【13】自己憎悪社会 |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

  「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

突きつめれば「命どぅ宝」!
【新】ツイッター・アカウント☞https://twitter.com/IvanFoucault
徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ・・・私たち家族は5日前にイスラエル軍の空爆に遭い、夫を亡くしました。
息子は命が助かったものの手と背中に大けがを負いました。

 私は息子を病院に連れてきました。
容体が非常に悪く、手術を受ける必要がありました。

 昨日(17日)になって体調が少し回復しました。
医師から「順調です」と聞いてとてもうれしかった。
息子は私にキャンディーが食べたいと言いました。

 私はキャンディーを手に入れるため、病院の外に出ました。
・・・(つづき)☞【2023年10月20日(金)赤旗

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

少女が見た9時間にわたる無差別攻撃 なぜ、この時期に狙われたのかー 10・10空襲
琉球放送
2022年10月10日(月)

・・・地上戦の5か月も前になぜ、沖縄が狙われたのか
アメリカ軍の作戦報告書には
「沖縄への空襲で 日本軍の軍事施設に最大のダメージを」と記されています。

当時、日本軍は沖縄本島や奄美大島に飛行場を建設するなど、
急速に南西諸島の要塞化を進めていました。
そうした中、フィリピンへの上陸作戦を控えたアメリカ軍は、
周辺にある日本軍の飛行場や港など軍に関連した施設がある沖縄を標的とした
のです。
しかし、攻撃を受けたのは軍事施設だけに留まらず、
学校や病院、住宅までもが焼き尽くされました


沖縄戦を研究する吉浜忍さんは、当時のアメリカ軍の攻撃の狙いをこう説明します。

レイテ島の上陸作戦を支援するためには、
周辺から飛行機が飛んだりしたら迷惑でやりにくい。
台湾も含めて、破壊していくっていうやり方をする支援作戦
だということですね。
沖縄には住民が生活してるから。
攻撃する場合によったら敵・味方、住民・軍人の見分けがつかなくなって、
無差別に攻撃するっていうことになる
。」

10・10空襲からおよそ5か月後、沖縄にアメリカ軍が上陸。
空襲時に撮影した膨大な写真を元に
沖縄の地形を分析していたアメリカ軍は戦いを優位に進めていきます

日に日に戦況が悪化する中。
南部に避難していた照屋さん一家を悲劇が襲います。

照屋苗子さん
迫撃砲を落とされたのよ。その時に祖母と姉と弟は即死。
その時にやられた肉親3人の
肉片がこの辺にバッと散って。」
まだ幼い少女が見た地獄

照屋さんは戦後、
県の遺族会会長などを務めながら、継承活動を積極的に行ってきました。

照屋苗子さん
「戦争のない今の平和が続くように祈っている。
辛くても語らないといけないと思っている

吉浜さんは沖縄戦の研究を続ける中で、
国防の名のもと再び軍備増強が進む今の沖縄の姿を当時と重ねています

沖縄戦研究者 吉浜忍さん
要塞化してた島というのは危険、狙われる。というのが起こるし、
それは沖縄戦でもそうだし、今でもそういう風になっていくのかな」

多くの命が奪われた歴史をどう教訓とするのか。今再び問われています

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

・・・人の人をほんとうに愛するとは、
すべての人を愛することであり、
世界を愛し、生命を愛することである。
誰かに「あなたを愛している」と言うことができるなら、
あなたを通して、
すべての人を、世界を、私自身を愛している
」と言えるはずだ。”
(エーリッヒ・フロム【著】/鈴木昌【訳】
『【新訳版】愛するということ』
1991年、紀伊国屋書店、76-77頁)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

BEGINの曲で
Birthday Song」という曲がある。

お子さんが
この世に生まれてきたときに、
親のうちに湧き起こってくる思いが
歌詞の内容になっている。

歌詞は日本語で書かれているけれども、
その内容は、
時代や地域、置かれた状況に違いはなく、
お子さんの誕生を心から喜ぶ
おとうさん・おかあさん達には、
このような感慨が生じるのだろう。

