期のころに、
雑誌にこの作品のもとになる原稿を発表したものの、
単行本として刊行する作品にまでは仕上げられなかったとのこと……。

きっと、村上さんにとってこの作品を仕上げることは、
小説家としての「オトシマエ」であるだけでなく、
ご自分の人生に対する「オトシマエ」だったんじゃないかな。



まだ、この作品を読んでいない人、
あるいは「街」のことを知らない人を意識しつつ、
ぼくの読後感を述べると──

思春期を経て、うまく「世の中」との
折り合いをつけられない日々を過ごしていた主人公が、
あるときから「影」も「時間」もない『街』で過ごすことになる。

そこはけっして華やかな世界ではないけれど、
事件や葛藤もなく、質素ではあるものの、
穏やかで落ち着いた日々が流れる。

それって、思春期を過ごした人間が、
どのように「自分」を確立し、「他者」と関係を結んで、
そして「社会」と関わっていくかを模索している段階で、
しばしばありがちな道──
みんなが辿ろうとしている方向に違和感を感じて、
そこからドロップアウトしちゃうってこと。

ドロップアウトして、自分ひとりの世界に閉じ籠って生きていく。。。

(「街」には、それなりの景色があって、
 主人公以外にも何人かの人がいて、
 人間以外の生き物もいるけれど、
 でも、すべては「主人公がつくったもの」だということも
 作品の中で示されています)

──そんなことのメタファーかな、とぼくは読みました。



村上さん自身が、じっさいにそういう人生を送っていたようです。

早稲田大学に入ったものの、当時盛んだった学生運動にもコミットできず、
かと言ってケロっとした顔で卒業をして就職する気にもなれず、
ジャズ喫茶の経営しながら書いた小説が、
一応の評価を得て(でも、芥川賞は受賞できないまま)、
小説家としてやっていこうと決心をした
──ちょうど、そんな時期にこの作品のもとになる
原稿が書かれたそうです。



で、作品のなかのその「街」で暮らすためには、
「影」を手放す必要がある。

切り離された影は、街の門番に幽閉されるかのようにして
生きながらえていたけれど、でもやっぱり
その街において影単体では、長くは生きていくことはむずかしいらしい。

おそらく、「時間」のない街の中で永遠を生きていくということと、
「影」としての命を失うということが対になっている。
(「命」というのは時間のなかでまっとうされる、、、みたいな)

でも、長らくそんな状態を過ごしていると、
どっちが「ほんとうの自分」でどっちが「影」なのか
分からなくなっていく……。



けっきょくのところ、生命をまっとうするためには「影」が必要。

「影」とは、生きていくための面倒ごとかもしれないし、
他人との摩擦かもしれないし、
日々の厄介な感情かもしれないけれど。

そうしたことって、「影」と同じく、
生きていくために直接必要なことには思えないし、
何なら手放しちゃった方が、
シンプルで葛藤のない生活ができるかもしれない。。。

でもやっぱり、それがないと生命は機能しつづけることはできない。

だから、いったんは「街」で暮らした人も、
たいていはどこかで何とか折り合いをつけて、
(つまり影を取り戻して)もといた世界に戻っていく。

つまり、生きていくための面倒や、
他人との摩擦や、日々の厄介な感情を
引き受けることを覚悟する。

必ずしも、積極的に取り組むわけではないにせよ……。

──このあたりが、この作品の第1部から第2部にかけて、かな。



村上さんの、元の原稿は第1部のところまでだったようです。

それから、第2部が書き継がれました。

まぁ、中年になって、昔のことを回想しながら、
若いころに抱いた疑問やら志やら……、
自分はほんとうにそれを解決したのだろうか、
あるいは乗り越えたのだろうか、
──あらためて自分の人生を問う、って感じかな。



村上さんは、ここからさらにつぎの一歩を試みます。

第3部になると、あらたにふたりの重要人物が登場します。

ひとりは、主人公が職を得た地方の図書館の
事実上のオーナーである子易さん。
ネタバレを避けるため、あえてくわしくは書かないけれど、
ここではあえて「人生の先輩」と書いておきます。

もうひとりの重要人物は、イエローサブマリンの
絵柄が書かれたパーカーを着ている少年。
主人公は、人生の先輩である子易さんに導かれながら、
最終的にイエローサブマリンのパーカーを着ている少年に、
街での暮らしについて後を託す。

その底では、子易さんが亡くしたお子さんや奥さんの死が、
通奏低音として響きつづけています。



小説、とりわけ主人公=「私」というタイプの作品は、
何となく主人公の「私」=作者(たとえば村上春樹さん)でもあり、
そして読んでいるうちに自分(作品を読んでいる「私」)でもある
という気分になってくるものです。

