385回目:「不確実性の時代」と言われなくても、いつでも不確実。 | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

信じられる未来がある

というのは

とても幸せなことだと

思います。

 

例えばひと昔前の日本。

 

終身雇用の中で

頑張っていけば

 

一軒家を買って

家族を養って

老後も安泰、

 

ということが

多くの人にとって当たり前に

信じることができた

ものだったのだと思います。

 

 

しかし今は、

そういったある一定数の

人たちが信じられるような

共通認識はありません。

 

 

何年か前から「VUCA」の時代

という言葉も

よく聞くようになりました。

 

「Volatility(激動)」

「Uncertainty(不確実性)」

「Complexity(複雑性)」

「Ambiguity(不透明性)」

 

 

でも、よくよく考えてみると

いつの時代だって

確実な時代などと言うものは

なかったのではないかと

思います。

 

 

例えば、

 

終身雇用で頑張って

それなりの企業で

それなりの役職について

それなりのお給料を

もらっていた人の

突然の事故や病気や

死亡によって、

 

「確実」だった未来が

不確実になったということは

当然に起こっていたのです。

 

 

だとすると、

冒頭に書いた

持っていると幸せだと思う

信じられる未来というのは、

 

一見、ひと昔前の日本の

終身雇用で頑張って・・・

のようなものであるように

思われるものの、

 

そういったものが、

 

忘れがちではあるが

いつでも誰にでも

起こり得る不確実性によって

一瞬に壊されるような

ものであることを考えると、

 

いったいどのようなもので

あるべきか、

改めて考えさせられます。

 

 

 

不確実性の時代、

先が見えない時代、と

言われて何年も経っているのに

 

果たして自分は、

その中で何が信じられる未来なのか

確実なものは何かと

考えてきたかというと

 

恥ずかしながら

何も考えていませんでした。

 

うっすら意識にはあったものの

真剣に考えることを

先送りしてきてしまい、

当然行動にも

移せていません。

 

 

自分で稼げるように

ならなければ、と

そこそこ高額のセミナーに

参加したりしましたが、

 

そこで学んだものが

本当に身について

稼げる自分になっているのか、

というと

これまた否、です。

 

 

 

今回コロナによって

本当に不確実なんだ、という

ことを突き付けられました。

 

「明日から在宅勤務」

「週明けから休校」

しかも、期限は未定。

 

明日も出勤する、

明日も登校するという

信じていた未来、

しかも直近の未来が

崩れたのです。

 

 

直近の未来が確実ではない

ということは、

 

人はいつ死ぬか分からない

という、誰でも知っている事実が

表していますが

 

これに対して

臨場感を持って実感するというのは

身近でそういった経験を

された方でなければ難しい

というのが実感です。

 

 

 

かといって、

せっかく生きているのですから

 

確実な未来がないのだから

頑張っても仕方ない、

流されていけばいいじゃん、

とは思いたくないものです。

 

 

 

「信じられる未来があった

親世代はいいよね」と

つい考えてしまいがちなこと対して、

 

絶対的には確実なものは

ない中でも、

自分が信じられる未来に向かって

確実だと思えるものは何か。

 

 

終身雇用という外部環境に

支えられたものではなく、

自分の内側から支えられるものを

見つけることが必要なのだと

思います。

 

 

不確実性と向き合うことは

将来に対して不安を持つことでも

あったりするので

避けてきてしまったのですが

 

もう逃げられないところに

来ているのだな、と

ふと思いました。

 

 

自分の中の不安と向き合い

乗り越えながら

今すでに自分の中に確固たるものを

もっている方たちを見るにつけ、

焦るばかりという状況を

脱したいと思います。

 

 

 

【今日のまとめ】

 

いつの時代も

誰にとっても

確実なものはない。

 

一見確実と思われるものも、

不確実性の上にある。

 

とはいえ

刹那的に生きていきたいとは

思わない。

 

だから、外部環境に

支えられたものではない

自分の内側から支えられた

確実なものを見つけて

 

そこに向かって進みたい。