「Happy Birth to You
その翼広げて まるで奇蹟のように
君は僕の目の前 舞い降りてきたのさ

Happy Birth to You
そのむじゃきな笑顔 時がたつのも忘れ
いつでも君だけを ずっと抱きしめていたい

AH いつもの AH 景色が
違って見えるよ 君がいるから

Sha la la la Little baby
はしゃぎすぎた僕は 君の名前を何度も呼ぶ
この世界中のすべて きれいなものすべて
君にあげたい 初めてそう思った
(中略)

この広い世界は 全ての国境をこえ
誰でも持っている 素晴らしい一日を
・・・」


いま繰り広げられている
《ガザ地区への無差別攻撃》の惨状を
ツイッターを通じて目の当たりにしながら、
このBEGINの「Birthday Song」の曲の内容も
脳裏をよぎる。

その赤ちゃんが生まれてくる事で
世界の景色が一変してしまうほど、
愛おしく大きな存在。

何度も、その子の名前を呼び、
この世界中の
きれいなものすべてをあげたい、
と初めてそう思わせるほど、
大きく愛おしい存在。

この世に唯一の「汝」としての我が子を
奪われる・失うことによる、
親の悲痛や絶望の大きさを、
子どもの誕生の喜びや感動をうたう、
このBEGINの曲は、逆に教えてくれるからだ。


この曲の歌詞は日本語ではあっても、
その歌詞内容は、
いつの時代でも、どこの地域でも
共有されるのではないだろうか。

お子さまが生まれてから
その人のなかに、
政治や社会への関心も「生まれる」人がいる。

その子が生まれてきた世の中で
無事平和に、この世をまっとうできるだろうか。

そのために、その子のために、
自分に出来ることで、
何が残されていて、何が出来るだろうか。

その赤ちゃんが生まれた事で
その親の中にも何が生まれる。

また、矢野顕子さんの曲で
ステージで忌野清志郎さんと一緒に
歌ってもいる曲で、
ひとつだけ」という曲の歌詞内容も、
相手の存在の大きさを物語っている。

「‟汝”としての子ども」という存在の大きさ
お子さまを含めて、
愛する存在、自己超越できるものの大きさ、
人生における「汝」との関係の大きさ
について、
精神科医のヴィクトール・フランクルによる
『夜と霧』の中で紹介されている事例がある。

ホロコーストの強制収容所のなかで、
自分には、もう生きる意味が無い
という2人のひとの事例を取り上げている。

一人は女性で、
幸い彼女には、
母親である彼女の生還と再会を
待ちのぞむ子供の存在に気づき、
その女性は、その子のもとに生還する、
「生きる意志」と「生きる意味」を得る


もう一人は男性で研究者だった。
さいわい、その男性には、
まだ完結させていない研究書を完成させる
という「使命」に気づき、
生きて収容所を出て、研究書を完成させる、
という「生きる意志」と「生きる意味」
を得る。
——この男女別々の2人は、
興味深いことに、フランクル自身とも重なる。

冬の朝早くに、収容所から”工事現場”に
何キロもの道のりを連行させられながら、
彼ら収容者の男性たちは、黙りながら
一人ひとりの伴侶に思いを馳せていた、
とフランクルは『夜と霧』で書いている。
フランクルは
離れ離れに収容されているティリー夫人を
「汝」として実感し、その人格を愛することで
精神的に救われた、という。


"わたしは妻と語っているような気がした。
妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えた。
まなざしでうながし、励ますのが見えた。
妻がここにいようがいまいが、
その微笑みは、たった今昇ってきた太陽よりも明るくわたしを照らした。

 そのとき、ある思いがわたしを貫いた。
何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、
何人もの詩人がうたいあげた真実
が、
生まれてはじめて骨身にしみたのだ。
愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実
今わたしは、
人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、
究極にして最高のことの意味を会得【えとく】した。
愛により、愛のなかへと救われること
人は、この世にもはやなにも残されていなくても、
心の奥底で愛する人の面影をこらせば、
ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということ
を、
わたしは理解したのだ。

 収容所の入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、
思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、
できるのはただひとつ
耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、
人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を
精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ

わたしは生まれてはじめて、たちどころに理解した。
天使は永久【とわ】の栄光を
かぎりない愛のまなざしにとらえているがゆえに至福である、
という言葉の意味
を・・・。”
(ヴィクトール・E・フランクル【著】/池田香代子【訳】
『新版 夜と霧』 みすず書房、2002年、60-61頁)
 

