「よかった!」「なんで?」で客観的になる | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

おはようございます。

もう11月後半。

今年も残り1か月半。

やり残すことがないよう、

進んでいきたいです。

 

 

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友人が「よかった!」「なんで?」を

やってくれている、

簡単でいい、

 

というところから、

改めて

「よかった!」「なんで?」の

すごいところを考えてみました。

 

 

落ち込んだり

不安になったり

怒ったりしたとき、

 

その感情の中に

どっぷりつかってしまっている

のだと思いますが、

 

 

例えば

同じような出来事で

落ち込んだり

不安になったり

怒ったりしている人に対して

 

「大したことないよ!」と

励ました経験はないでしょうか。

 

 

自分のことだと

落ち込んだり、

不安になったり、

怒ったりすることでも

 

他人のことだと

「大したことないよ!」と

(単なるなぐさめではなく、本気で)

思える。

 

 

これは、

他の人のことだと

客観的にみられているから

というのが理由にあると

思います。

 

 

こういう話は聞いたことのある方が

多いと思いますし、

分かっている方が多いと思います。

 

 

それでも、

自分が落ち込んだり

不安になったり

怒ったりしているときに

 

なかなか、すぐに

客観的になって

落ち着くことができなかったり

するような気がします。

 

 

それが、

「よかった!」「なんで?」

をやると

 

客観的になって

心が落ち着くような気がします。

 

 

目の前の出来事から

何か「よかった」を探そうとすると

 

その事実を観察することになり、

いったん、

自分の感情を横におくことになるのです。

 

しかも、

何かよかったことが見つかる

(はずな)ので

 

「よかった!」「なんで?」を

やる前より

気分が落ち着く上に

 

「○○はよかった!」と

ポジティブな気分にも

なることができるのです。

 

 

 

「客観的になろう」ということを

分かっていても

 

どうやって客観的になるのか?

ということは

具体的には分かっていなかった

ような気がします。

 

 

客観的になるために

「客観的になろう」と意識するより

 

「よかった!」「なんで?」を

意識するほうが
簡単ではないでしょうか。

 

 

きょうも

「よかった!」「なんで?」を

やっていきたいと思います。