こんにちは。
歴史考察とっきぃです。
アメリカ合衆国が生誕250年を迎えました。
トランプ大統領に心からお祝いを申し上げます。
国際金融資本との死闘は続いておりますが、プーチン大統領と共に是非とも駆け抜けてほしいですね。
ロスチャイルド大統領ことエマニュエル・マクロンは、焦っていました。2019年に焼けたノートルダム寺院の再建に、アヴァンギャルドな建物をつくるとか、大統領就任式に国歌「ラ・マルセイエーズ」ではなく、ベートーヴェンの「第九」を選んだ男です。
要するに、フランス共和国は欧州連合の一地方に過ぎないと宣言したわけです。当然、国民の抵抗がありました。あちこちでデモが発生して市民は「ルイ十六世の次はお前だ!」と叫んでいました。
極めつけは2024年パリオリンピックの開会式で、マリー・アントワネットをとことん貶めていました。あと、何を考えたのか、BRICSに加入させてくれと、プーチン大統領に懇願していましたね。
パリ・ロスチャイルド家は夜逃げして、誰が今の飼い主なのかわかりませんが、迷走しています。
国民も愛想がつきて、イケメンだからと顔で指導者を選んだ浅はかさを深く後悔していました。
反動がきたのか、次の選挙ではついに国民連合が勝ちます。
新しい大統領は、若干30歳のジョルダン・バルデラ党首です。
しかし、たかだか30歳の小僧に何ができるというわけもなく、実権は前党首のマリーヌ・ル・ペンさんがしっかりとっていました。
ル・ペンさんは中道保守の政策を掲げて長い間、国民連合の指揮を取っていましたが、マクロンに睨まれて大統領になれなくされたのでした。
ル・ペンさんは、フランス文化に合わせるなら外国人もOKという、現実的選択をとっています。生粋のフランス人と移民は明確に住む環境も別れていますので、問題行為を侵さない限り、受け容れるというわけです。それでも、フランスというアイデンティティーは守らねばなりません。
そこで思いついたのが、日本式君主制です。日本国民の共通の統合の象徴という考え、祭祀王というアイデアは今のフランスにもってこいと考えたのでした。天と地と国民という横三本を貫く縦一本が「王」なのです。元ネタは後漢時代の儒学者、許慎(きょしん)と言われていますが、さらに元々ネタは『 孟子』です。
フランス王は、「カトリックの長男」という称号を持っていて節目には、自らミサを執り行いました。欧州君主でもちょっと特殊な立ち位置です。そのあたり、日本の天皇と似ています。また、サリカ法というゲルマン古法に則り、男系男子のみが継承できるこれまた日本と似た継承システムです。一応、剣の貴族同士の合議という建前ですが、王の嫡男が選ばれます。
なんとかコレを採用できないものかと、ル・ペンさんは日本の頼秀将軍に助けを求めました。
公方頼秀は、中奥の天野源右衛門と御側衆を率いてさっそくエリゼ宮を訪ねます。国内行政は幕閣にまかせているのでなんの問題もありません。武闘派の明智左馬之助に手を出す893もマフィアもいませんし、自分に何かあったら光長があとを継げばいい話です。
エリゼ宮では、バルデラ新大統領とル・ペンさん、頼秀公方で、鳩首会談が始まります。公方がまず話を始めます。
国王の三位一体即位というものです。フランス王・フランス人の王・フランク王は不可分にして一体の玉座という考え方です。
ヒントは、明治憲法にありました。天皇は大宮司(最高神祇官)であり、大元帥であり、かつ国家元首(最高指導者)であるという立場です。これをフランスに応用してみせたのです。
すなわち、大宮司としての立場がフランス王(仏:Roi de France)
、国家元首がフランス人の王(仏:roi des Français)、伝統と正統性を担うのがフランク王(羅:Rex Franciae)となり、この三種の王位は不可分であるというのです。
ル・ペンさんは我が意を得たりと膝を叩きます。
第5共和制憲法では、貴族としてパリ伯爵と、ル・プランス・ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン公)の2家が法的に認められています。うち、パリ伯爵を大統領職に持ってくるという寸法でした。
