潜在意識の研究家•藤堂ヒロミさんの新刊
「運を超えていく」を読んでいます。
運が良くなる行為として下記のようなことをやるといいとよく言われます。
•トイレ掃除と玄関掃除は、必ず朝におこなう
•朝起きたら、窓を開ける
•朝晩、ご先祖様に挨拶する
それに対して、ヒロミさんは
「それは喜びでやっていますか?」
と、この本の中で問いかけています。
喜びからやってるのか、心地いいからやってるのか、
それとも、面倒だなと思って無理にやるってるのか、
やってることは同じでも、そこで大きく違うんです。
誰かに言われたからとか、これをやれば運がよくなると聞いたからとか、ほんとは面倒だと思ってるのに無理にやってることはありませんか?と。
喜びでやってるなら確かに素晴らしいことばかりなんです。
ただ、面倒だなーって思いながら、でも、運が良くなるらしいからと無理やりやってると、それは「交換条件の世界」に留まることになるんだそうです。
でも、大事なのは、
なんでやっているのか、
その動機の純度なんです。
ここ、案外、見落とされてるところですよね。
これは、
何かのために(お金のためや運のために)
やりたくないことを無理にやっている
という構図(時空)を生み出し続けていることになるわけです。
とはいえ、実践することで気分も変わってくるので、
僕は最初は交換条件の世界から入ってもいいと思うんです。
ただ、その先に行きたいと思ったら、
これまでいいと言われていたことさえ
手放すタイミングがくるってことです。
先日、「暮らし道(ドウ)」を提唱するサトケンさんとコラボさせてもらいました。
五感を丁寧に働かせて家事をすると、
暮らし全般がアートになる
それを提唱してるのが
「暮らし道(ドウ)」です。
(ちなみに、僕が名付けさせてもらったよ)
そのサトケンさんと神仏習合の
ある神社に行ったんです。
そこは神社から歩いて5分ほどで奥の院があり、僕らが行くと奥の院でちょうど護摩が焚かれるところで、
「いやーー皆さんたちはほんと運がいいですね。
これもご縁ですから、どうぞどうぞお上がりいただいて護摩をやっていってください」
と僕らのグループに声をかけてくださったんです。
僕らは、ちょうどいいところに来て、運がよかったなーと喜んで護摩の行を30分ほどさせていただきました。で、ふと後ろを見るとサトケンさんがいないんです。
終わった後は奥の院の入り口にある有名な蕎麦屋さんで蕎麦を食べようと話してたんで、お店に行ったら、サトケンさんがもう山菜を肴に日本酒を飲んでいたんです。
「今日は護摩行という気分ではなかったので」と!
僕ね、このとき、感動したんです。
普通、「これから護摩を焚くまさにいいタイミングにきましたね。皆さんたちは運がいい」と言われたら、ありがたく護摩受けるじゃないですか!
でも、サトケンさは
「今日は護摩という気分ではなかったので」と
僕らからこっそり抜け出して
一人で先に蕎麦屋に行ってたんです。
シンクロを素通りできる男(笑)
シンクロを台無しにできる男
を初めて見ました(笑)
ご利益を台無しにできるほど、
気持ちにゆとりのある男なんです。
シンクロより護摩行より
いまの気持ちを大切にできる男なんです。
わーー。
アメバブログすぐ字数制限くるなー。
ではでは続きはこちらから。