しかし、収容所から生還できても、
ティリー夫人は、すでに収容所内で亡くなっており、
収容所から生還できたら、
温めていた研究の成果を上梓する、
という希望、
“人々を助ける”という、
もう一つのほうの「使命」や「意味」が
辛うじてフランクルを救ったのかもしれない。



強制収容所の人間を精神的にしっかりさせるためには、
未来の目的を見つめさせること、
つまり、
人生が自分を待っている、
誰かが自分を待っていると、
つねに思い出させることが重要だった

ところがどうだ。
人によっては、
自分を待つ者はもうひとりもいないことを
思い知らなければならなかった
のだ・・・。

 収容所で唯一の心の支えにしていた愛する人もういない人間は哀れだ。
夢にみて憧れの涙をさんざんながしたあの瞬間が今や現実になったのに、
思い描いていたのとは違っていた、まるで違っていた人間は哀れ

町の中心部から路面電車に乗り、
何年も心のなかで、心のなかでのみ見つめていたあの家に向かい、
呼び鈴のボタンを押す。
数え切れないほどの夢のなかで願いつづけた、まさにそのとおりだ
・・・・・・
しかし、ドアを開けてくれるはずの人は開けてくれない。
その人は、もう二度とドアを開けてくれない
・・・・・・。
(中略)

・・・不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。
少なからぬ数の解放された人びとが、
新たに手に入れた自由のなかで
運命から手渡された失意は、
のりこえることがきわめて困難な体験であって、
精神医学の見地からも、これを克服するのは容易なことではない

そうは言っても、精神医をめげさせることはできない。
その反対に、奮い立たせる。
ここには使命感を呼び覚ますものがある
。”
(池田香代子【訳】同、155-156頁)

フランクルの言う「自己超越」は、
フランクル自身の実体験でもあったのかもしれない。



・・・人間存在の本質的な自己超越性・・・。
この自己超越性を私は、
ある事またはある人に向かって
言い換えれば
実現されるべき意味または出会っている他の人に向かって
自分自身を超えていくこと
と定義している。
いずれにしても、
人間存在は、
何らかの事柄への奉仕もしくは誰かある人格への愛に専心する程度に応じて、
現実に人間的になる
。”
(V・E・フランクル【著】/山田邦男・松田美佳【訳】
『苦悩する人間』 2004年、春秋社、29頁)


それほど、
人生の上での大きな存在である「唯一の汝」を、
ガザ地区での無差別攻撃において“も”、
一人ひとりの人たちが奪われ、
悲痛に喘いでいる。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

前ページで私たちが見たホロコーストの性質は
宇沢弘文氏が
戦争中の大都市空襲/空爆の論理、
また新自由主義のうちにも
その論理が流れているのを指摘した、
《Kill-Ratio》と《Death-Ratio》の理性を連想させる。

『近代とホロコースト』のなかで、
ジグムント・バウマンは
現代の戦争・殺戮行為、
ホロコーストという側面を拾い上げて、
そこに《暴力の再編成》を成し遂げる《道具的理性だと説明した。

そして何よりも私にとって、
現在の不思議な光景は、
自分たちの生命や生存が、
今日・明日終わっても
おかしくない状況のなかであっても、
なぜ平気でいられるのか?

という《生への無関心》である。

もし〈道具的理性〉と
《生への無関心》や《死への愛》とが
背中合わせの関係にあるとすれば、
どれだけ世の中が便利になり、
寿命が延びたところで

私たちは「いのち」そのもの
喪失していることになる。

私が最初に、
フーコー『セクシュアリテの歴史1 知への意思』を
読んだときに、
多くの誤解と誤読をしていた中でも、
「民族抹殺(ジェノシッド)が
近代的権力の夢であるのは・・・
生命と種というレベル、
人口という厖大な問題のレベルに位置し、
かつ行使されるからである」(邦訳174頁)
という文言に、まったくピンと来なかった。

