歴史考察とっきぃの 振り返れば未来

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歴史コミュニケーターとっきぃのブログです。
映画「リボルバー・リリー」主演:綾瀬はるか 時代考証担当
歴史、日本のカルチャー、勉強法、生徒物語などを随時、更新していきます。

こんにちは。

歴史考察とっきぃです。

 

プーチン大統領が択捉島を訪問しました。イクラを美味しそうに試食していましたね。

いくらちゃん

武闘派ヤクザのプーチンが一線を越えたのには、重要なメッセージがあります。日本は増税メガネの時代、ウクライナへの多額の義援金を発表しました。ゼレンスキー大統領の哀れみの目を見ては、議員全員が(脚本通りに)スタンディングオベーションをやっていました。

こういう紛争ごとというのは背景も十分に考察した上で行動を起こさないといけないのに、みんな感情に溺れて「ロシア憎し」で固まったのです。ロシアによる対ウクライナ特別軍事作戦は、世界をひっくり返すキーポイントでした。バルト三国にポーランドとクリキントンがやりたい放題でNATOに加入させました。そして今度はウクライナというわけです。プーチンは耐えました。なぜか。金を集めていたからです。ルーブルの金本位制を立ち上げるためです。やがて調子に乗ったNATOはついに一線を越えます。ウクライナのNATO加入を言い出したのです。ウクライナは棚ぼたで生まれた国家です。自ら血を流して勝ち取った国家主権ではありません。ですから平気で利権に走るのです。ウクライナ東部のドンバス地方ではロシア系ウクライナ人がいじめられていました。十分に準備ができたプーチン大統領は晴れて特別軍事作戦に入ったわけです。核を持っているとはいえ、GDPはせいぜい韓国とどっこいどっこいだから、ちょっと脅せばすぐビビると西側は軽く見ていました。西側を支配しているのは国際金融資本です。要するに商人(あきんど)です。

桔梗屋さんと将軍さま

なので、物事を帳簿、つまり数字でしか見ないのです。そこで、国際決済から仲間はずれにしてやると恫喝をかけました。そしたら、ロシアは金本位制でやるから別にかまわないと答えが返ってきたのです。

伝統的に商人というのは暴力に弱い。それでうろたえ始めたわけです。振り上げた拳は降ろさないわけにはいきませんから、NATOは意地になって戦闘を続けています。そうこうしている間に状況は変わり、クレクレスキーも飽きられて、EUのフォン・デア・ライエンというおばちゃんもまた、カネも在庫もなくて困ってしまいました。そこへ登場するのが増税メガネの大枚です。ドローンをいっぱい作って頑張っています。特別軍事作戦が長引いているのはこの機会に国際金融資本とその手先を一掃してしまおうというロシアの隠れた意思があるのかもしれません。ロシア憎しの自民党に対し、択捉島訪問というわかりやすい形で謎かけをやったプーチン、次の一手は何なのでしょう。ちなみに、米軍基地さえつくらなければ返還に応じてもいいとプーチンは言っていました。自民党に呑めるはずがなく、断ったのはそんなに昔の話ではありません。

 

白銀城に、フランス王とル・ペンさんがやってきました。表敬訪問の形をとっているので、天皇や首相に挨拶をした上でついでという色合いです。公方頼秀は喜んで迎えると、最高格式の大広間で対談することにします。上段の間には国王を向かい入れ、中段の間で頼秀とル・ペンさんは話をするという形式です。西洋人ですので椅子も準備されました。フランス側はマナーをわきまえていますので、靴を脱いで用意された上履きに履き替えます。

目的の話は、明治維新の成功についてでした。明治維新も王政復古という意味で、ル・ペンたちの「第三立憲政」に通じるものがあったからです。頼秀は日本とよその国との端的な違いに言及します。

よその国、例えばインドなどでは、西洋技術はそのまま西洋人技師にお任せなのです。ところが、日本ではエンジンからウイスキーまで製造原理から完成まで一から学ぶのです。そして自家薬中のものにしたらお雇い外国人には帰ってもらうという方式です。だから、勝沼ワインは美味しい。外国ワインなら温度管理された極上ワインがそのまま届くサイゼリヤの100円ワインと、気が付いたらあの「おフランス」にワイン談義をぶちかましていました。このやり方を公方頼秀は「攘夷」(じょうい)という言葉でまとめました。

