歴史家とっきぃです。version up記事です。
「馬っていいですよね?」と問えば、必ず2系統の答えが返ってきます。
ニッカポッカ姿のあんちゃんが東陽町のコンビニ前で、ワンカップ大関片手に
「まいったよ、ワイドで大穴狙ってスッテンテンだよ」
という系統の答えがひとつ。
他方、ネイビーブルーのクラシックスーツをまとった美女が南青山のショットバーで、マティーニのオリーブ実を見つめながら「ギャロップは爽快ですわね」という系統がもう一つです。
![](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Firukakissa.com%2Fcocktail%2Fphoto%2Fmartini.jpg)
要するに、馬と言えば、競馬と乗馬の二種類の解釈が出てくるわけです。
共通項はどちらも馬、頭に浮かぶのは、アラブ種、またはサラブレッド系の大きな馬です。
とっきぃは競馬はしませんが、乗馬は少々やります(昔、習いました)。
馬に乗ると、世界が変わります。見える視野が変わるのです。両脚で馬の胴を挟み込んで、手綱と鐙(あぶみ)で操縦します。
馬は感情的な動物で嫌われたらなかなかいうことを聞いてはくれません。顔に青筋を立てて睨みつけます。私もヘッドバットやボディアタックを喰らったことがあります。
競馬と違って、乗馬というのはかなりカネがかかります。何故か?
飼料代がハンパじゃないからです。乗馬クラブは特別に配合された専門の飼料を使いますから、維持費だけでも大変なんです。スタッフもよほど馬好きでなければ務まりません。動物園や水族館と同じく、生き物相手の激務です。
これほどまでに手のかかる馬ですが、これはアラビア半島含めて西側の民族の発想なんです。
馬は大きければ大きいほどいいという思考は、軍事的発想からきています。
騎兵は敵が放つ矢を防ぐために鎧(よろい)を着込みますから、人間の体重と併せてものすごい総重量を支えねばなりません。また、敵は切り込んでくるときに最初に馬を狙いますから馬にも鎧を着せます。この重量もかかってくる。
これに耐えうるだけの大きくてパワーのある軍馬が必要だったというわけです。また、農作業に活用するにせよ、運搬能力から考えて大きいほうがメリットがあるという思考です。
![](https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4a/Ancient_Sasanid_Cataphract_Uther_Oxford_2003_06_2(1).jpg/250px-Ancient_Sasanid_Cataphract_Uther_Oxford_2003_06_2(1).jpg)
以下の資料部分は、西野広祥氏の『「馬と黄河と長城」の中国史』(PHP文庫)よりの参照です。
西側では、馬は重種、軽種、ポニーの三種類に分かれます。
各々就職先も決まっていて、重種は運搬専門、軽種は軍馬、ポニーは子供のお相手だそうです。
ところが、ユーラシア大陸の東になるとだいぶ事情が変わってきます。遊牧民族の馬はポニーとおんなじサイズなんですね。体高も小学校低学年くらいしかありません。
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その小さい馬がモンゴル馬なんです。ちなみに、頭が大きく不細工な顔です。このタイプの馬でチンギス・カンは世界を制服しました。
遊牧民族は現在に至るまで、大型化の品種改良をしません。それには理由があります。
遊牧民が主役のステップ高原やゴビ(沙漠)は、草がホソボソとしか生えていません。
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テレビのドキュメント番組に出てくるような重草原(じゅうそうげん/緑の絨毯)は少ないんです。
そうした悪条件の中で、生きていかなければなりません。
昼夜の寒暖の差も激しく、冬はマイナス50℃の世界です。そういう中で、生き残るには小さいサイズの方がいいというのが遊牧民の知恵です。ゴージャスな配合飼料なんてもちろんありませんから放置です。ちなみに、馬というのははサイズが一寸超える毎に飼料代が倍になるそうです。
ですから、重草原ならまだしも、ゴビやステップ、砂漠ではとてもじゃないがサラブレッドのような大型馬では持たないでしょう。遠征の途上で間違いなく餓死します。
粗食に耐え、悪条件に耐え、生き延びられるタフな馬がモンゴル馬です。いくら毛並みが良くても、贅沢な配合飼料に慣れてワガママ放題のサラブレッドと、数百キロの遠征をこなすモンゴル馬とでは、騎馬の世界では後者に軍配が上がるんです。
突進力などのスペックは当然ながら大型馬が上です。運搬力その他も個別対決ではお話になりません。匈奴の冒頓単于(ぼくとつ・ぜんう/匈奴王)にせよ、チンギス・カンにせよその弱点はとっくに織り込み済みです。その上で戦略戦術を練っているんです。
反面、アラブ陣営や欧州軍団は、ポニーみたいな小柄な馬に乗る遊牧民を上から目線で舐めてかかるわけ。勝負は最初から決まっています。訓練された遊牧軍団の陽動、旋回、再集合で敵は一つまたひとつと撃破されていくんです。必殺技なんてひとつかふたつが当たり前です。いっぱいあると思っている人は『北斗の拳』の読み過ぎ。必殺技に持って行くまでが戦術なんです。決戦に不利を承知でモンゴル馬を選択したのですから、当然ながら戦術対策も練っているわけです。
それでは、大型馬を選択した欧州はどうだったか?