しかし、この『知への意思』を刊行する同時期に、
コレージュ・ド・フランスの講義の最後のほうで
“ナチズム”を論じるにあたり、
”人種主義””生権力”の概念を
使っていたことを後に知り、
さらに今回のようになると、
フーコーの認識とは異なるだろうが、
《生権力》の概念に、
より魅力を感じるようになっていく。

彼は講義のなかで、
次のようなことを述べている。



“実際、人種主義とは何なのでしょうか?
まず、それは
権力が引き受けた生命の領域
切れ目を入れる方法
なのです。
そうやって
生きるべき者と死ぬべき者を分ける
のです。
人種間の生物学的連続体において、
諸々の人種が現われ、
人種間の区別やヒエラルヒーが設けられ、
ある人種は善いとみなされ、
ある人種は反対に劣るとされる
などして、
権力の引き受けた生物学的な領域
断片化されていくことになるでしょう。
人口の内部で、
様々な集団をたがいに引き剥がしていくわけです。”
(ミシェル フーコー 【著】/石田 英敬、小野 正嗣【訳】
『ミシェル・フーコー講義集成〈6〉
社会は防衛しなければならない
 (コレージュ・ド・フランス講義1975-76) 』
2007年、筑摩書房、253頁)
72f】①《生権力》と《人種主義》と《ジェノサイド》&《全体主義/ファシズム》と
72g】②《ナチズム》――《生権力》と《人種主義》との頂点に達した政体――
72h】③《ナチズム》――《生権力》と《人種主義》とが混在し、それらが頂点に達した政体――


【現地メッセージ】
パレスチナ・ガザ地区の友人からのメッセージ②
(2023/10/17)



イスラエル政府が
ガザ地区のパレスチナ人に対して行っていることは、
権力が引き受けた
「生命の領域に切れ目を入れる方法」をもって
「生きるべき者と死ぬべき者を分け」ている光景であり、
それを目の当たりにしているのではないだろうか?



ところが、
その《人を切り分ける》発想は、
“人種主義”とはまた別に、
今日の日本でも垣間見られた。

コロナパンデミック元年のときに
《トリアージ》論が或る首長のくちから出てきたし、
今年、「高齢者は集団自決」発言も出てきた。
彼らは、《Death-Ratio》の発想を
素直に口に出したのだった。

《Kill-Ratio》や《Death-Ratio》の論理は、
ホロコーストだけでなく、
日本での空襲でも、東南アジアでの空襲でも
見受けられたのではなかっただろうか。

フロムは
《死へ愛》や《死を愛する存在》を、
生を《モノのように管理すること》、
所有する》かたちで捕捉する、
支配することを愛し、
支配という行為のなかで生を抹殺する》ものだ、
と述べている。

《生を支配可能にする》に当たり、
確実性》を求めて、
生を《死んだものに変える》ために、
生を《所有》したり、
生を《無機物に変容させ、機械的にアプローチする》、
生を《予期や予測をする》、
ということを、
死への愛》は行なうのだ、
とフロムは述べた。



"生の特徴は、
構造的、機能的な意味での成長にあるが、
ネクロフィリア的な人間が愛するのは、
成長しないもの、機械的なものすべてである。
ネクロフィリア的な人間をかりたてるのは、
有機物を無機物に変容させ、機械的に生へと接近し、
すべての人間をモノであるかのように扱いたいという欲望
である。
すべての生命プロセス、感情、思考が、モノへと変容させられる
体験よりも記憶が、存在よりも所有が重要なのだ。
ネクロフィリア的な人間が
――花であれ人であれ――
対象にかかわるのは、
それらを所有しているときだけである。
(中略)
彼は支配することを愛し、
支配という行為のなかで生を抹殺する

彼が生に深い恐れを抱くのは、
それが本質的に無秩序で支配できないものだからだ。
(中略)

彼は基本的に過去を向いていて
憎しみ恐れる未来をむこうとしない。
これに関連しているのが、
確実性を求めてやまないことである。
しかし人生に確実なことはないし、
予測不可能で、支配することもできない。
生を支配可能にするには、
それを死に変えなければならない

死こそが、生におけるただ一つ確実なことなのだ。”
(エーリッヒ・フロム【著】/渡会圭子【訳】
『悪について』
ちくま学芸文庫、2018年、45-47頁)