相手の技術が上だったらとりあえず頭を下げて学び尽くし、同じ土俵に上がれるまでは臥薪嘗胆の心でいる。仮にトップになっても奢らずに相手の美点を学び続けるという精神のあり方。これこそ攘夷の本質なのです。時代劇のいう「尊王攘夷」というのは一方的な見方に過ぎないのです。

ジャン王もル・ペンさんもじっと耳を傾けました。フランスは王国誕生以来、欧州を引っ張ってきた随一の文明国という自負があります。しかし、パリにディズニーランドができたあたり(1988年起工)から精神的落ち込みが、つまり「自負心」が枯渇していったようなのです。答えが出ず、どうしたらいいかわからなくなって白銀城に来たというわけ。

頼秀はギゾーの『 ヨーロッパ文明史』(みすず書房)を持ち出してフランス文明の偉大さを一旦肯定し、反面としてのヨーロッパ中華思想が足を引っ張っていると指摘、「攘夷」は誇りを失うことなく卑下することもなく、自らを高めていける思想であると締めくくりました。ギゾーの名が出るとジャン国王がニンマリします。それもそのはず、ギゾーはオルレアン朝(七月王政)時代最後の首相で清廉の士としても有名だったからです。ジャン王はオルレアン朝直系の子孫です。

 

さて、幕末でも、登場人物を冷静に凝視してみれば、井伊大老から若き志士まで大なり小なり「攘夷」で心は一致していたことがわかります。特に老中、松平伊賀守(忠固)などは激動を乗り切って個人としても成功しています。動画まで出ているのは驚愕でした。

 

 

逆に外国征伐(狭い意味での攘夷)にこだわっていたのが孝明帝でした。口だけ番長ですから、実務が伴わないんです。大名たちは「勅命」(朝廷のご下命)と「台命」(幕命)の間で右往左往したのです。国王主従には話しませんでしたが、西郷さんたちが大室寅之祐を担いだのにも、意味があったのでしょう。「大攘夷」のためにはワガママな孝明天皇父子じゃ埒があかないし、高貴でも線の細い睦仁親王では、列強政治の荒波を越えれるか未知数だったからです。それで性欲ギラギラの大室寅之祐を担いだというわけ。事実、明治大帝は日清・日露の国難を乗り切りました。アッパレ寅之祐! 

いつの日にか、天皇弑逆(しいぎゃく)が白日にさらされ、明治の元勲が裁かれる日も来るでしょう。それは明治帝国の正体がバレる日でもあります。この話は危険なので、フランス人には内緒です。

東宮弑逆(1872年)

頼秀はル・ペンさんに町田明広博士の『 攘夷の幕末史』(講談社学術文庫)なる小冊子をプレゼントしました。ル・ペンさんは大事そうに胸に抱えると、目を真っ直ぐ公方に向けます。同じ天子補佐という立場で、年も同じです。こうして愚痴も聞いてもらい、心は晴天でした。胸元にはサント・ラ・ピュセル勲章小綬章が輝いています。

話が終わると、国王主従はラーメン、お好み焼き、カツカレーなどのB級グルメを楽しんで帰国しました。後日談ですが、王国フランスはあえて一歩引くことで国際的影響力を高めることになります。フランス流個人主義と攘夷は両立したのです。白銀城大奥の最奥部「松の丸」に、迎賓用の「松の御殿」が完備されています。こちらで相模灘の絶景を楽しんでもらいました。

白銀城大奥は、天守丸に近い方から「桜丸」、「竹の丸」、「松の丸」と3つの郭に分かれ、「桜丸」の桜御殿が将軍公邸、「竹の丸」がお茶屋などのある別邸、そして「松の丸」が迎賓館となる松の御殿という構造です。縄張りは先日、国宝松江城で発見された「慶長度江戸城本丸縄張り」に準拠しています。この縄張り図の後ろの3つの馬出しを大奥3郭にしたというわけです。

