自らはヨーロッパ社会経済史を研究してきた身でありながら、このブログでは、ほぼもっぱら非ヨーロッパ社会の歴史や地誌について学んだことを記しているが、その一つにメソポタミアで都市国家を形成し、世界最古の文字、楔形文字を発明した集団があったことはよく知られている。その名はシュメール人(Sumerians)であり、ペルシャ湾岸に近いチグリス・ユーフラテス河の沿岸地域に居住していた。このシュメール人の話す言語は、「謎の言語」とされているらしい。謎とされる一つの理由は、何故か、この言語は、印欧語とは著しく異なり、また中近東で支配的なセム系の言語でもないことにある、という。
何年か前になるが、このシュメール語について30回コースで解説しているyoutube番組があったので、ざっと聞いたことがあった。最近、そのダイジェスト版もアップされているようであり、こちらもつい最近視聴した。
一方、ロシア発の別のプログラムでシュメール人やシュメール語の歴史を専門家が語る番組を聞いていたところ、それらの専門家の間では、シュメール語はテュルク(トルコ)系の言語に属するという説が広く流布しているという。この説は、すでに20世紀初頭にある言語学者が唱えたものであるらしく、西欧ではあまりよく知られていないが、ロシア・東欧ではかなりよく知られているともいう。
実際、シュメール語には、多くのアジア系言語に共通するいくつかの特徴がある。
1,膠着語の性質
膠着語(agglutinative languages)というのは、ほとんど印欧語とまったく異なり、前置詞を用いない。反対に後置詞(つまり日本語文法の用語では「助詞」や「助動詞」)を用いて、文や文節を作り出す。抽象的に論じるより、実例を示した方が早いだろう。
kur-she toward the mountain 山へ(向かって) kur=山、she=~へ、へ向かって
dingir-she toward the (sky) god デンギル神に(向かって) dengir=天神
egal-la in the temple 寺院で(に) egal=寺院、a=~で、~に
lugal-da with the king 王と lugal=王、da=~と
lugal-gin as (like) the king 王のように gin=~のように
kur-kur-ta from the boats 山々から kur=山、ta=~から
2,名詞の性質
名詞は、単数と複数の両方を表現する。また英語のように特定/非特定の区別はない。
lugal は、a king, the king, kings, the kings などを意味しうる。(文脈によって判断する。)
名詞には、女性・男性・中性など、性(gender)の区別がない。
ただし、生物と無生物の区別があり、必要な場合、複数形の作ることができるが、その方法が異なる。
生物の場合 ene を付加することによって複数形にすることができる。 lugal-lene (lene となっているのは、lugal の最後の子音(l)を ene に付加するという「正書法」のためである。)
無生物の場合、 単語をくり返すことによって、複数形を作ることができる。
ma-ma (all the boats) (日本語風にいえば、「船々」のような形)
3、文の構成
いわゆるSOV構文が基本であり、述語(verbal chains)は、文の最後に来る。
時制はなく、時を表わす語句で過去、現在、未来などを示す。(漢語と同じ。)
4、抱合語
ここまでは、シュメール語の統語法は、日本語とほぼ同じであり、膠着語の性質をよく示している。
ところが、日本語や朝鮮語などとは著しく異なる点があり、シュメール語には「抱合語」の性質がある。
今、sum(与える)という動詞を使った文を考える。
lugal-le egal mu- nna- ni- n- sum.