大統領あらため「フランス人の王」としてです。
さっそく国民投票がおこなわれ、ロスチャイルド一族の暴挙に飽き飽きしていた国民は”勝利王シャルル七世”のイメージ戦略で国民を口説き落としたル・ペンさんの勝利でした。
パリ伯爵当主、ジャン・ドルレアンは上院と下院で就任挨拶を行います。ノートルダムでパリ伯爵として改めてパリ市より爵位を認められ、その後、同じくノートルダムで簡易な戴冠式を行いました。
レジオン・ドヌール頸飾勲章(グラン・メートル)が胸元に輝いています。フランス人の王としての勲章です。
数カ月後、今度はフランス王としての「成聖式」(戴冠式)がランス大聖堂で厳かに挙行されます。大礼服の胸元には、サンミッシェル勲章と、精霊勲章が輝いています。フランス王は祭祀王として、フランス王国とその大地に身を捧げなければなりません。ですので、シャルトル近郊の小麦畑の大地に接吻(キス)をする儀式と、難病患者に手で触る(ロイヤル・タッチ)儀式を同時に行いました。
フランス王には貴賎結婚の禁忌(きんき)はありません。が、カトリーヌ・ド・メディシスやマリー・ド・メディシスなど、メディチ家から輿入れした王妃はサン・ドニ付属大聖堂で「王妃の戴冠式」を挙げています。
メディチはもともと商人(あきんど)ですから、「お店やさんの娘」(佐藤賢一『 黒王妃』より)と影口を叩かれないように配慮されたのでしょう。
新国王となるジャン・ドルレアンの奥さんも「やんごとなき姫君」ではなかったので、メディチ同様にサン・ドニで王妃の戴冠式が行われました。
国王の新居は竣工成ったサン・クルー城に置かれました。有名な離宮で建物は普仏戦争の際、焼き落ちていましたが新たに再建されました。ここが王族の常ノ御所になります。ヴェルサイユ宮殿の小型版です。距離はパリからヴェルサイユまでの約半分です。
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また、南方のムードン城が別邸となります。国立セーヴル陶磁器製作所が王立になり、ブランドが格上になりました。
国家元首としては、第5共和制のシステムをそのまま運用します。
しかし国の実権は大統領ではなく、あくまで首相が担います。
行政システムもたいして変わりません。第5共和制自体が安定したシステムだからです。
ただ、今回は三位一体君主なので、元首「フランス人の王」だけではなく、祭祀王「フランス王」としての立場もあります。
祭祀王の下部組織もあるのです。多くは現職大臣が兼任します。
王国顕官(仏:Grands dignitaires de Royaume de France)
王室顕官(仏:Grands dignitaires de couronne de France)
が考案されました。第一帝政の帝国顕官制度を応用したものです。
王国顕官は3種類、王室顕官も3種類あります。
王国顕官大元帥(Connétable de France):臨時職。別名・国民軍総司令官。日本の征夷大将軍に相当。国王に節刀(シャルルマーニュの剣)を賜って一時的に国政を与る。
節刀
陣宣下
パリのコンシェルジュリー(裁判所)で陣宣下(じんせんげ)がおこなわれ、国王は大礼服で臨み、往年のベルトラン・デュ・ゲクラン大元帥ばりの儀式で任命されます。役職付爵位として、ロングヴィル伯爵が授与されます。これもデュ・ゲクラン大元帥ゆかりの称号です。この爵位はたいへん由緒ある爵位で、フランス王国十二卿と言われた栄(は)えある称号なのですね。
ロングヴィル伯爵の紋章
大元帥の剣
この顕官には、フランス陸軍の最長老が任命されました。その後、引退して「国王の陣営と軍隊の大元帥」に任命されます。
その次の大元帥として、なんと頼秀公方が指名されます。外国人だし、日本の役職もあるからと断っていたのですが、国が落ち着くまでどうしてもとル・ペンさんやバルデラ首相に懇願され、引き受けることになりました。日本の関白に連絡を取り、一時的な年季奉公であり友好国ということで天皇の許可が下りました。