 

さて、「アルバイト」とはいえ、一時的に仕えた旧主に恩返しができて公方頼秀、いやヨリード・コレトー前大元帥は後期明治帝国(戦後日本)の請求書を消化すべく、今日も老職たちと協議しています。

こんにちは。

歴史考察とっきぃです。

熊本県が大変ですね。被災に対し、心より悼みます。地震ですが、例によって初期微動のない「不自然な地震」でした。ハワイや能登と相似形です。生意気な台湾のTSMCチップ工場がありますね。それに八代市をスマートシティにしたいという野心もあったようで、相変わらずえげつない。国際金融資本というのは一般国民を同じ人間とは見てはおりません。せいぜい家畜、もっと言えば養豚(ゴイム)です。

中世欧州では、冬になると豚は種つがいを残して残りはぜんぶ屠殺します。でないと、極寒の冬を越せないからです。肉は腸詰めにするなり、サラミにするなりと、一滴も血を無駄にしません。それが家畜へのせめてもの供養です。

それが国際金融資本ともなると、庶民への供養などどこ吹く風です。

どころか人間の赤ん坊を殺してその肉を食べるとか、悪魔的所業にふけっています。こういう連中が快適に過ごせる別荘エリア、それがスマートシティなのです。トランプ大統領の活躍でだいぶ勢力は低下したとはいえ、今回の地震に見るように、まだまだその力はあなどれないものがあります。そういえば、能登地震の際に寄せられたコマツなど北陸由来の企業からの巨額の義援金はどこへいったのでしょう。自民党の石川県知事を通じて、自民党の選挙資金、麻生セメント、パソナなどへと流れていったのではないでしょうか。

世間では「ネサラ・ゲサラ」の期待が大きいです。しかし、それはあくまでアメリカの話(NESARA)であって日本ではどうなんでしょう。「庶民を甘やかしちゃいかん!」という自民党副総裁の一言で、与党がネコババする可能性は大きいです。せいぜい一人当たり3万円くらい配られてチャンチャンではないかと思います。

 

さて、日本の首都は京都です。明治のご一新のとき、東京に移動したのは「奠都 (てんと)」であって、「遷都(せんと)」ではありません。

前者は首都機能を新しい候補地に移すことをいい、後者は首都そのものを移動することをいいます。「奠都」だから明治天皇は京都にも御所を残す決断をしたのです。御所は京都御所あらため「禁裏御所」(きんりごしょ)となり、京都御苑は禁中御苑となります。

東京の吹上御所は里内裏です。公儀は大坂城西の丸にも、里内裏を建てる予定です。

 

鎌倉大納言・惟任光長は、京洛総奉行として京都市に乗り込みました。三条坊門(中京区)に居を構えると、京都官邸の建設を始めました。首都であるからには、一国の指導者の建物は必須です

検非違使別当(副将軍)時代に予算や建材の確保はできていましたし、用地買収も進めておきました。今回はその収穫です。

新たに立ち上げる京都官邸の場所は、足利義満が建てた「花の御所」を踏襲することにしました。

敷地は東側を烏丸通、南側を今出川通、西側を室町通、北側を上立売通に囲まれた長方形で、北半分を「花亭」、南半分を「菊亭」といいます。花亭は首相公邸とし、生活空間とします。その南には大きな池があって、さらに南側の菊亭が実質の官邸機能を有します。入口は室町通に面しており、現代つまりハイテクこそ内蔵していますが、外観はおおむね往時の姿を模しています。屋根はもちろん杮葺(こけらぶき)です。金閣寺と同じ屋根です。敷地内の同志社大学キャンバスは郊外に移転してもらいました。京都保護観察所も同様です。民間の小売店や飲食店舗は、そのまま抱えこむ方針です。

