【鬼マタイの福音書】イエス、うんこ山でキングダムを見る
7 Jesus said to him, “On the other hand, it is written, ‘YOU SHALL NOT PUT THE LORD YOUR GOD TO THE TEST.’”7 保(イエス)は答えて勅(みことのり)された。「こうも書き記されている。『あなたの䰠々(カミガミ)の塊守(カイシュ)を試してはならない』」8 Again, the devil took Him to a very high mountain and showed Him all the kingdoms of the world and their glory;8今度は、汚駄仏(オダブツ)は保(イエス)を須弥山(しゅみせん)に連れて行き、世間すべての天王立(てんのうりつ)とその栄華を保に見せて、9 and he said to Him, “All these things I will give You, if You fall down and worship me.”詔べた。「あなたが朕にひれ伏し朕を礼拝すれば、これらすべてをあなたに与えましょう。」━━『鬼マタイの福音書』4:7-9もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。━━『マタイの福音書』5:30 新改訳須弥山(しゅみせん)a very high mountain 須弥山。愛の味方キリストは人類の罪を背負いました。それなら「非常に高い山」はうんこ山、失礼。「汚い須弥山(しゅみせん)」が含まれています。世界は「法と正義のアシュラと権力のデーヴァ」をシェアしています。ユダヤ・西洋・中東は、ゾロアスターの「善のアフラと悪のダエーワ」の正しい道に進みました。東洋は、愛の敵ブッダの「悪のアシュラと善のデーヴァ」の不正な道に進みました。須弥山は【世界の中心】にそびえる高い山です。ここは汚いブッダの下僕、汚いデーモンの帝釈天や四天王が住むうんこの山。とても臭いので、法と正義のエンジェルは寄り付きません。汚ブッダ教や汚ヒンズーは、「右は正義、左は邪悪」「兄弟姉妹の差別を持たない」という点で聖書やコーランと同じです。特にインド人は右手を清浄の手、左を不浄の手として使い分けます。しかし、「きれいはきたない、きたないはきれい」。インドは清いアシュラと汚いデーヴァがあべこべなので、右左(清い汚い)の中身が逆転しています。そんな右手は切り捨てなさい!ただし、インドのユダヤ人と呼ばれるパールシーは清いゾロアスター側です。汚ブッダ教は、日本において、左の兄イザナギ一族と深く結びつきました。今日において、エンジェルの右側は「ヒューマン・ライツ【万人の正義(右)】」「兄弟姉妹なき平等」と結びついています。しかし汚ブッダ教とイザナギ一族は「デビルの左側」に属すため、「権力のデーヴァ」から権(だます、あざむく、ウソをつく)と利(もうけ)を組み合わせて「権利」をでっち上げ、さらに「国民と非国民」をでっち上げ、極東全域を汚染しました。本物の【万人の正義(右)】は戦わずに手に入るアシュラの正義(右)で、本物の平等は皇臣民や兄弟姉妹や先生先輩がありません。しかし、日本人は決してこれらを訂正しません。なぜなら、本物の正義(右)と本物の平等は、普通の国々なら好影響をもたらしますが、日本には破壊をもたらすからです。日本の中身━━皇臣民や兄弟姉妹や先生先輩━━を須弥山ごと引っこ抜けば、日本は完全消滅します。本物のみずほの国(葦原中つ国)は、中国地方の島根県の出雲に残っており、出雲だけが「右は正義、左は邪悪」の中心、新たな国となり得ます。日本消滅と真みずほの国の再興は、大多数の一般人にとっては利益しかありません。しかし「権力者たち」は、自分たちの利益を一般人に分け与えず、「既得権益をむさぼりたい」。あらゆる日本人は「須弥山」といううんこ山に心の底まで汚染されています。日本人は無自覚に「エンジェルの正義はデビルの権利」「エンジェルな修羅は悪神」「デビルな帝釈天や四天王は天神」と言わされる家畜。その汚れを底まで清められる者こそ、キリストです。「帝釈天はニセの帝」「四天王はニセの王」そう覚えましょう。 天王立 the kingdoms 天王立。てんのうりつ。英単語のキーワードは「スタンド(立)」がつく語がたくさんあります。キングダム、フリーダム、ウィズダムの「ダム(-dom)」も、「立(法)」の意味。本当のキングは「天王」。しかし、あらゆるスタンド語の翻訳は、「立」が抜けています。『日本書紀』の最初の神は、「床立(トコタチ)」。別名は「底立(ソコタチ)」。稲荷神社ではトコタチを「天地開闢の唯一神」として祈ります。天地万物のクリエイターを正しく訳せば「床立」。既成概念に反して、ローマ(大秦)から来たクリスチャンは、日本建国前から極東に移住していました。クリスチャンの秦氏は、平安京(京都)、伏見稲荷大社(米)、松尾大社(酒)などを創建しました。しかし、恩知らずな日本人は「トコタチは鬼門の神」と秦の唯一神を呪いました。なぜなら、唯一の鬼神は【太陽と月と星を拝んだら死刑】【アイドル(神仏像)を拝んだら死刑】【万人は平等で貴賎なし】【皇臣民や兄弟姉妹や先生先輩の上下関係を作らない】という法を広める全能者(オールマイティ)だったからです。