カンパン夫人と女性教育 ver .2.1 | 歴史考察とっきぃの 振り返れば未来

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こんにちは。
歴史家とっきぃです。

拙ブログの人気記事、「マリー・アントワネットはバカじゃない」では今までにない王妃像を紹介しました。

今までのアントワネットのイメージは悪女的なものがほとんどです。
ワガママで湯水のように税金を使い放題、宝石キチガイだの、色情狂だのと、、、いかがわしい事なら何でもござれの勢いがここ二百年のトレンドです。
アントワネットは刑死した敗者ですから弁解できないです。このことにつけこんで後世の研究者たちは言いたい放題というわけ。重要な一級史料であるカンパン夫人の『回想録』も信憑性がどうのと、お茶を濁しています。
要するに、レジサイド(国王殺し)をやった側(共和国)としてはアントワネットが悪女でなければ都合がわるいんです。それだけトラウマが残るんです。日本でも上皇や天皇のクーデター騒動は島流しが最高刑です。玉体は傷つけてはならないんです。欧州なら、塗油を受けた国王はもはやただの人じゃないんです。裁判にかけて処刑なんてもってのほか。だから暗殺という手段に訴えるわけです。

国王もアントワネットも一度平民に落とされてから裁判にかけられているのはそのためです。有罪判決になったのは売国行為をやったからです。贅沢が理由ではありません。
この点が日本ではぼやけていて、アントワネットに関する書物は浜の真砂ほどに出版されていますが、元をたどれば「ベルばら」です。
小説家シュテファン・ツヴァイクの創り上げたマリー・アントワネット像が、原作『ベルサイユのばら』によって燎原の火のごとく日本全土に広まりました。それがあたかも史実のように扱われています。
ウィキペディアの編集も最近までひどいものでした。オスカルは架空の人間ですので、念のため。


しかし、この通説を覆したのが石井美樹子女史の『マリー・アントワネット ファッションで世界を変えた女』(2014/河出書房新社)です。
詳細は上述のとっきぃ記事を閲覧ください。
石井女史の著作を支えたのは、当時の数人が残した「回想録」です。「舟盛りへアー」を造形した床屋のレオナールとか、

王妃が懇意にしていた男爵夫人、そして女官頭カンパン夫人の『回想録(メモワール)』です。

カンパン夫人は平民出身です。あのポンパドゥール夫人やデュ・バリー夫人と同じです。
ポンパドゥール夫人はブルジョワジー、

デュ・バリー夫人は風俗出身という境遇の差はあります。

それでも宮廷に自由に出入り出来た。身なりさえしっかりとしていれば、誰でもヴェルサイユ宮殿に登城できたのです。
カンパン夫人のブルジョワの父親が教育パパで、一般教養から人文科学の細かいことまで彼女に教え込みます。
その甲斐あってカンパン夫人はルイ十五世の内親王たちの朗読係に就任。アントワネット輿入れの後は王太子妃付きの侍女になりました。
学問で身を立てた人物ですから、かなり硬い性格です。PTAのおばちゃんよろしく、マダム・エチケットと揶揄されたノアイユ伯夫人と双璧をなすお局さまです。


ベルばらファンならば、おなじみのノアイユ伯夫人。アントワネットが輿入れした時から彼女の世話と教育係を務めています。礼儀作法担当です。アントワネットが王妃になってからは原作、アニメともに本編にはほとんど出てきません。ちなみに革命勃発後は、ノアイユ伯夫人は断頭台の露と消えています(史実です)。

ノアイユ伯夫人と対照的なのがカンパン夫人です。なんと20年もの長きにわたって王妃に忠誠を誓い、いろいろありましたが革命の荒波を生き延びてナポレオン時代に教育の第一人者となり、その後の復古王政時代に大往生を遂げました。教え子のオルタンスは後にオランダ王妃になります。

革命で全財産を没収されてしまった彼女の持ち物は頭脳だけでした。そこで無一文から寺子屋を立ち上げて、「女大学」みたいなことをやったそうです。
動乱を生き延びて教育の第一人者になった点で、本邦の津田梅子と似ています。

カンパン夫人もそうですが、フランス革命では女性の活躍が目立ちます。パリのおかみさんたちは国王をヴェルサイユ宮殿から引っ張りだしてパリに取り戻しました。
個々人でもけっこう名を残している人はいます。