二条城も整備します。本丸を再建します。大天守や小天守は史資料が残っているので割と早く完成します。大天守の御所方面は目隠しが施されています。

二条城寛永度天守模型 | 城郭模型製作工房

問題は本丸御殿で、内部構造が不明な点が多いのです。18世紀に火災で焼け落ちてそのまんまだからです。現在の建物は旧桂宮邸の一部で、これはこれで重要文化財なので、御所の敷地に移ってもらいました。本丸御殿の内側は名古屋城や大坂城の資料を参考に整えるしかありません。

そして本丸と二の丸をつなぐ大橋。実は本物が残っているとのことで、ガラスコーティングした上で、かけ直しました。後水尾天皇が行幸したときにあつらえたものです。主上は地べたを歩かないんですね。

液体ガラス」が日本の建築を守る | 株式会社明石

こうして、花の御所(首相京都官邸)と二条城の方針が決まると、相国寺の再建です。三門と仏殿が寄進されました。そして今回の大目玉政策が、あの日本一の七重大塔の再建です。現在は駐車場となっている敷地に新たに再建されます。三度焼け落ちているので、その轍を踏まないように、避雷針対策も万全です。二条城大天守と同じく、御所が見えないように目隠しがされています。

相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)である金閣寺は鹿苑寺金閣、同じ銀閣寺は慈照寺銀閣と名を改め、銀閣の鳳凰にはいぶし銀のコーティングが施されました。また、北山の鹿苑寺には、北山大塔が再建され、相国寺の大塔と併せて新たな京都のシンボルとなりました。

 

フランスでミッテラン大統領が立ち上げたパリ大改造計画「グラン・プロジェ」にちなんで「グラン・プロジェ・デュ・京都」と名付けた一大計画が上記の政策です。財源ですか? 米軍が去った後、「思いやり予算」はそのまま公儀が引き継ぐことになりました。

これが諸政策の資金源となったのです。

 

足利義満の皇位簒奪説は、公儀では完全に否定されています。南北朝の統一を成し遂げるには、家格をとことんまであげるしかなかったというのが真相です。当たり前です。足利家が政権を担う源泉は朝廷にあります。朝廷に任命されてはじめて全国の武士は足利家に従うのです。公家にも武家にも世間にも目に見える形で納得させないと、人は納得しないのです。というわけで、同志社大学の敷地内にあった鹿苑院を再建してアニメ「一休さん」を無償で流し始めました。

loveispeach 因みに一休さんに登場するお殿様はあの金閣寺を建てた室町幕府三代将軍足利義満なのです。中学生に社会に先生が教えてくれたんですが。 #天てれ

大納言光長は、一定の方針を固めると作事を按察官(あんさつかん)と京都所司代に委ねて伊豆へと帰っていきました。一旦任せると、後からごちゃごちゃ言わないのがこの男のいいところです。

 

京都にはミカドをはじめ、関白、皇室に仕える公家さん、京都行政を動かしてきた白足袋衆、旧皇室、皇別摂家などがいっぱいいます。

これらの人々が、江戸時代まで続いたかつての伝統を支えます。

東京の皇居・吹上御所はどこまでも「里内裏」(さとだいり)に過ぎません。宮内庁はお公家さんたちが乗り込み、公明党系列の職員を追い出してしまいました。そして、改めて「富士古文献」の研究を始めたのでした。CIAのつくった日本ではなく、本当の日本を取り戻すために。

 

古きを基に、新しきへチャレンジする京都。

大納言光長は、新しい時代の「平安京」に思いを馳せるのでした。

禁裏方面では、世襲親王家の創設など次の仕事が待っています。

明治帝国がでっち上げた大室寅之祐系統から、本来の血筋に戻す器を用意するためです。その話は紙と硯を改めて、また。

こんにちは。

歴史考察とっきぃです。

 

新生フランス王国でフランス大元帥を務め、見事に王政復古を成し遂げたヨリード・コレトーは任期を終えると、公方惟任頼秀と名を戻して日本に帰国しました。

この「アルバイト」は全世界の注目を浴び、日本とフランスの「美(うま)し国」という共通項で語られるようになりました。

フランス国民の愛国心は昔から強く、ヴァルミーの戦い(1792年)以来、自分たちが国をつくっているという自負があります。

しかも、フランス国民は元々が百姓。ル・ペンさんは国体の意味合いを述べるのに、フランス王は「カトリックの長男」であり、フランスの祭祀王(さいしおう)であるというレトリックを使ってこの難題を乗り越えました。