このフロムによる《死への愛》の説明内容は、
ぴったりと重なり合うわけではないが、
しかし、
フーコーの《生権力》を連想させる。

”生権力”という概念について
ひとつのツイートに納めれるような、
フーコーによる端的な表現がある。

”「封建体制における君主権力による〕
死なせるか生きるままにしておく
という古い権利に代わって、
〔生権力という〕
生きさせる死の中へ廃棄するという権力が現われた”
ミシェル・フーコー【著】/
『性の歴史Ⅰ~知への意志~』
1986年、新潮社、175頁

この生権力の特徴や側面というものが
この「権力の主要な役割が、
生命を保証し、支え、補強し、増殖させ、
またそれを秩序立てることにある
」というのならば、
にもかかわらず、
死の中へ廃棄する》ことをする《生権力》というものは、
一体どのようなものなのだろうか。

このブログで、
改めて、その性質を
以降に拾い上げていく。

―――――――――――――


“18世紀後半になると・・・
新たな経済的要請や、
革命後のフランスで悩みの種となっていくような民衆運動への政治的懸念のため、
それまでとは別の社会監視網が必要になる。
権力行使がより繊細で厳密なものとなり、
中央での決定が個人に到るまでのあいだに、
できるだけきめ細やいネットワークを張る必要がでてくる。
それがああいう警察や階級官僚制の出現であり、
ナポレオン政体の官僚ピラミッドであったわけです。

 1789年よりずっと前にも、既に法律家や「改革派」は、
処罰というものが必然かつ不可避で、公平で、
いかなる例外も逃げ道もありえないような画一化された刑罰社会を
夢見たことがありました。
そうなればもう、恐怖やみせしめといった効果を狙いながらも、
それを免れる罪人も少なくはなかった拷問という
昔ながらの処罰法も、
監獄という制度が具現する処罰普遍性の要請の前に姿を消すわけですからね。

——しかし、なぜそれが監獄というシステム以外のものではなかったのか?
「罪人」の幽閉、監禁のもつ社会的機能とは どんなものでしょう?

——監獄がどこから生じたかという質問には「色んなところから」というのが私の答えです。
「発明」されたと言えなくもないが、
そうは言ってもそれは個人の監視、統制、身元割り出し、
さらには各人の素行や活動や能力の綿密なチェックなど、
それら一連の技術の発明
ということです。
16、7世紀以降、
軍隊、同志会、学校、病院、仕事といったところで
ずっと培われてきた綿密で日常的な支配、身体支配の技術。
監獄はこうした規律の時代の究極な形
なんです。”
(中澤信一【訳】「拷問から監房へ」
『ミシェル・フーコー思考集成〈5〉権力・処罰―1974‐1975』
2000年、筑摩書房、322-323頁)

――――――――――――


"——刑罰制度の歴史においては、ひとつの重要な転機がありました。
それは18世紀半ばにかけてです。
(中略)
私は、18世紀半ばに起こったのは、経済的な合理化
——これにすいては細部にわたる研究がしばしばなされています——
だけではなく、同じように、
政治的技術、権力技術、支配技術の合理化でもあったと思います。
規律【ディシプリン】というのは、非常に細かい網の目をもち、
連続的かつ階層的な監視を行なう諸々のシステムのこと
ですが、
この規律というものが、政治的技術におけるひとつの巨大で重要な発見なのです。

(中略)

——あらゆる政治思想——プラトンからヘーゲルまで——において、
権力は国家の合理的発展を保証するものでした。
フロイトは、文明化の過程は欲動をかならず抑圧するのだから、
われわれは幸福にならないようにできていると述べました。
トマス・モアやカンパネッラのユートピアは、
清教徒の警察国家でした。
そこで質問です。
理性と感性が融和しうるような社会を、想像することはできるのでしょうか。    