王は、 寺院を (動詞) (彼女に) (ここで) (彼は) (与えた)。
日本語は、このように最後の述語に様々な要素が含まれている言語(抱合語)ではなく、この点で大きく異なっている。しかし、日本列島でも、アイヌ語はこうした抱合語の性質を持っていた。(私は、あなたに、などの意味を示す短い音が文末の述語に含まれる。)
この点で尾も出されるのは、金田一京助氏の見解である。彼は、アイヌ語が抱合語の性質を持つがゆえに、膠着語の日本語とはまったく異なる系統の言語であると主張した。しかし、これに対しては、異論があり、それは抱合語と膠着語という二つの性質は矛盾する性質ではないと主張する。この主張では、抱合語の性質は出現したり、消え去ることもあるという。
他にもいくつかの見逃せない特徴があるが、ここでは略することとする。
ともかく、こうしてみてくると、シュメール語が印欧語とはまったく系統を異にする言語であり、アジア系の膠着語であることは疑い得ないように思われる。またメソポタミア周辺の民族分布をみると、その近くには、南アジア(ドラヴィダ諸語)、チベット(チベット・ビルマ諸語)、テュルコ系諸語などの膠着語を話していた集団が居住していたとみられており、それらの集団が西アジアの「肥沃な三日月地域」に移住し、農耕を始め、やがて文字を使い始めたとしても、何ら不思議なことではない。
*余計なことかもしれないが、このように世界で最初に文字を発明した集団がアジア系だったという仮説は、西欧世界ではなかなか承服しがたいことのようである。この説がながらく遊牧民族と接してきたスラブ系世界(ロシアや東欧)を中心として広まっていることには理由があるようにみえる。
中近東における人類諸集団の歴史を見ると、この地がいわゆるアジア系集団とまったく無関係ではなかったことに気づく。例えば、今から1万年以降にメソポタミアで農業が生まれたのち、その農耕文化は、東西にむかって拡大しており、そのうち東に向かう流れには、南アジア(インド)の先住民族たるドラヴィダ人がかかわっていたことが知られている。また時代は、それより降るが、この地には、ポントス・カスピ海沿岸、黒海北岸の遊牧民(いわゆるヤムナヤ文化集団)の一部が流入してきたことが確認されている。ヤムナヤ集団というのは、いわゆる印欧語を話す祖先集団であり、本来は遊牧民であった。このようにステップの遊牧民が絶えず西アジア(中近東)に流入してきた歴史があった以上、もっと後の時代に匈奴、突厥などの名称の下に知られるようになったアジア系遊牧民の祖先集団が流入していたと言っても、決して突飛な話とは言えないだろう。
ところで、シュメール人がメソポタミアで活動していた時間深度であるが、おおむね現在から6千年前から4千年前の時期の中におさまっているようである。紀元前2千年前までには、シュメール人の都市国家は姿を消し、それに代わってアッカド帝国が成立した。ただアッカド帝国は、シュメール人の生み出した楔形文字を受け継ぎ、しかもシュメール語の解読に役立つ様々な素材を残してくれた。その中には、シュメール語とアッカド語(セム系言語のひとつ)との語彙対照表がある。現代人がシュメール語の解読に成功したのは、そのためもあるらしい。しかし、4千年前にはシュメール人はどこかへ姿を消し、西アジアはセム族の世界になり、またその後しばらくしてイラン系(ペルシャ系)民族の世界となった。
ともあれ、この4~6千年という時間深度は微妙にみえる。というのは、スワデッシュの法則では、どんな言語でも語彙は一定の速度で別の語彙に変化してゆき、置き換わってゆくからである。その速度は、千年に約20パーセントの語彙が別の語彙に変わってゆくほどのペースとされているので、6千年も経ってしまうと、共通祖先から分かれた二つの言語の語彙が共通して保持する語彙の割合は、偶然に類似する確率ほどになってしまうからである。しかし、4~5千年ならばかなり希望が持てる。私の計算では、10~20パーセントに近い数の語彙が一致する可能がある。
つまり、問題は、シュメール語と10~20%の割合で語彙を共有する言語が存在するか、となる。またトルコ語はその点ではどうか、である。しかも、テュルク語については、突厥碑文などの古い資料もあるので、比較検討が可能である。
ちなみに、日本には、日本語とシュメール語が同じ系統の言語であるという主張が一部で行われているらしいが、私がみたところ、共通語彙と思わせるようなものはほぼなかった。
しかし、トルコ語には、実際にシュメール語と共通する多くの語彙があると主張する人々がいる。
そして、そのような研究者の中には、匈奴をはじめとする遊牧民の奉じた天空神(tengri)とまったく同じ神がシュメール人の間で信仰されていたとする人もいる。その神とは、dengir (デンギル)神である。シュメール文字の専門家によれば、この神は、楔形文字で "an"(アン)と発音される文字(音)で表現されるが、この「アン」 こそ、訓では「空」という意味であるという。つまり、デンギル神は、天空の神であることを文字が語っているというわけである。
もしこの想定がただしければ、天空神(dengir、またはtengri)は、4千年以上前から祀られていたことになる。
以下では、半信半疑ながら、項をあらためて、シュメール語とトルコ語の語彙比較が成り立つうるのか、ともかく調べてみることとする。