また、フランス革命(1789年)が勃発しても国民の9割は国王を信じていたことにも言及し、「1791年憲法」が成立した時代を「第一立憲政」(1791~1792年)と改めて定義、七月王政を「第二立憲政」、そして今回の復古を「第三立憲政」と定めました。

 

王朝名の「ヴァンドーム朝」というのは、国王のジャン三世が昔に名乗っていた儀礼称号がヴァンドーム公だったからです。

オルレアン家ですから、オルレアン朝と名乗ればいいのにあえて変えたのは昔のオルレアン公出身の人物が小さかったからです。フランス革命時代、オルレアン平等公は国王ルイ十六世に「死罪」の一票を入れました。その後、因果が巡って自らも首チョンパにされました。息子のルイ・フィリップ国王は国際金融資本(ロスチャイルド家)にへりくだり、どっちが王様かわからないほど威厳も何もなかったのでした。二月革命が起きると執事の姿をして勝手口からコソコソ逃げて亡命します。

裏口から逃げるルイ・フィリップ

こういう醜態を思い起こさせるオルレアン朝の名は捨てたほうがいい。といっても名門なので三男にオルレアン公の名前とドルーのサン・ルイ礼拝堂の宗主権を与えたのです。ちなみに次男はノルマンディー公です。

Image illustrative de l’article Liste des ducs de Normandieノルマンディー公家紋オルレアン公家紋

トランプ大統領は、さっそくサン・クルー城の国王に訪(おとな)いを始めます。アメリカ合衆国は、フランスの助太刀があったからこそ、独立できたのです。ニューヨークの不動産オヤジにこんな歴史の知識があったかどうかはともかく、少なくとも米陸海軍は足を向けては寝られないはずです。それで、トランプに訪問をさせたというわけです。

 

ル・ペンさんの舵取りもしっかりしているようで、炎天下の中、日本のエアコンを工場ぐるみで誘致しようとダイキンやビーバーエアコン、霧ヶ峰、エオリアなどに声をかけています。日本のエアコンは優秀です。手入れなどしなくとも40〜50年は平気で稼働します。また、空調服もどしどし輸入しています。せっかく出航した新生フランスです。国民を怒らせておじゃんにしたくはないのです。

ありがたいことに、フランスの政治家は日本みたいに数千万円の年俸を要求しません。志で代替できるからです。ヴァルミーの戦いで得た自信は数百年たっても健在なのですね。李氏朝鮮の伝統を受け継ぐ現代日本の帰化人政治家とは違うのです。

こうしたフランスの明るい未来を予期したからこそ、公方頼秀は日本に戻ってきたのです。日本に帰国して1週間後、白銀城黒書院に、老中・溝尾庄兵衛が拝謁しました。両隣には老中に若年寄と、幕閣が並んでいます。庄兵衛の後ろには若い青年がかしこまっていました。

やがて公方頼秀が現れると、この青年に注目が集まります。

「庄兵衛、その者は?」

「それがしの飼い犬でござります」

「飼い犬? 子細を述べよ」

「この者、猪飼(いかい)和馬と申す者でこの度、按察官(あんさつかん/羅:Aedilis)に推薦したく連れて参りました所存」

按察官というのは、専門職で土木建築から都市景観などの全般を差配する階級です。江戸城、二条城から名古屋城、広島城まで景観を含めて再建を担当しています。

「この猪飼は昔、相当のワルでしてなぁ、大阪の暴走族”髑髏軍団 夜露死苦(ドクロぐんだん・よろしく)”を率いていた頭目でござる」

幕閣の目が険しくなります。

「ほう、で、その”飼い犬”が按察官でござるか」

幕閣は国内政治に命を懸けています。上様が出張中に問題を起こせば申し訳が立たないと必死で留守を守ってきました。それは庄兵衛とて同じことです。それが暴走族まがいを連れてくるとは、どう考えても仕事を舐めているとしか、見えないのです。幕閣も御家人です。要するに侍=腕自慢ばかりです。そのへんの不良ごとき秒殺で懲らしめられます

