古事記や日本書紀を読んだことのある人なら、誰でも知っているはずの説話に「天孫降臨]譚がある。
念のために、日本書紀によって、その概略を記すと、次のようになる。
大国主命が豊芦原瑞穂国の国造りを終えた頃、高天の原にいたタカミムスヒ神とアマテラス大神が子のアメワカヒコを地上に降臨させようとする。そして、そのための使者を何回か送ったのち、大国主命一家の「国譲り」を受け、降臨させようとするが、何故か、直前になって予定を変更し、子ではなく孫(ホノニニギ)を下すことに決める。この時、三種の宝物を持たせ、五部の神々を伴わせて降臨させる。こうしてまさに降りようとするときに、先発隊が帰って来て、下に異様な風体のものがいると報告するので、天鈿女に調べさせると、猿田彦大神という。この猿田彦を道案内として、降臨した一行は目的地に向かう。その目的地であるが、何故か天鈿女が猿田彦に問うと、猿田彦が答えるという構成になっている。
天鈿女「あなたが先頭に立って行くのでしょうか、それとも私たちが先頭に立って行くのでしょうか?」
猿田彦「私が先頭になって道を示しながら行きましょう。」
天鈿女「あなたはどこへ行くのか? また私たちはどこへ行くのか?」
猿田彦「天神の子は筑紫の日向の高千穂の串触峯に行くことになるでしょう。私は伊勢の狭長田の五十鈴の川上にまいります。」
こういった具合で、天孫一行は、猿田彦の示唆にしたがって「筑紫の日向の高千穂の串触峯」に向かうことになる。串触峯は、「クシフル」と読むべきである。
この高千穂のクシフル峰がいったいどこなのか、本居以来の研究者の頭を悩ませてきたことは周知のことに属する。
ところで、こうした天孫降臨譚は、日本にしかない固有の説話というわけではなく、世界中に分布していることが昔から知られている。むしろ、天孫降臨譚は、隣の朝鮮半島が本場だといってもよいくらいである。ここでは、それらを詳しく紹介するゆとりはないので、その要約を次に示しておくことにする。
1,朝鮮半島で一番流布しているのは、いわゆる檀君朝鮮の始祖とされる檀君神話と見られる。それによれば、天帝(桓因)は、桓雄に三危太白への降臨を命じ、天符印3種を授け、降臨させたとする。一方、降臨した土地には、熊と虎が住んでおり、人間になりたいと願っていた。そして、そのうちの熊が人間の女性となることを得たといい、桓雄と熊女が結婚して子をもうけた。その子が壇君朝鮮の始祖(檀君王倹)となった、という説話である。
2,もっと後の実在が確かな朝鮮半島の国、つまり高句麗や三韓(馬韓、弁韓、辰韓)の始祖王も天帝に命じられるか、人々の願いを聞き入れて、天降った天帝の子孫であるとされている。
まず天孫の降臨は高句麗の北方にあった扶余(フヨ)にあったとされる。前漢宣帝の神爵3年、天帝の子・へモスが天から下ってきた。このへモス王は、河伯の娘・柳花との間に子をもうけたが、その子・朱蒙は、卵として生まれ、様々な経緯を経て、東扶余から南方へ逃れてきて、そこで高句麗を建国したとされる。したがって伝説では、高句麗王が天から降臨した天帝の子孫ということになる。ところが、高句麗より南の地に建国されることとなった旧馬韓の地の百済国であるが、その始祖王=温ジョは、朱蒙の子とされるので、これも天孫ということになる。
他の2国はどうか? まず弁韓の地にあった駕楽(カラ、カヤ)国であるが、ここでは天孫の金首露(キム・スロ)がある時に亀旨峰に天降ったとされている。さらに辰韓の地から現れた新羅では、あるときに6人の村長が政治を行っていたが、彼らは天孫が天下ることを望み、その希望にこたえて新羅の始祖=朴赫居世が天下ったとされる。
つまり、神話上は、朝鮮半島のすべての国家の始祖は、天孫族であったということになるわけである。
しかも、ここで注意をひくのは、駕楽国の始祖=金首露が「亀旨峰」に天降ったという説話である。この亀旨峰は、古代朝鮮音では、「クシフル」のような音であったとみられる。
ここで誰でも、日本書紀の「クシフル」と駕楽神話の「クシフル」とが一致していることに気づくであろう。
実は、これは言うまでもなく、私の発見ではなく、かなり以前から日本の歴史家の間では、よく知られた事実であった。もちろん、これは偶然の一致ではない。漢谷に言えば、歴史家の通説は、次のようなものである。
かつて(例えば5世紀以降)ヤマト王権の成立史を編纂する動きが生まれたとき、彼らは、王権の正当性を神話で示したいと考えた。そこで、彼らは主に(当時の倭国の領域であった)西日本の各地(かっての、つまり魏志倭人伝の時代のクニグニの地)から様々な説話を集め、それらの短編小説(short stories)をまとめて一つの壮大な物語にまとめあげようとした。しかし、平和的な農耕民族の常であるが、彼らには「水平的な神話」はあるものの、王権の正当性や権威を示すような「垂直的な」支配の起源を記すような文献・史料を日本列島内には見つけることができなかった。ただ、一つだけあった。それは、古墳時代、特に後期に大陸や半島から渡来した人々のもたらした史料(多くの説話を含む文献)である。古事記や日本書記の編纂者は、やむを得ず、それを日本最初の歴史書に取り入れた。ただし、彼らは中国の歴史編纂の伝統にかなり忠実であり、史料をむやみに改変することは避けた。そのことは、日本書記が「一書に曰く」、「一書に云ふ」といちいち異伝を取り上げていることからもわかる。またしばしば問題となってきた高千穂峰が一体どこなのか、一向にわからないということも、ここから理解できる。古事記では、「この地は、韓国に向かっていて、とてもよい国だ」とって朝鮮半島に面した福岡県を示唆しているかと思うと、いつの間にか宮崎県や鹿児島県を思わせる記述になっている。福岡県から南九州に移ったのは、その地方の説話に筋を合わせるためである。
