キリスト教の本流とは? | 歴史考察とっきぃの 振り返れば未来

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こんにちは。

歴史考察とっきぃです。

 

「東ローマ帝国論」を中断してから、

だいぶ月日が経ちます。。。

コンスタンティノープルの地政学的位置を論じて、

そこでストップして現在に至ります。。

 

というのは、どうしてキリスト教がローマ帝国の国教になったのか、今ひとつ理解できなかったからです。

それで、古代のキリスト教はどういう宗教だったのか、

調べているのですが、救済宗教であるから、

個人としての生き方を当時のストア派哲学では納得させることが出来なかったのではないかくらいしか、考えられないのです。

 

キリスト教といえば、一神教です。

絶対神が頭上に君臨し、「原罪」の名の下に絶対的抑圧を強いる、

恐ろしい経典宗教であるというのが、とっきぃの認識です。

その絶対神に取りなしをするのが、カトリックでは神父さんであり、プロテスタントでは牧師さんです。

新教は『聖書』を拠り所としているので、カトリックよりもより神さまが直接、頭上から監視しているイメージがあります。

新教の母胎となったのはローマ・カトリック教会。

カトリックは「普遍」つまり公け(おほやけ)という意味で、直訳すれば「ローマ公教」です。

ローマ公教は、教会に懺悔室を設けており、村人の精神の排泄に一役買っていました。ですので、暗黒中世といわれる時代がどうして長く続いたのかは、この懺悔室が大きな要素だったというのがとっきぃの考察です。

ところがいつしか教会も調子に乗って、「この木箱に、銀貨をチャリンと入れれば、天国への道が近くなる」というチケットを販売します。総本山のサン・ピエトロ寺院を改築する費用を稼ぐためです。カモにされたのはアルプスの北の人々、要するにドイツ人でした。

ヨーロッパ・キリスト教の説くいわれる「原罪」というのは、

実に罪深い存在で、ミケランジェロは晩年にとても苦しみます。

詳細は会田雄次先生の『ミケランジェロ その孤独と栄光』を参照してください。絶対神と真正面から対峙すると頭がおかしくなってしまいます。まぁ、人間を超える域にまで小宇宙(コスモ)を高めた至高の芸術家だったからこそ、ぶち当たった壁なのかもしれませんが。

 

このローマ公教に対して「ギリシャ正教」という教えがあります。

正教というのは、オーソドックスの和訳です。

古代ローマ帝国の5大教会のうち、ローマ教会を除く4教会がそれぞれ総本山として今に至ります。正教会は一国一山が原則です。

どうして「ギリシャ正教」なのかというと、『聖書』はギリシャ語で書かれていたからです。東欧諸国を中心に広まる正教会の盟主が、コンスタンティノープル総主教庁です。国教となったローマ帝国の首都だったからそのまま盟主になったのでしょうか。

基本的にどの国の総主教も平等ですが、リーダーがコンスタンティノープルの総主教です。

 

このギリシャ正教には、原罪がありません。

まさに青天の霹靂です。高橋保行長司祭の著書『神と悪魔 : ギリシャ正教の人間観』(角川選書/1994)に記載されています。

正教会はイコンで有名です。イコンで描かれるキリストは「全能者キリスト」(パントクラトール)です。

ヨーロッパで見られるキリストはだいたい磔刑の弱々しい受刑者です。全人類の身代わりとなって磔(はりつけ)となった刑死が強調されている具合です。

一方の正教会はその3日後、「復活の喜び」にポイントが定まっています。その復活の永久の喜びは信者一人ひとりの心に備わっているというのが、正教会の教えです。ヨーロッパ・キリスト教(公教)はギリシャ哲学を彼らなりに咀嚼して神学教理を理詰めで進めていきますが、正教会はそんなことしません。ですので、ギリシャ哲学とは精神と肉体に関する考え方がまるで異なります。要するに二元論を取りません。

悪魔に対する考え方も違い、神に対する悪魔ではなく、まず神さまがいて、その下に人間と悪魔が存在するという解釈です。

ヨーロッパ・キリスト教の神さまは生活指導の体育教師より怖いですが、キリスト教本流の正教会の神さまは信者に寄り添ってくれる本物教師の神さまです。もしかしたら日本人向きかもしれませんね。