「お歴々の気持ちはごもっとも、されど折檻はいましばらく・・」

庄兵衛は頭を下げて猶予を頼み込みました。

「この者手がつけられない暴れ者でしたが、金剛組に就職したことで心持ちも変わったようで、気づけば匠会のどの組でも信頼される仕事人に成長しました。履歴が履歴ゆえ竹中(工務店)や大林(組)とは無縁ですが、実力はあります。」

匠会といのは、金剛組から仕事を受ける7組の宮大工集団のことです。棟梁はいずれも目利きに自信のあるツワモノばかりです。

溝尾庄兵衛は、平泉の毛越寺をなんとか再建できないものかと、高松建設に打診をしたのがことの始まりでした。高松建設というのは、金剛組の親会社です。ここで猪飼和馬を紹介されたのでした。

「ご老中、元不良だったからこそ学んだものも大きいと私は考えます。それにこの者が公儀のお手伝いを始めたとなると全国の青少年の励みにもなるのではないでしょうか」

「わかり申した。ところでこの者は何か武芸を嗜んでおりますかな?」

「沖縄伝統空手の上地流を続けております」

「上地流とな。それがしもその恐ろしさは知っておる」

(我々の会話に口を挟んでこない、上下関係はしっかりしておるな)

「わかり申した。この件は柳営に持って帰って吟味してみます」

「宜しくお願いします」社長は老中に頭を下げると、猪飼和馬も頭を下げました。

 

「というわけで、お連れしたのでござる。この男、半グレだった過去もありますが、我々武士とて、人のことはいえまい。古の承久の乱の折、二位尼(北条政子)の申した通り、裸足が当たり前だったのがちゃんと靴を履けるようになった。我々こそ元は半グレではなかったのではないか」

幕閣たちの目が細めを帯びていく。どうやら知らぬ間に我々は勘違いをしていたらしい。

樹研工業の事例もある」

老中・並家掃部頭が述べた。樹研工業とは、採用を先着順にしているため、元ヤンだろうが関係なく入社させた企業です。その元ヤンがドイツの学会でドイツ語で製品の説明をしているという。

「上様、思し召しやいかに?」

「猪飼、なぜ御家人になろうと思った? 金剛組で棟梁を目指す道もあったろうに」

「ハハーッ。」

後期明治帝国(戦後日本)の政府が腐敗していく中、年金では生活できなくなった年寄りが不正をしていく、若者も自ら命を絶つ選択をする、そうした中で自分には暴走族でイキがるしか手段はなかった。それがただの甘えであることに気づき、手に職をつけるべく金剛組の門を叩いた。半端なく厳しかったが持ち前の根性で乗り切った。静岡県に新しい集団があることを聞いた。日本を支配していた米国をトランプ大統領と組んで追い出し、事実上の日本の支配組織にまで成長したこと。皇室典範を改正して幕府を再興させたこと。自民党と違い、悪には容赦ないこと、領事裁判権・治外法権を認めさせ、関税自主権まで入手したこと、少年法を凍結したことなど、次々と常識を反転させるような政策を打っていく。それもこれも将軍たる公方頼秀の方針だという。

「上様の下(もと)で力になりたい、ただその一心で溝尾さまについて参りました!」滂沱の涙でぼやけながらも、強い目力で公方を凝視する猪飼和馬に迷いは見られませんでした。

頼秀は上座から降りて和馬のもとへ行き、彼の両手を自分の両手で覆った。オマージュ(誓約)の成立です。晴れて猪飼和馬は御家人になりました。

中世の臣従礼

数カ月もすると、按察官として、日本遺産を整備するとともに、地頭職として行政も学ぶ猪飼和馬の姿が見られるようになります。

「庄兵衛、お手柄ぞ」

「なんの、これもご縁でござるよ。上様の生類憐れみの令のお達しが、このような形で結果がでて参りました」

白銀城大天守の休憩室で、老中を労う公方頼秀でした。