かくして、「パリの征夷大将軍」となった頼秀公方は名をヨリード・コレトー(Yolihide Coléteaux)と改めました。
コレトー大元帥直属の部下は天野源右衛門率いる馬廻り衆及び御庭番部隊です。御庭番は白組と黒組に分かれていて、黒組は非合法部門です。情報のプロなので左派やボナパルテシスト(帝政派)を抑えるのに活躍することになります。
王国顕官大財務官(Architrésorier de France):常職。首相が兼任します。国庫番(Le grande du coffre royal)も兼ねます。
王国顕官大法官(Archichancelier de France):常職。司法大臣が兼任します。国璽尚書(こくじ・しょうしょ/Garde des Sceaux de France)として職杖(メイス)が与えられます。
以上が王国顕官です。
王室顕官は次の3種類です。
王室顕官大家令(Grands maître de la maison du roi):常職。宮内長官に相当します。王の私的な印章を管理する王璽尚書(おうじ・しょうしょ/Lord du sceau privé du roi de France )を兼ねます。役職付爵位として、サン・クルー公爵が与えられます。
この役職は、名門貴族のリアンクール=ラ・ロシュフコー公爵あたりが適任でしょう。基本的にサン・クルー城に常駐です。
王室顕官侍従長(Grand chambellan de Royaume de France):常職。外務大臣が兼任します。タレーラン公爵の伝統を引き継いでいます。
王室顕官主馬頭(しゅめ・の・かみ/Grand écuyer de Royaume de France):常職。第5共和制で強力な権限をもつ内務大臣が兼任します。
以上が王室顕官になります。
すべての顕官は、大臣と兼務でこのあたりも三位一体君主の妙が出ていますね。これがルペンさんとコレトー大元帥が組み立てた政治形態です。七月王政を継いだいわば、第二立憲制にあたります。
ナヴァール王の立場はどうするのか?
ナヴァール王位は、シャルル十世からブルボン・シチリア家に移りましたので、ここでは除外されました。ナヴァール王は女系を容認しています。
この点は、王位競合者であるスペインのルイス・アルフォンソ・デ・ボルボーン殿下が対抗してサリカ法を持ち出しましたが、この人はフランスのためには、何も動いてはいません。
ブルボン家家長として、精霊騎士団の団長でしたが、フランスが王政復古したため、団長はフランス王国に返却することになりました。あわせてアンジュー公位も召し上げ、以後はブルボン公を名乗ります。ただ、息子の爵位であるブルゴーニュ公、ベリー公、トゥレーヌ公は暫定的に認められました。マルタ騎士団名誉献身の大十字廷吏の地位はそのまま据え置きとなりました。フランス王国に帰化したら王位請求権を授与する予定ですが、未知数です。
君主制競合者であるナポレオン公ですが、当主を上院の名誉第一人者(Princeps Sanati)と任命しすることで政権に取り入れました。
ナポレオン一世の弟であるカニーノ=ムシニャーノ公リュシアン・ボナパルトの実績を考慮したものです。
新国王の名前ですが、家督からならば「ジャン四世」が妥当なのです。が、三位一体君主を採用するにあたり、「聖水を注がれた者が神の恩寵をうけし者」の案を採用し、「ジャン三世」を名乗りました。後追いでジャン一世遺児王とルイ十七世にも油塗が実施されます。王朝名は、ヴァンドーム王朝と名乗ります。ジャン・ドルレアンの元の称号です。オルレアン朝ではいろいろ都合が悪いからです。
新国王の正式の称号は以下になります。
神の恩寵および王国憲法により、ジャン・ド・フランス、その三代目 フランス王、フランス人の王、Rex Franciae、ブルターニュ公、フランス公、パリ伯、プロヴァンス伯、帝国領管財人、カトリックの長男、精霊騎士団長、サン・ミッシェル騎士団長