かくして本居翁などは、「まったくわからない」といって匙を投げたのであるが、それも道理、そもそも最初から場所の特定など不可能というわけである。しかし、この通説は、現在の歴史家にとっては自明であるが、日本のナショナリズムにそぐわないところがあり、本屋も本の売れ行きを配慮してか、現在では学会の中で語られるような心もとないものとなっている。
だが、話はまだ先に続く。そもそも、こうした天孫降臨説話は、朝鮮半島で生まれたものだったのだろうか、という疑問がある。実は、こうした疑問に答えてくれた先人がいた。それは、騎馬遊牧民の社会と国家の研究に生涯打ち込んでいた護雅夫氏である。氏の『遊牧騎馬民族国家』(講談社現代新書、1967年)は、全面的に、匈奴、突厥(トルコ族)、モンゴル族などの騎馬遊牧民族の宗教・祭祀・説話に関する研究の集大成であり、私たちに様々な興味深い事実を教えてくれる。
できれば、このブログでも、それらの遊牧諸集団の祭祀や説話について、詳しい紹介をしたいところであるが、時間や紙面の制約があり、ここでは断念せざるを得ない。しかし、私がここで言いたいことを述べるためには、必ずしも詳しい紹介は必要なく、むしろいくつかの要点を示せば、すむように思われる。その要点とは、
1,これらの遊牧民集団は、ほぼ例外なく、シャーマニズムを信仰していた人々であった。
2,また彼らは、ほぼ例外なく、自分たちの集団またはその首長(カン、カガン)が天神(天空神、天上神)の子孫、また天から降臨した天孫の子孫であったという説話を有していた。なお、ここで天神というのは、文字通りの天上神であり、日(太陽)神という意味ではない。天神は、トルコ系の言語では、「テングリ」(tengri)であり、このテングリは、匈奴の「単于」のフルタイトルの中にも含まれていた。
3,さらに彼らの多くは、狼などの動物を祖先に持つという観念を有していた。言うまでもなく、狼は、遊牧民にとっては、自分たちの飼育する家畜(羊、牛、馬など)を襲う危険な野獣であるが、それだけに逆説的にいっそう敬うべき動物と捉えられていた可能性がある、と護氏はいう。
ところで、護氏のカバーする遊牧民の範囲は、匈奴、突厥、モンゴル、満州系民族、鮮卑、烏桓などのいわばアジア系民族に限られているが、もっと西方の西部ユーラシア大陸の地域ではどうだっただろうか?
これについて、現在、私が確実に書くことができることはかなり限られているが、それでも、天神崇拝の証拠は、西ユーラシアにもみられるように思われる。
そうした証拠の一つは、有名なヘロドトスの『歴史』の中に見出すことができる。ヘロドトスは、この著書で、紀元前6世紀に生じたペルシャとギリシャの戦争について書いていることはよく知られているが、そのペルシャがその北方、黒海北岸の草原地帯に居住していたスキタイ人の伝承に触れている。少し長いが要約ではなく、和訳(松平千秋氏)をそのまま引用する。
「スキュタイ人の言うところによれば、自分たちは世界の民族中最も歴史の新しい民族で、その生成の経過は次のようであったという。当時、無人の境であった彼らの国土に最初に生まれたのは、たルギオタスという名の男であった。このタルギオタスの両親は、・・・ゼウスと、ポリュステネス河の娘であったという。・・・タルギオタスからはリポクササイス、アルポクサイスおよび末子としてコラクサイスの3子が生まれた。この三人が支配していた時代に、天から黄金製の器物(鋤に軛、それに戦尾のと盃)が地に落ちてきて(以下略)」
この文章に登場する「ゼウス」は、ローマの「デウス」(天主)に相当し、ギリシャ神話の主神としてしられている天空神であり、ギリシャ神話の最高神であることは言うまでもない。その天空神が河の娘と結婚して三人の子をもうけたという。河の娘が人の子なのか、河に住む動物なのかははっきりしないが、それが朝鮮神話の河伯の娘を連想させ、興味をひくことは言うまでもないだろう。
実は、現在の研究では、スキュタイ人は、現在から5000年前まで黒海北岸のステップ草原に居住していたヤムナヤ文化人集団の子孫であることがわかっている。そして、このヤムナヤ集団は、その後、ヨーロッパや西アジア(ペルシャ)、インド北西部に移住した印欧語族の祖先集団であり、かつ遊牧民であったと想定されている。
現在のヨーロッパ人の祖先集団がまだ異教徒(非キリスト教徒)だった時代には、例えばスラヴ人の天空神(ペルーン、スヴァローグ)が主たる神であったことが知られており、ここからも西ユーラシアの遊牧民の間では、かなり古くから天空神がまつられていたことが明らかとなっている。
以上を要約すると、ステップ草原では、かなり古い時代から西でも東でも、天上神信仰が行われており、かつ(もしかするとトーテムの可能性があるが)何らかの動物を祖先とする信仰がったと想定することができよう。
その天上神信仰がある時、ステップから農耕地帯に広がってきたのではないか、というのが、ここでの最後の結論となる。しかし、それを積極的に指し示すには、もう少し詳しい説明が必要となる。