——あなたは2つの問を提出しておられます。
第1には、国家の合理性あるいは非合理性についての問いです。
古代以来西洋社会が理性を要求してきたこと、
そして同時に、
その権力システムが、暴力的で血まみれで野蛮な支配システムであったことは、
周知のとおりです。
あなたがおっしゃりたいのはそのことですね。私の答えはこうです。
この暴力的支配が非合理的なものだと、総じて言ってしまうことは可能だろうか。
私は否だと思います。
西洋の歴史において重要なのは、
極度の合理性をもった支配システムが発明されたことだと、
私は考えています。
そこに至るには多くの時間がかかりましたが、
その後に続くものが発見されるには、さらなる時間が必要でした。
それに交代したものとは、
諸々の目的性、技術、方法からなるひとつの総体です。
つまり、学校や軍隊や工場において、規律が君臨するようになったのです。
極度の合理性をそなえた支配の技術というのは こうしたものです。
植民地化については言うまでもありません。
その支配の様式は血まみれたものですが、
これは考え抜かれたひとつの技術であり、
完全に意図的で、意識的で、合理的なのです。
理性の権力は、ひとつの血まみれの権力なのです。

(中略)

——ドイツ語のVernunft〔理性〕は、
フランス語の「理性」〔raison〕よりも広い意味作用を持っています。
ドイツ語の理性概念は、倫理的な次元を備えているのです。
フランス語では、この概念には道具的でテクノロジー的な次元が与えられています。
フランス語では、拷問、それはまさに理性なのです。
しかし私は、ドイツ語では拷問が理性ではないことはよく理解しています。”
「拷問、それは理性なのです」
『ミシェル・フーコー思考集成〈6〉 1976-1977 セクシュアリテ・真理』
2000年、筑摩書房、547、550-552頁

――――――――――――――

“——所有権の体制や生産管理における国家の役割に
修正を加えてきているとはいえ、
残りの部分に関しては、ソビエトは、
単に、資本主義下の19世紀のヨーロッパにおいて開発された管理や権力の技術を
自分たちのところに移したに過ぎません

道徳の諸形態、美の諸形式、規律に関する諸々の方法など、
既に1850年頃のブルジョワ社会で実際に機能していたすべてのものが、
まるごとソビエトの体制の中に移った
のです。
禁錮システムは、
18世紀の間に全般化された刑罰システムとして発明され、
19世紀に資本主義社会およびこれらの社会に対応する国家の発展と連携して実現されたと私は考えています。
しかも監獄は、
生産諸力の発展と管理とを保証するために必要な権力の技術の1つに過ぎません。
工場での規律、学校での規律、軍隊での規律、存在一般に対するあらゆる規律が、
この時代の技術上の発明
なのです。
そして、あらゆる技術は移転可能です。
ソビエトは、
テイラー主義や西側で試されたその他の管理技術を利用したのと同様、
規律に関する我々の技術も採用し、さらに我々が開発した兵器工場に、
党の規律という新しい兵器を加えた
のです。”
(國分功一郎【訳】「ソ連およびその他の地域における罪と罰」
『ミシェル・フーコー思考集成〈6〉1976-1977 セクシュアリテ・真理』
2000年、筑摩書房、78頁)

――――――――――――――

“私たちは・・・偉大な発明というものは
誰もが知っているように
蒸気機関のようなもの、あるいはそのたぐいの発明であった
と言いたがる習慣があります。
そう、確かにそれは非常に重要なものでした。
が、
ほかにもそれと同じくらい重要なテクノロジー上の発明が
いくつも連なってきたのであり、
それらは最終的に他の発明がうまく働くための条件であったのです。
政治的テクノロジーについても同様でした。
17・18世紀を通じて、権力形式がうまく働くための条件であったのです。
ですから、工業技術の歴史だけでなく、政治技術の歴史も書かなければなりません。
そして政治的テクノロジーのさまざまな発明
——特に17世紀と18世紀を中心にすべきでしょうが——は、
大きく二つの章に分けられると思います。
・・・というのも、
それらの発明は二つの異なる方向に展開したと思われるからです。
一方には、
私が「規律」と呼びたいと思っているあのテクノロジーがあります。
規律というのは結局のところ、
社会集団の中で私たちがそれによって最も繊細な要素まで管理し
社会的原子それ自体、
すなわち
個人にまで到達するに至るような権力のメカニズムのことです。
権力の個人化の技術と言ってもいいでしょう。
いかにして誰かを監視し、そのふるまいや行動や適性を管理し、効率を向上させ、
能力を増大させ、その人物がもっと有用であるような場所に置いてやるか

