2024/6月、久々に熱海に行ってまいりました。 | 総合診療医:誰もがわかりやすく医療を理解する事ができるブログ

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2024/6/24 撮影。

久しぶりに熱海に行ってきました。いつもなら1人で向かうのですが、今回は珍しく妻も一緒に(顔出しNG)。

 

ところで、「熱海」の地名由来はご存じでしょうか?

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元々の地名は「阿多美」でした。

30万年前には多賀火山があり海底にも噴火口があったため、海から暖かい温泉の湯が湧き出ていたころから、「熱海」となりました。

 

熱海が有名になったのは、1604年徳川家康が熱海に7日間も滞在してからでした。

1604年と言えば、江戸時代が始まった翌年という、まだまだ政治が不安定な時期でした。そんな時期にも拘わらず、徳川家康はのんびりとしていたのです。

その後、4代将軍家綱と8代将軍吉宗も、熱海の温泉に惚れこんでしまい、特に吉宗は9年間で温泉の湯を3643樽も江戸城まで運ばせていました。

 

また江戸時代中期から末期(1800年前半頃)には印刷技術が進歩し、文字や絵画などを反対向きにした板である「木版」制作が始まりました。

 

その中で相撲の番付のように「温泉番付」、今で言う「温泉ランキング」「名湯100選」も作られました。

当時の相撲番付の最高位は「大関」でしたが、伊豆熱海之湯は「大関」ではなく番付中央の「行司」の所に当てられました。つまり、熱海の温泉は将軍たちに大変気に入られたくらい別格だったのです!!!

 

さて、今回の目的地は熱海後楽園ホテルに隣接した、「オーシャンスパFuua」という温泉施設があります。

 

ここには立ち湯があり、下の写真(公式ホームページより)のように、まるで海に浮かんでいるような感覚を味わう事ができます。

冒頭でも書きましたが、海底火山の噴火により沸いた温泉、温泉の湯を舐めてみましたが、やはり塩味がしました。

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熱海という街は、海岸に面した急斜面にホテルや旅館、住宅などが並んでいるのがわかります。

この施設は休憩エリアも充実しており、1日中いても飽きない所でした。

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熱海は16年かけて完成させた「丹那トンネル」により、関東だけでなく関西からも多くの観光客を集める事が出来るようになりました。

 

観光客が増えて困ったのが飲料水でしたが、丹那トンネルの完成までに妨げとなった大量の湧水を飲料水に利用して、水不足を解決しました。

こうしてリゾート地として栄えた熱海ですが、平成に入り昭和時代ほどの人気がなくなったため、今も尚、廃墟のままのホテル・旅館が残されているのは残念なところです。

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この日は全国的にかなり暑く、熱海も例外ではなかったのですが、空間も広く適当に海風があり、かなりリラックスできました。

 

風のせいで私の髪もセクシーになびいています・・・バラバラとも言いますが(笑)

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地方の温泉に行ったのは、私も妻も久々でしたが、帰宅してから妻は肌がスベスベと喜んでおりました。

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徳川将軍も喜ばれたように、熱海は何度訪れても、リフレッシュできるなあと思います。


京都・鎌倉の他に、私にとって熱海は何度行ってもいいなあと思える所です。

 

 

 

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