補給を要する遠征は結局うまくいきませんでした。ナポレオンのモスクワ遠征の時、フランス大陸軍はそれこそ草という草を食べ散らかして、飼料も摘発して騎兵軍団を動員しましたが、帰りは自ら荒廃させた街道で飢えと戦いながら惨めに帰ってます。
ローマの場合はどうか。重症歩兵を主力として、騎兵をあえて脇役にまわしています。遠征する場合は、必ず街道筋に駅を置いて、代え馬と膨大な飼料を準備する必要があったので負担を少なくするのもその理由のひとつです。
さて、
古代人は鐙(あぶみ)を知らなかったから馬をうまく乗りこなせなかったという説が長い間通っていましたが、最近「ローマ式鞍(くら)」という説が出てきました。roman saddleで検索すれば出てきます。ピーター・コリノー博士の業績だそうです。
「ローマ式鞍」というのは、鞍本体の前後に4本の角があってそれで身体を支えるという代物です。参照は『古代ローマ軍団大百科』(東洋書林)。
ですので、馬を脇役に投じたのは、馬術の問題ではなかったはずです。やはりエネルギー(飼料)だったと考えられます。
そのローマが戦術を大変換させて、軍編成を重装騎兵(カタフラクトス)主体にしたのは、アドリアノープルの戦いでゴート族に大敗してからです。ただし、それと同時にいかに戦わないかに戦略も変えています。夷を以て夷を制すやり方に変えて、なるべく自兵の損耗を防いでいるんです。東ローマ帝国の戦略については『大戦略の哲人たち』(日本経済新聞出版社)のルトワックの項参照。
アレクサンダー大王にせよ、ナポレオンにせよ、なぜか愛馬に執着します。しかし、チンギス・カンは特定の馬に執着しません。複数連れて乗り捨てです。かなりクールな人物です。執着がないからこそ、モンゴルは究極のオーガナイザーになれたのかもしれないですね。
遊牧民は欧米人が考えているような未開な土人ではありません。欧米は今ですら、アフガンや中東に手をやいています。中央アジアにいたってはどの強国も尻込みして一歩も踏み込めないではないですか。
隙だらけのウクライナと違い、中央アジア諸国はナザルバエフ大統領にせよ、他の指導者にせよ、ちゃんと国民の面倒を見ています。ナツィオナル・ゾーツィアリスムス(独:National sozialismus)という政治思想です。この考え方を採用したドイツ第三帝国(ナチス)は、戦争する前はとても内政が充実していました(差別は別の話)。中央アジア恐るべし!
話を戻してモンゴル馬、
粗食に耐え、悪条件に耐え、極寒を乗り越える小柄な頑張り屋さんたち。どこか、近代日本の「背中」を投影してしまいます。
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人知れず、歯を食いしばって頑張る人類社会の大事な脇役「馬」と昭和の「背中」に、マティーニで乾杯しましょう。チン!
![](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fmyuma.lolipop.jp%2Fimg%2Fcocktail%2FDry_Martini.jpg)
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