ブルターニュ公国はかつては独立国でしたので、改めて戴帽式を挙行してブルターニュの独立不羈の精神を尊重しました。
プロヴァンスはもとは神聖ローマ帝国の一部でした。アルザス・ロレーヌ地方もそうです。ですので、帝国領をフランス王が管理するという立場をとりました。それで「帝国領管財人」というわけです。
ジャン三世の長男ガストンは王太子(ドーファン/Duphin de Viennois)の称号を帯びます。さらに、フランス人の王の法定相続人として「フランス王子」(プランス・ロワイヤル/Prince royal)の称号も併せて名乗ります。顔を売るためにグルノーブルによく行きます。
次男ジョゼフはノルマンディー公の称号を授与されます。ところが、実はイギリス王もノルマンディー公を名乗っています。チャンネル諸島をイギリス王が所有しているからです。ここはもともとノルマンディー公領です。ですので、コレトー大元帥が直談判した結果、チャンネル諸島に関してはイギリス王は「ノルマンディー=チャンネル公」と名乗ってもらうことになりました。もちろん形式上、フランス王からの入封になります。
三男アルフォンスはオルレアン公の称号とドルー礼拝堂の宗主を授与されます。なお、長女のアントワネットはマダム・ロワイヤルの称号を帯びます。
最大の功労者であるルペンさんですが、新たに聖ラ・ピュセル勲章が制定されました。国家のために働いた女傑に送られる勲章です。第一号がルペンさんというわけです。ルペンさんは、アルミ製の甲冑に上半身を包み、白百合の意匠を施されたスカートを身に着けてオルレアン大聖堂に臨みます。
大礼服の国王から聖ラ・ピュセル勲章を授与されました。ルペンさんはサン・ドニ旗を掲げて勝どきをあげました。ラ・ピュセルというのは、言うまでもなく聖ジャンヌ・ダルクのことです。
国旗は三色旗(トリコロール)です。しかし意味あいはいささか変更されました。
青は「サン・マルタンの青」で身心の自由を意味します。
白は「サント・ラ・ピュセルの白」で魂の平等、国王を意味します。
赤は「サン・ドニの赤」で、地域愛・祖国愛、兄弟愛を意味します。
国章はブルボン家のものを使いますが、勲章はレジオンドヌール勲章と精霊勲章、サン・ミッシェル勲章を合わせます。
精霊勲章は、国外では男性君主への儀礼勲章、国内では国家に奉じたカトリック男性のフランス人に授与されます。
女性にはサント・ジュヌヴィエーヴ勲章が制定されました。格式は精霊勲章と同等です。女性君主や女性功労者に授与されます。
もちろん、王妃も持っています。
国歌は「アンリ四世万歳」(Vive Henri IV)です。
ですが、旋律はむしろ復古王政期の「フランス王子のパリへの帰還」が近いでしょう。
第二国歌として「ラ・マルセイエーズ」の3番まで。
王室歌は、マルク・アントワーヌ・シャルパンティエの「主よ、王を守り給え」(Domine salvum fac regem )です。
以上がコレトー大元帥が描く新生フランス王国の有り様です。
大元帥は、腹心の天野源右衛門や、小姓組、小納戸役、そして御庭番を使って、国民の総意を演出して三位一体君主=フランス王のジャン国王の戴冠にこじつけます。聖六角形(フランス国土)とともに生きるフランス王というイメージですね。
新しい国体が生まれました。どう運営するかは、国民連合の腕次第です。
コレトー大元帥は役目を果たすと、晴れて王国顕官を辞任しますが、用意されたフランス大元帥にはなりませんでした。ロングヴィル伯爵も節刀も返上です。
ルペンさんと固い握手を交わし、公方頼秀は馬廻りを連れて、日本に帰ってきました。
後日、日本の今上天皇に精霊勲章が、皇后にはサント・ジョヌヴィエーヴ勲章が送られてきます。時の関白にはサン・ミッシェル勲章が授与されます。頼秀自身は軍事功労者に贈られるサン・ルイ勲章が在任中に授与されていますので何もありません。それで良しとしたのは頼秀将軍自身でした。
欧州の新しい夜明けに、白銀城は今日も心が弾けています。