ローマ人もこういう心象で入信したのでしょうか、

温泉で「ババンバ、バンバンバン」、「ハァ〜、ビバノンノン」とくつろぐのが、ローマ人と日本人ですからね。

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正教会といえば、「皇帝教皇主義」というのが世界史で出てきます。確かにロシア皇帝がロシア正教ではトップかもしれません。

ですが、国民はそんなことあまり気にしていません。正教会の神さまはガミガミ言わないからです。信者に寄り添うまるで仏さまみたいな神さまですから、人々は教会に参拝してイコンの前に佇んで十字を切ります。彼ら善男善女は、幼子イエスを抱いた生神女マリヤさま、全能者キリストを参拝します。そして自らの心に宿る永遠の力を再確認するのです。

 

コンスタンティヌス大帝が許可した「キリスト教」というのは、

こういうオーソドックス型のキリスト教ではなかったかというのが、最近の帰結です。

となれば、キリスト教がなぜ迫害されたかの理由がわからなくなります。皇帝崇拝は確かにありましたが、一神教を理由に皇帝崇拝を拒否した人々を迫害するほどローマ人の心は狭かったのか、疑問はさらに深まります。

江戸時代の日本でも、東照大権現ではなく、不動明王や、弁天さまを拝んでもお構いなしでした。キリシタンご禁制となったのは、当時のカトリックの教えが”ザ・一神教”で、現代のイスラム過激派に近かったからです。しかも後詰めのスペイン帝国が狙っていました。イスラム教もそうですが、カトリックも教理がスッキリ明快ですので、インテリは入信しがちです。事実、黒田如水に細川ガラシャと当時最高の頭脳も入信しています。あぶない。

 

ですので、ローマのキリスト教迫害と、日本の宗門改めを相似形とするのは、とっきぃとしてはマテの状態です。

キリスト教迫害といえばネロ帝が相場ですが、実際はどうだったのか、テロでもやったのか、不思議です。

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ただし、ディオクレティアヌス帝の大規模迫害は、徴兵拒否の可能性があります。当時は「三世紀の危機」をようやく乗り越えた帝が新しい国家システムを構築して、どうしても徴兵令を敷くしかありませんでした。兵役拒否を一人でも認めれば「オレも、オレも」となるのが世の常です。ですので、政府としては決して譲れない一線でした。

 

「原罪」は聖パウロの教えをさらに強化した聖アウグスティヌスの教えを基盤にしています。ニーチェが蛇蝎のごとく嫌ったキリスト教はこのパウロ教です。原罪の概念自体、ギリシャ語原典からラテン語に翻訳する際の誤訳だったと高橋長司祭は述べておられます。

 

というわけで、キリスト教の保守本流はヨーロッパ・キリスト教であるローマ公教でもその支流である新教でもなく、ギリシャ正教でした。

日本でも教理問答の学問道場となった南都六宗に対し、空海や最澄が本場中国へ留学して天台宗や真言密教を学びます。さらに天台仏教からは理屈不要ひたすらナムサンダ〜こと浄土宗系、内観&直感の禅寺などの宗教改革が出て、より人々に寄り添う仏教となりました。

 

人間がこの世に生を受けたのは、日々の悩みを克服するため、だそうです。だいたいどの教えも似たり寄ったりです。

生きる上で世の中との摩擦が出てきて、それを乗り越えてやがて肉体を置いていくという段取りです。

昨今は伝統的な神社仏閣でも、日々いいことは言っていますが、

どうも心に響かないらしく、少なからずの日本人が、

カルト新興宗教の餌食になっています。中にはアンパンを持ってインドの佐々井秀嶺上人を訪ねるアマチュア求道者もいます。

 

人間さまは、神さまと同質のもの=神性を生まれる前から内包しています。要するにきれいなんです。

「原罪」などという焼きゴテは人の心にはありません。

よって、「天国近道チケット」みたいな詐欺商材を購入する必要ありません。

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