オールマイティがこの国の象徴になれば、既存の権力構造は崩れ、天皇制も神話も仏教も儒教も成立しません。だから、日本は床立を呪い、現代では「立」のつく英語をみな歪めています。○クリエイター(創造主)【床立(トコタチ)】 ○オーソリティ(権威) ※クリエイターの別名。【底立(ソコタチ)】 ○ライジング(上昇、復活、昇進、出世、反乱)【上立(ウエタチ)】 ○レイズ(上げること、昇給、賃上げ)【横立(ヨコタチ)】○アンダースタンディング(理解)【下立(シタタチ)】 ○インシステンス(主張)【内立(ウチタチ)】 ○イグジステンス(存在)【外立(ソトタチ)】 ○ミニスター(大臣、聖職者)【小立(コダチ)】○ミニストリ(省、庁)【小立(しょうりつ)】 ○ストア(店)、ステーション(駅)、ステイト(州、国)など。【立(りつ)】 ○キングダム(王国)【天王立(てんのうりつ)】 ○フリーダム(自由)【愛立(あいりつ)】 ○ウィズダム(知恵)【賢立(けんりつ)】 ○ナーリッジ(知識)【立知(りっち)】 ○コンスタテューシャン(憲法)【皆立(かいりつ)】 ○スタンダード(標準)【立堅(りっけん)】ご覧の通り、国を支えるキーワードが全て「立」抜きです。日本語そのものが役立たず。スタンド語はキリストを前提とした用語。さらに、本物の漢字に基づけば、「鬼神」は【太陽の気を持つ天神】。「鬼」は【肉体なき霊】。「風水」は【鬼門・裏鬼門なし】。「陰陽」は【鬼退治の根拠となる陰陽道なし】。その上、英語のスピリットの語源は「呼吸(ゴッドの息吹)」で、生命そのもの。ホーリースピリットは聖なる鬼、生命そのものが鬼、息吹そのものが鬼、伊吹童子(酒呑童子)はセイント扱い、伊吹大明神(ヤマタノオロチ)は高位の天使扱い。こうなると、言語や物語で、【鬼は聖なるもの】【鬼退治は邪悪】の基本構造が確定します。逆に、伊吹大明神と戦ったスサノオはデビル、鬼退治する側は悪役、天皇家は「悪の象徴」に落ち着きます。その上、オールマイティやキリストは「天王(キング)」。サタンがイエスに見せたキングダムは、日本のような“誰も人として立てない国”だったとわかります。「本物のテンノウはオールマイティ」「偽物のテンノウは象徴」そう覚えましょう。同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実をならせることはできませんし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。━━『マタイの福音書』7:17-19 新改訳 世間 world 世閑(セカン)。世間や世界は汚仏用語です。したがって、それらは「ワールド(world)」と根本的に異なります。本物のワールドは「世閑(セカン)」。門の中には日(太陽)ではなく、木があります。イエス・キリストは「狭き門より入れ」と勅(みことのり)され、その直後に「善の実がなる木、悪の実がなる木」の【二つの木】の話をされました。天地のはじまり、エロヒームは第四日に太陽と月を立てず(造らず)、「大きな二つの御景(みかげ)と星々」を立てました。エロヒームはその前、第三日に「木」を芽生えさせました。代表的な【二つの木】は、「立知の木」「生命の木」です。エルフやドワーフやガンダルフが出てくる北欧神話では、最初の神々、長男オーディン、次男ヴィリ、三男ヴェーが【二つの木】を「最初の男アスク、最初の女エムブラ」に変えました。つまり人とは「人閑(ニンカン)」です。二人の人閑から、世閑の中心、ミズガルズ(中つ国)に住む人類が生まれました。また、オーディンたちは、「太陽の女ソールと月の男マーニ」という“罪人たち”に神罰を与え、この二人に日月の馬車を駆る仕事を強制しました。また、「世閑樹(セカンジュ)」が九つの世閑を支えています。エルフやドワーフやガンダルフを広めた『指輪物語』の世閑では、【二つの木】に“汚れなき光の輝き”が宿りました。「太陽と月」は真の光が汚された後の劣化物に過ぎません。そして、コーランでは【二つの木】が楽園の木、「スィドラの木」「タルフ木」です。そして、日本人が「学」と偽っている学校、学生、スコラ哲学などの「スコレー(σχολή)」は、すべて「閑(ひま、のどか、カン)」です。本物のスクールは「閑校(カンコウ)」であり、本物のワールドは「世閑(セカン)」であり、本物のヒューマンは「人閑(ニンカン)」です。狭き門をくぐると、ユダヤ、キリスト、イスラム、北欧、ハイファンタジーの【二つの木】に出会います。世閑では、太陽と月は良くないものであり、神でも聖なるものでもありません。誠に残念ながら、太陽と月を崇め、デビルの須弥山を中心とする悪役(ヴィラン)たちは、ワールドのヒューマンに含まれません。世間の人間とは、モンスター同然のまがい物です。狭き門から入らない限り、日の下のモンスターは人閑になれません。世閑の中心は二つの木。二つの木を知るイエスが、汚仏山(オブツヤマ)の汚世間(オセケン)に屈するはずがありませんでした。「本物のワールドは世閑(セカン)」「本物のヒューマンは人閑(ニンカン)」「本物のスクールは閑校(カンコウ)」そう覚えましょう。○まとめ「帝釈天はニセの帝」「四天王はニセの王」「本物のテンノウはオールマイティ」「偽物のテンノウは象徴」「本物のワールドは世閑(セカン)」「本物のヒューマンは人閑(ニンカン)」「本物のスクールは閑校(カンコウ)」