1078回目:『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読んで | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

平野啓一郎さんの本『私とは何か
「個人」から「分人」へ』を読みました。

帯には、
<本当の自分>はひとつじゃない
と書かれています。

本当の自分はどんな人間か?

多くの方が一度は考えたことが
ある問いなのではないかと思います。

生活している中で、
私たちは様々な自分を見ています。

家族といる時の自分、
友人といる時の自分、
職場の人といる時の自分。

どこかしらに演じている部分は
あるのかもしれませんが、

すべてが「ウソ」かというと
決してそうではなかったりします。

そこで私たちは
「本当の自分って?」と
考えてしまうことがあるのだと
思います。

こういった疑問に対して、
平野さんは「分人」という定義を
持つことで答えを与えようと
しています。

ものすごくざっくりですし、
多分に自分の解釈も入っていますし、
そもそも理解が不足していることも
あるかもしれませんが、

「個人=individual」という
分けられないものと考えるから

自分の中にさまざまある
異なった自分を受け入れることが
難しくなる。

「分人=dividual」の集合体であると
考えると、

一緒にいる相手によって異なった
分人が表れているだけで

どれも「ウソの自分」ではなく
それぞれに本当の自分であると
思うことができる。

そんなことを教えてくれます。

平野さんが高校時代の友人と
大学時代の友人が同席することになった
飲み会のエピソードが紹介されていました。

高校時代の自分はどんなだった、
逆に今大学での自分はどうだ、
という話を、それぞれからされることが
恥ずかしかった、というのです。

また、子供の頃の運動会の例も
挙げられていました。

ある年齢になると、親に観られるのが
恥ずかしいと思うようになる。
これも、わかります。

別に、高校時代の自分が恥ずかしい
わけでもなく、
親を嫌いになったわけでもない。

それでも恥ずかしいと思うのは、
高校時代の友人との間に存在する分人と
大学の友人との間に存在する分人、

親との間の分人、友人との間の分人が
同時に発生することで混ざってしまう
ことが嫌だったのだろう、と
書かれていました。

他にも、恋愛関係や他者の死に面した時の
ことなども語られています。

この分人の概念を持つと、
「本当の自分とは?」と悩むことも
なくなるかもしれないと思いましたし

人間関係の悩みも減るのではないかと
思いました。

「個人」という概念が、キリスト教の
概念に基づくものだという話もあり、

個人に対するものとしての分人を
受け入れられるかどうかは
それぞれだろうと思います。

また、この本は平野さんが小説を通して
考えた人間観をまとめたものです。
研究書ではありません。

とはいえ、この本が生まれたきっかけは
近未来長編小説『ドーン』刊行後に
作中で語られている「分人主義」について
エッセンスをまとめてもらいたい
というリクエストを何度となく受けた
ことだそうです。

これに感銘を受け、これまでの人生で
モヤモヤしていたことが
スッキリ整理できた気がする
という人がいたということです。

私は小説は苦手でほとんど読まないのですが
『私とは何か』を読んで、
スッキリ整理できたところはあります。

分人主義という概念は、
「自分はどんな人間か?」と
考えることがある方や、

人間関係で悩んでいる方には
ヒントになることがあるかもしれません。

新しい概念を知ることで
物事の見方が変わる。

その体験をさせてもらったように
思います。



【今日のまとめ】

自分は、相手や場によって異なる
分人の集まりでできていると捉えると

「本当の自分は?」という悩みや
人間関係の悩みが減っていくかもしれない。