こんにちは。
歴史考察とっきぃです。
昭和節(昭和の日)です。
日本人が敗戦から立ち直れたのは、昭和天皇が全国行脚して、
鉱山の中まで入って、「頑張ろう!」とエールを送ったからです。
天皇の「人間宣言」で、これまでの明治帝国が瓦解し、
新しい主権国家・日本国がスタートしたのは昭和27年です。
日本人は戦争に負けて意気消沈しているかと思いきや、
新しい生き方を見出して産業立国として出発します。
人間の精神は複雑です。過度の負担が訪れると心が折れてしまい、
もとに戻るのには大変な時間と労力を要します。
ところが、日本人は復興に成功しました。
やはりトップの覚悟が大事なのです。
現人神(あらひとがみ)であらせられた主上の君が、
キツい・きたない・カッコ悪い・危険きわまりない炭鉱に、
ここで働く坑夫と同じヘルメットをかぶってサッサと入って、
拳を振り上げて激励したのです。フイルムに残っています。
この全国行脚だけでも、昭和天皇は立派な人物です。
色々話はあります。
アヘンの利権とか、原爆の話とか、黒い話はいっぱいあります。
鬼塚英昭氏の著作に詳細は譲りますが、ひどい話です。
ただ、こうした菊タブーを差し置いて、戦後の全国行脚は認められてしかるべきです。
人間は大きな心の揺さぶりがあったとき、上官(上位の人)の顔をまず見ます。
ここで、上官が動かざること山の如くあったら、現場は落ちつきます。平常通りのアウトプットができるわけです。
ところが、上官が保身に走り全責任を部下におっ被せるようなことがあると、現場はあっという間に瓦解します。
例えば、鳥羽・伏見の戦いの徳川慶喜(ケイキ)です。
この男は征夷大将軍という上官でありながら、大本営である大坂城本丸から、コッソリと軍艦で江戸まで逃げ帰ったのです。前線で自軍が戦っているにもかかわらずです。一人じゃ心細いから会津藩主の松平容保(かたもり)と弟の定敬(さだあき)まで連れてです。
錦の御旗が出たからもう駄目だと戦意を喪失したみたいです。
そして上野の寛永寺で謹慎するのですが、松平容保は会津藩に戻って徹底抗戦の意志を固めました。そして会津の悲劇が始まります。
伏見戦線で取り残された幕兵たちの心やいかに。
また、徹底抗戦で頑なに散った会津の人々の心やいかに。
堀内孝雄の「愛しき日々」ではありませんが、
会津には西郷頼母のような柔軟な家老もいたのです。
要するに、硬軟あい混ぜたやり方もあったのです。
すべては藩主・松平容保の頑固と視野狭窄が招いたことです。
同じことは徳川慶喜にも言えます。
とにかく小才が効くのです。大政奉還というのもその一つです。
征夷大将軍職を返納しても、どうせ統治などできないのだから、
結局自分に権力は戻ってくると皮算用したのでした。
この将軍職というブランドを地に落とすようなやり方に憤ったのが、人斬り奉公 死に役(ひとぎりぼうこう・しにやく)・小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)です。
東映
ドラマ「影の軍団 幕末編」(東映)のラスボスがこの小栗上野介でした。
劇中で、「徳川に人斬り奉公死に役を務むるこの上野介、天魔の前に立ちはだかってくれるわ!」と千葉真一(服部半蔵)に豪語していましたね。演じたのがこれまたはまり役の夏八木勲さんです。
ドラマ終盤で、愛槍で自腹を付き、「半蔵! 介錯せいっ!」と叫んでいました。「忠順どの・・」と目に涙を貯めて首をはねる半蔵が切なかったです。シリーズでは珍しい私心のないラスボスでしたね。汚い仕事でも、それが譜代の仕事なのだからと自嘲していたのでした。
京都から離れた地点から政局を眺めれば、流れも見えたのでしょう。傍目八目ですね。小栗は京都まで一騎駆けして慶喜に謁見します。
大政奉還なんて姑息な手を使えば権力は永久に戻ってこないと、主の慶喜にすがりつくのですが、小才に酔っている慶喜や幕閣連中に袖にされ、役職剥奪の上、謹慎をくらいました。とまぁドラマはさておき、
小栗上野介忠順は、調べてもらえればわかりますが、多才で度胸もあって、明治政府の政策は、多くをこの上野介に負っています。
書いたらキリがないので一点だけ。上野介は「目付」という役職で渡米したのですが、その適訳として「ケンソル(羅:censor)」を採用しました。ケンソルというのは古代ローマの監察官のことです。漢字のまんま訳したらスパイ(英:spy)になってしまいます。