うち、男装の麗人で有名なのがテロワーニュ・ド・メリクールという女流革命家です。


デュ・バリー夫人と同じく風俗出身ですが、新しい時代に自分を賭けて懸命に生きました。ちなみに源氏名も残っていて”カンピナド伯爵夫人”と名乗っていたそうです。

確かにかっこいいのですが、蓮舫さんみたいにやかましいんです。

それでパリのおかみさんたちの不評を買ってしまい、ある日馬から引きずり降ろされ、服を剥かれて、お尻ペンペンされました。

このショックで頭がおかしくなって、ジャンヌ・バロアがかつて収獄されたサルペトリエールの精神病院に送られて終末を迎えます。
「ジャンヌ・バロア」の画像検索結果

誰もがブレたそんな時代
至誠を貫き通して、教育一筋に生きたカンパン夫人は生きる参考になります。
王妃の悪口も言わず決してブレない生き様は、忠誠を第一に重んずるナポレオンの心を動かします。

速攻で皇族の教育係に就任、これを奇貨として女性教育に力を入れました。パリ郊外に寄宿制女学校を開きます。当初は閑古鳥が鳴いていたものですが、皇族が入門したとあって徐々に生徒も増えたみたいです。


同じ頃、日本でも女性教育は進んでいました。ナポレオンが戴冠した1804年は文化元年、家斉将軍の時代です。
「家斉」の画像検索結果
化政文化が花ひらく直前ですね。庶民文化が花開き、川柳とか『東海道中膝栗毛』、錦絵などに囲まれて自分たちの文化をつくりあげていきました。それもこれも教育が庶民レベルにまで普及したからです徳川政権の基礎は、役人の地方(現場/ドサ)回りと女性教育にあります

当時の欧州は、とてもじゃないが日本レベルまでは追いついていません。それでも女性教育には目が向いたのでした。18世紀の欧州は女性が活躍した時代です
アントワネットのご母堂、マリア・テレジア女帝、

ロシアのエリザヴェータ、エカテリーナ両女帝、

フランスのポンパドゥール夫人といった大政治家たち、
ヴィジェ・ルブランなどの画家、

そして前述した女流革命家のテロワーニュが代表例でしょうか。

次の19世紀はまた男の世界に戻ってしまいます。列強の弱肉強食の世界ですね。この系統は21世紀にも立派に生きています。困ったことです。

日本がソフトランディングで明治維新を成し遂げることができたのは、女性の力が大きいです。
なぜか、男は母から生まれてくるからです。時代を変えていくのは男の仕事です。古今東西皆同じです。そして母から人生最初の薫陶を受けます。なればこそ、女性教育は大事なんです。

ここ最近、日本では若年女子の梅毒感染や堕胎中絶が多くなってきたそうです。進学校、底辺校、中退を問いません。

英語や数学などの学科も大事ですが、性教育や情操教育を省略してはいけません。生理とは何かもわからず、気がついたら妊娠していたとか、真剣な恋だったのに孕んだら付き合っていた男子に捨てられたとか、女性はあまりにも無防備です

女性教育は大事です。女性には女性の道があります。女性が男性と同じ土俵で生きるのは摂理に反しています。そこを無理に総合職で頑張ると、どうしても自分に厳しくならざるを得ません。

そうなると必然的に他人を許せなくなるんです。自己憐憫という劣等感地獄に墜ちてしまうんですね。そうなると、テロワーニュみたいな末路を辿るか、さもなければ孤独な老後を迎えます。
もちろん、途中で包容力ある男性に出会って方向修正をすれば話は別です。

しかし、パワハラ全開のキャリア女性は、概して自分のことで手一杯で、仮にそういう男性がそばに居ても気が付かないでしょう。

愛を裏切ることよりも、愛に気付かぬほうが、もっと罪深い
アニメ「ベルばら」でオスカルの出した結論はとても重いです。

古今東西皆、悪政のツケは弱い方へとしわ寄せがいきます。女性が幸せにならないで、何が国家か!

現代の”カンパン夫人”に『女大学宝箱(おんなだいがくたからばこ)』を講義してほしいものです。
女大学』はご存知、貝原益軒先生の代表作です。


その後、”ポンパドゥール夫人”に『女大楽宝開(おんなたいらくたからべき)』を学んだら鬼に金棒間違いなしですね。後者は女性が大きな快楽を得て宝(女陰)を開ける(広げる)という意味です。
『女大楽』はもちろんアングラ出版です。
パイ●りを発明したと言われる
性豪、ポンパドゥール夫人への敬服です。


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