藤堂高虎を大河ドラマに その2 | 歴史考察とっきぃの 振り返れば未来

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こんにちは。

歴史家とっきぃです。

 

拙ブログの人気記事に「藤堂高虎を大河ドラマに

というのがあります。

ありがたい事に、毎日必ず読まれています。

サラブレッドとモンゴル馬」と双璧です。

 

司馬遼太郎に、”主(あるじ)を変えるろくでもない武将”という烙印を押されて、山内一豊とともに損な役回りをしてきました。

が、最近になってようやく、高虎が見直されてきました。

 

小説でも故火坂雅志の『虎の城』(祥伝社文庫)、直木賞を受賞した安部龍太郎の『下天を謀る』(新潮文庫)と出ております。

前者は大和大納言秀長との、後者は徳川家康との絆をメインの主題にして双方とも読み応え抜群です。

読了してだいぶ経ちますが、今でも大阪の陣のあとで大納言秀長の墓に報告に参った高虎を思い出しては目頭が熱くなります。また、同じく大阪の陣で飄々としている伊達政宗を「それでも男か!」怒鳴りつける高虎の現場監督ぶりに胸がすっとします。

 

自分と相性が悪い主君と袂を分かつことは、決して悪いことではありません。司馬遼がなんと言おうとこれは真実です。

「石の上にも三年」は職業生活の上で大事な要素かもしれません。

しかし、平成時代はいささか様相が変わってきて、三年もいたら疲弊して鬱になってしまいそうな現場が急増しています。

業績が右肩上がりにならない時代です。昇進すればするほど負担が増えていきます。エリートが自殺するような社会はもはやシステムの限界といっても良いでしょう。

無理して鬱になるより、会社を去る方がいいという考え方もあります。

 

高虎は藤堂村出身の土豪です。室町時代の考え方ではとてもじゃないが出世はできません。

なぜなら、室町幕府というのは諸侯の連合体であり足利将軍家は厳格な儀式儀礼を導入することで権威を保っていたのですから。このやり方を考えたのは足利義満の家庭教師でもあった二条良基(にじょう・よしもと)です。

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朝家を復興させようと考えていた良基は儀礼の習得に人一倍努力をしました。が、武家の力を導入しなければ世の中は動かない現実に直面して、足利将軍家を儀礼の世界に引き込むのです。

詳細は『足利将軍と室町幕府』(石原比伊呂/戎光祥選書)をご参照くださいね。

 

フランスのルイ十四世と相似形です。ルイ王は宗教争乱に終止符を打つために宗教より上位の概念として「太陽王」を演出しました。

国王を中心に厳格にメヌエットが踊られていく。足の位置ひとつ狂いがない精巧な劇場をヴェルサイユに造り上げたのでした。

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足利将軍家は儀礼の中心に収まることで秩序を演出していたのです。こういう世界では、高虎のような一本気な男は生きづらいものです。ストレスがたまりにたまって出奔したとしても、それを無下には否定できません。ブラック企業のはびこる平成時代に高虎が見直されるのも、それなりの背景があるように思えます。

 

室町作法とは無縁な、百姓出身の小一郎秀長なればこそ高虎の値打ちが理解できたのだと考えられます。秀長は単純だが一途な高虎の人間性が好きでした。

こういう思いは必ず伝わるもので、高虎もまた自分にはない能力をいっぱい身につけている小一郎秀長を慕います。槍一筋ではない技術とマネージメントをこの最高の上司から高虎は学んでいくのです。やがて類は友を呼ぶで、徳川家康と高虎は組むようになります。

家康も他者の長所を学ぶことについては一流です。信玄から学び、石田治部少から学ぶといったように敵からも実地で学んでいます。

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家康と石田治部少輔三成といえば、関ヶ原の戦いですね。

高虎の有名なエピソードも関ヶ原にはあります。

三成の盟友、大谷刑部(おおたに・ぎょうぶ)はハンセン氏病を患っており、顔を白絹で覆っていました。大谷軍は裏切り中納言金吾(きんご/小早川秀秋のことの大軍の前に玉砕してしまいます。

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刑部は自決しますが、介錯する側近の湯浅五助に「醜い首を晒したくないから隠せ」と命じます。主君の首をちょうど埋め終えたところで、出くわしたのが高虎の甥だった藤堂高刑(とうどう・たかのり)です。五助は仔細を高刑に話し、主君の首の場所は秘密にして代わりに自分の首を持っていくように頼みます。

高刑(たかのり)は意気に感じ、五助と約束して彼の首を刎ねました。

事を知った高虎は大喜びで家康のもとに高刑とともに馳せ参じます。五助の首級を差し出されて家康は喜びますが、やはり大谷刑部の首もほしい。そこで高刑に詰問するのですが、高刑は頑として口を閉ざしました。五助と約束したので言えません。この一点張りです。家康は高刑の男気に感心して褒美を与えたそうです。苦労人で人の気持ちを推し量れる家康ならではの采配ですね。

 

このエピソードは大河ドラマでも是非とも再現してほしいです

大谷刑部といえば男気の友情、そして五助と高刑の男気の約定。

男の世界にはこういう爽やかな側面があります。

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藤堂高刑は大坂夏の陣で、長宗我部軍と闘い命を落とします。

子孫は藤堂藩の城代家老を務めました。

 

大河ドラマ「藤堂高虎」の関ヶ原のテーマは男気とおもいやり

これに尽きます!

お金よりもお手柄よりも大事なものがあるんじゃないか。

最近の転職事情は、キャリアアップとか報酬アップではなく、人間関係に比重が傾いているようです。それだけストレス禍が深刻になったという証左です。なればこそ、関ヶ原の日本最大規模の合戦に吹いた一陣の涼風。とても爽やかな風が心を癒やすのではないかととっきぃは思います。

 

やっぱり大河ドラマは藤堂高虎です

重厚な人間ドラマ。

熱き師弟愛(小一郎秀長)、人夫と共に流す汗、

上司(家康)とともに国家(幕藩体制)をプランニングするわくわく感、その先に見える男気と信頼、現場で練り上げた高虎語録、

李氏朝鮮の水軍大将李舜臣との海戦バトル、

日本各地で城作りをやっていますので、高虎祭りで町おこしが日本各地で出てきそうですね!!!

なんだか色っぽい話が出てこないですね・・・。

高虎正室の久姫は土建屋の女房にしては線が細いですが、一生懸命に頑張りました。

留守を預かる深窓の佳人が一生懸命に頑張る姿に男は惚れます。

久姫が亡くなった時には号泣する高虎も是非みたい。

 

関が原以降、金融資本に特化していく大坂城の’女性アントレプレナー”淀殿(浅井茶々)。彼女を支える金融官僚たる近江衆(元浅井家)たち・・・。

そして、国家のあり方を巡って大坂城その他すべてとの戦いがやってくるクライマックス。すべてを精算して秀長のお墓に報告する高虎。その後の将軍家へのご奉公・・・。

書いててワクワク感が止まりません。ヤバイ・・・。

この辺で筆を置きますね。

 

みんなで応援しましょうよ。

ここまでエピソードが満載なのですから、もうハズレっこ無し!

時代劇はNHK大河。大河ドラマは藤堂高虎! まちがいなし!

 

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