相当な見識であることがこの一点だけでもわかります。
あとネジの話とか、財政・経済・軍事とか、まさに国の宝です。
こういう逸材を使えないのはラストエンペラーの共通項ですね。
西ローマ帝国のホノリウス帝は自分を支えたスティリコ将軍を疑心暗鬼から処刑していますし、当時の評論家は「こいつは長く生きすぎた」とホノリウスを酷評しています。
モンゴル世界帝国もそうで、ダキ皇太后の時代、大都の首脳陣は有能な将軍を殺しています。理由は疑心暗鬼です。
どうしても保身に走るのですね。余裕がないから楽な方へと行くのです。そしてそれを助長する奸臣が必ず控えています。
武田勝頼もそうでしたが、二者択一で必ず破滅を選択する。
使えないのは明治政府も同じで、小栗上野介忠順は史実でも斬首されます。稀代のテクノクラート、小栗上野介のあまりにももったいない最期でした。いますよね、こういう人。会社を愛してやまない役員がある日、満場一致で解雇されるパターンです。
一方で、徳川慶喜や松平容保は無罪放免です。慶喜など上野東照宮で神さまにまでなりました。小栗上野介も西郷頼母もああいう人ですから、主君を恨むようなことはしませんが、逆に容保は例の敵前逃亡を終生恥じたとのことです。
松平容保 日本テレビ「白虎隊」(1986年)より
「責任をとる」というのは、男の世界では大事な美徳です。
ミュンヘン一揆で失敗したヒットラーにどうして多くの国民がついてきたのか、それは裁判で「一揆の責任はすべて自分にある」と断言したからです。
反面、「余は悪くないぞよ」と他責にしたのがドイツ第二帝国のヴィルヘルム二世でした。あと、後鳥羽院ですね。
こういう上官に誰がついていくでしょうか。
ドイツが国体を失ったのも、鎌倉幕府が国を制したのも相似形としか言いようがないです。
衰退期には、男として、上官として、最悪の男がなぜか最高位にやってきます。マッカーサーは「アイシャルリターン」と、いちおう一言かけたので、一ミリだけ慶喜よりまともでしょうか。
最後に、上野介に勝るとも劣らないテクノクラートだったにもかかわらず、見事に畳の上で往生した老中に言及しますね。
松平伊賀守忠固(まつだいら・いがのかみ・ただかた)という男です。この人も有能で先が見えるので何回も干されます。それでもやっぱり政界に戻るのですね。再帰組でしたが勝手掛老中に就任しました。
ちなみに老中筆頭と勝手掛はまったく別の役職です。兼ねることが多いので誤解されがちです、注意しましょう。
日米修好通商条約を締結したのは実はこの男です。詳細は『日本を開国させた男、松平忠固』(作品社2020)を繙いてくださいね。
確実な文献資料や伊賀守本人の日記史料を渉猟しているので、信頼できます。昨今ネットCMで出てくる「目からウロコが云々」の妄想本とは違います。松平伊賀の存在を知っているだけで、まともなビジネス界では一目置かれます。このとっきぃが請け合います。※飲む打つ買うしか興味ない末端現場は論外ですので念のため。
要するに幕末の幕府側はアンポンタンばかりではないのです。
伊賀守は信州上田藩の領主でもあり、養蚕業を奨励して将来の生糸工場の稼働にちゃっかり備えています。領民や部下の才能もきちんと開花させています。それでいて肖像画を一枚も残していません。
自らの痕跡を消すという点では、まるで大和大納言さまのようなお人です。
テクノクラートはいつでも、どこにでもいます。
この連中を動かせるか否かは、上官の器ひとつです。
フーシェやタレーランを動かしきったナポレオンも「その頃は」男でした。
サゲマンを娶ってから運命が傾いたのが残念でしたがね・・。
森羅万象の掟にしたがい、フーシェもタレーランも心が離れていきます・・。
男といえば、やっぱり夏八木勲です。
小栗上野介忠順を見事に輝かせていました。
あと、松平健主演のドラマ「平清盛」ではライバルの源義朝を演じて、圧倒的存在感を醸し出しています。同じく1986年末のドラマ「白虎隊」では近藤勇役でこれまた強い個性です。拳を口の中に入れるしか能のない慎吾ママの近藤勇とは雲泥の差ですね。
夏八木勲の生涯を見ると、脇役の重要性がこれでもかと思い知らされます。
小栗上野介、源義朝、近藤勇、そして「必殺仕置人」の寅吉らに命を吹き込んだこの大俳優に心から弔いの意を表します。
夏八木さん、本当にありがとうございました!