郷土地名考 「能生」(のう)の由来 | 書と歴史のページ プラス地誌

書と歴史のページ プラス地誌

私の郷里の上越地方(糸魚川市、上越市など旧頸城郡)の歴史・地誌をはじめ、日本列島、世界の歴史・社会・文化・言語について気の向くままに、書き連ねます。2020年11月末、タイトル変更。

 これまで、鶉石、槙、溝尾、飛山などの集落(大字)について書いてきたが、ここでこれらの集落全体を指し示す「能生」について考えたことを書くことにしたい。天和の検地帳では、能生は海岸部の町の部分(能生町)と能生川に沿った上流の谷の部分(能生谷)の部分とに分かれているが、史料に現れるのは1680年代に始めてというわけではなく、その前の室町時代の書物にも現れている。

 よく知られているように、長享2年(1488年)には、僧万里が<能生山泰平寺>に滞在し、社頭を詠じ大椿の詩を賦したことが『梅花無尽蔵』に記されている。このあたりには、それよりずっと古くから神社があり、元正天皇の頃(680~748年)に泰澄大師がこの地に錫を留め、仏像を併安し、社号を白山権現と号したとされている。この神社の社地は移動したとされているが、いずれにせよ「能生」が古くから人々の住んでいた地であることは間違いない。室町時代・戦国時代には、能生山泰平寺の宝光院が白山権現の別当として七堂伽藍を有しており、75の末社と50余坊を置いていたというから、現在の私たちには信じられないほどの繁栄ぶりである。

 

 それはさて、<能生>の地名の由来については、これまで様々なことが言われてきており、中でもよく語られてきたのが、この地名が「野」(の)に由来するというものであろう。あるいはそれに関連してアイヌ語の nup (ヌ、野を意味する)語源説が語られることもあったという。

 しかし、この説には疑問点が多い。一つには、能生にも昔から野や原があったことは間違いないが、他の多くの地域の事例から見ると、<野>が単独で用いられることはなく、必ず他の修飾語と一緒に用いられている。例えば、糸魚川市の姫川沿いに「大野」があり、大の字が加わっている。その他、全国には小野、薄野(ススキノ)、近野、松野、杉野、牧野などがあり、枚挙にいとまがない。

 それに加え、そもそも能生という表記が問題である。なぜかこれに言及した人がいることを私は知らないが、「生」という字が付けられていることである。このように「生」で終わる地名は、他の土地にもある。有名なのは、武生(タケフ)、麻生(アソウ)、丹生(ニュウ)などであろうか、他にもあるかもしれないが、多く上げてもさほど説得力が増すとも思われないので、以上にとどめておく。

 さて、これらの「生」で終わる地名は、古くは、<ーーふ>(--hu)という発音であったことは国語学の見地からして容易に推測されることである。奈良・飛鳥時代まで遡れば、<ーーぷ>(--pu)であったことも疑いなく、それが発音の容易なように音韻が転化してきた結果ということもまた疑いない。つまり、麻生は<アサフ>であり、丹生は<ニフ>であった。その意味は麻の生えている場所、丹(朱丹)のとれる場所であっただろう。

 したがって能生もまた<ノフ>またはむしろ<ナフ>と発音されていたと考えなければならない。そして、ここでよく考えてみると、日本語として意味を持つのは<ナフ>のほうと思われる。これは文字通り、菜(ナ)の生える場所を意味する。

 

 そこで次にこの言葉であるが、菜(ナ)は倭語であり、古くからある。万葉集には「この岡に菜摘ます子」云々という詩が載せられており、古事記には「前妻が菜乞わば」という歌謡が採用されている。ここで言う「菜」とは必ずしも童謡<菜の花畑に入り日薄れ>の菜ではなく、古語辞書の言う「葉や茎を食用にする草本類」、つまり山菜に他ならない。具体的には蕨、薇、コゴミ、蕗、ヨシナ、御山人参葉などであろう。

 したがって、推論の結論を言えば、ナフであった発音がノウに変わった蓋然性が高い。ちょうど麻生がアサウからアソウに変わり、丹生がニフからニュウに変わったのと同じである。

 

 かつて聞いたところでは、能生町から隣の名立町にかけての地は、土地が肥沃であり、草餅の材料となる良質のヨモギの一大産出地であり、日本で採取・利用されるモグサの8、9割がこの地の産だったという(今は変わったかもしれない)。もちろん、ヨモギの生える野原に他の山菜類が豊富に自生していてもまったくおかしくはない。

 とここまで書いてきて、隣の町が名立(ナダチ)ということに気づいた。この名(ナ)もまた菜と解することはできないであろうか? いや、そうに違いない、と思う。菜ならともかく、名が立つわけがない。

 

 

 能生が<ナフ>であったことを示す史料が残されていないことは言うまでもない。しかし、<生>字が発音の変化にも負けずに脱落せず続いてきたことが、古くは能生の<ナフ>であったことの生き証人であると確信している。他に<生>の字がつく理由は考えられないし、一音節の地名(野=ノ)があったとも考えられない。