でも、第3部になると、主人公はもはや「私」ひとりとは
言えなくなっていきます。



ひとつには、作品のなかで、はっきりと
主人公がイエローサブマリンのパーカーを着ている少年と一体化をする
ということが描かれています。

つまり、主人公の「私」は、自分ひとりが
人生の難題を解決したり、乗り越えて完結するのではなく、
つぎの世代にそれを引き継いでいくのです。

あたかも、「人生の難題」とは
自分ひとりがそれを解決したり、乗り越えたりするものではなく、
じっさいにそれを生きて、そして人間の永遠のテーマとして、
そのバリエーションを展開していくものだ、

そして、それはけっして何かの答えに辿り着くものではなく、
解決されることのない問いとして、
世代を超えて引き継がれていくものだ、
と言っているかのようです。



主人公は、イエローサブマリンの少年という
後を託す存在を得るだけではなく、
そこに至るに際して、人生の先輩である子易さんの導きを得ました。

そこには、自分もまた子易さんのように、
誰か若い人のために導きとなれるかどうか……
という思いが投影されているように感じられます。

つまり、ここではもはや「問題と格闘する自分」の物語ではなく、
「問題と格闘するであろう、ある種の人々」に想いを拡げる物語へと
進化をしているのです。



そして、作者の村上さんの思いもまた、
そこに寄せられているように感じました。

すなわち、村上さんにとっての子易さん──
つまり、彼が読んできたたくさんの小説と
その作者たちに育てられた自分が、
こんどは書く側として、
若い、迷える魂たちに向けて、
「解決済みの答え」ではなく「永遠の問い」を引き継いでいく、
その思いが表現されているように思います。



この作品は、村上さんの初期から中期の作品がそうであったように、
親しくなった女性が、かんたんにセック.スをしてくれて、
そしてその女性が死ぬか、不幸な目に遭って、
それと引き換えに主人公の人生を前に進めてくれる
──というようなつくりにはなっていません。

その代わりに、子易さんの子どもと奥さんが
不幸な死に方をしているわけですが。

まぁ、このあたりは、村上さんも、
初期から中期の頃に受けた批判を意識しているのだろうけれど、
やっぱり「供犠」というのは必要なのかな。。。

魔術をたしなむぼくとしては、
「引き換えとなるエネルギーが必要」だということは
分かってはいるのだけれど……。

そして、それに加えて、
ぼくたちが人生を前に進めていくに際して、
「死んだ人」あるいは「死んでいる人」に対する
想いを無視することはできない、、、
という感受性もあるのかもしれません。



スピリチュアリストのぼくとしては、
村上さんとはまた異なるものの見方をもっているけれど、
でも若いころからいつも視野のどこかにいた
憧れの人のひとりがきちんとご自身に対して
「オトシマエ」をつけたのを見届けた、
という気持ちになりました。



ほんとうは、もうひとりのムラカミ=村上龍さんが
発表した新刊『ユーチューバー』についても語りたかったし、
若いころからいつも視野のどこかにいた
憧れの人のもうひとりで、先日お亡くなりになった教授=
坂本龍一さんについても一言書きたかったんだけど、
今日のところはこの辺で……。





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『エブエブ』お話し会の録画
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いやいや、ぼくってよっぽど語るのが好きみたいで……

先日の月例会で、
映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
についてもたっぷり語っちゃいました^^



映画の鑑賞料金が2,000円なのに、
それについてただのオヤジが語っているのを視聴するだけで、
なんで4,000円も払わなくちゃいけないのか?

──なんて、つっこみを入れられると困っちゃうんだけど、
ぼくの話を聴いてくれたら、たぶん映画を2倍以上楽しむことができるはずです。
プラス、映画を超えた延長線上の話もしています。

たとえば、パラレルワールドをジャンプするということは、
けっきょくのところ「魔術」へとつながるんだけど、
ずばりどうしたらそれが可能になるのか、
押さえるべきポイントだとか。

あるいは、バシャールがけっこうパラレルワールドについて
語っているので、バシャールの説明しているパラレルワールドの紹介だとか、
あるいはこれから人類が集団アセンションをしていくのに際して、
グループごとに別々のパラレルワールドに分化をしていく
──そのタイムテーブルの紹介とか。

よかったら、ぜひ!

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※「Zoom 4月18日(火)10:00-12:30 『トーク&ワーク』※後日視聴可」
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GWリトリートのレビュー
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ゴールデンウイーク熱海にボブ フィックスを招いて
リトリートを開催します。

テーマは、『ヨーガ・マジカル・アビリティ』。
ずばり、啓発(悟り)~アセンションに加えて、
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おかげさまで熱海での宿泊はすでにいっぱいなのですが、
初日の「オープニングレクチャー&プージャ」だけでしたら、
日帰り参加/Zoom参加(後日視聴可)まだ受付可能です。

■リトリートのご案内 & お申込ページ



こちらは、5月の月例会「トーク&ワーク」にてレビューを行う予定です。

レビューにはリトリートに参加しなかった方、
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いま、ボブ フィックスとELMがめざしている
最前線の情報をシェアさせていただきます。

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