——これこそが、私の考える規律なのです。

 私は先ほど、軍隊における規律の例を引きました。
これは重要な例です。
というのも、
これはまさに、規律という大発明が
ほとんど第1番目に実現され発展してきた領野だったからです。
それはしたがって、
かなりの速さで射撃のできる銃の発明という、あの技術
——工業的レベルでのもうひとつの発明に結びついてきました

このときから、実際、私たちは次のように言えるようになったのです。
つまり、
兵士は相互に交換可能なものではなくなった、
純然たる大砲の餌食であることをやめ、
力で相手に襲いかかる単なる個人ではなくなったと、
良い兵士であるためには射撃ができなけれならない。
したがって、学習のプロセスを経ていなければならない。
また、持場を移動することもできなければならないし、
自分の動きをほかの兵士たちに動きに合わせることが
できなければならない。
要するに、兵士はいわば熟練した存在になった
のです。
すなわち、貴重な存在に。
そして貴重になればなるほど、これを守らなければならない。
守らなければならなくなるほど、
戦闘において自分の生命を守る技術を教えることが必要になる。
技術を教えれば教えるほど、学習期間は長くなり、それが貴重なものになる。
そしていきなり、こうした軍事技術の訓練に一種の飛躍が見られ、
かの有名なフリードリッヒ2世のプロシア軍において頂点に達したのです。
この軍隊は時間の大半を訓練に費やしました。
プロシア的規律のモデルであるプロシア軍

それはまさに、
ある程度まで他のさまざまな規律モデルであった
兵士の身体のこうした規律を完成させ、
最大限の強化したものにほかなりません。

 この新たな規律のテクノロジーが現れるのが見られる
もうひとつの領野は、教育です。
多数の中にあって個人が個人化されるこれらの規律的方法が
現れるのが見られるのは、
まず何よりもコレ―ジュにおいて、次いで小学校においてです。
コレ―ジュは数十人、数百人、数千人もの生徒、小学生を集め、
彼らの上に一つの権力を行使するのですが、
それはまさに、
特定の生徒と教師のあいだにしか存在しえない家庭教師の権力よりは
ずっと金のかからないものです。
そこでは数十人の生徒につき教師一人いればいい。
しかしながらこのように生徒が複数いたとしても、
そこでは権力の個人化、絶えざる管理、普段の監視が
おこなわれなければなりません

そこから、
コレージュにかよったことのある人ならだれもがよく知っている人物、
あの監督官という人物が生まれるのです。
それは学校の階層構造において、軍隊の下士官に相当するものです。
また点数による成績評価も出てきますし、
普段の試験や競争試験なども現れてきます

つまり各生徒が教師の目から見て、
あるいはさらに
私たちが彼らの各々にたいして下す評価や判断において、
正確にしかるべき場所に位置づけられるように
生徒たちを分類する可能性が現れた
のです。

 たとえば、
今皆さんが私の前にどんなふうに並んで座っているか見てください。
皆さんにとってはたぶん自然に思える位置関係なのでしょうが、
それでもこれが文明史においては比較的最近できたものであり、
19世紀初めにはまだ授業をおこなう教師を囲んで
生徒たちが集団で立っているような学校が見られたということを
思い出してみるのも、悪くありません。
そしてもちろんこのことは、
教師が生徒たちを実際に一人一人監視することなどできない
ということを意味しています。
まず生徒集団があり、それから教師がいる。
現在、皆さんはこうして列になって座っておられますが、
そうすると教師の視線は一人一人を個別化し、出席をとり、
皆さんが何をしているか、夢でも見ていないか・・・といったことを知ることができます

これは取るに足りない些事ですが、しかし非常に重要な些事なのです。
というのもつまりところ、一連の権力行使のレベルでは、
まさにこうした細かい技術のうちにこそあれらの新たなメカニズムが投入され、
機能することができた
のですから。
軍隊やコレージュで起こったことは、19世紀を通して工場でも見られます。
これが「権力の個人化するテクノロジー」と私が呼びたいと思うもの
で、
これは実際には個人を
その身体、その行動に至るまで対象とするテクノロジー
なのです。
大ざっぱに言えば、一種の政治的解剖学【アナトモーポリティック】
つまり個人を解剖するに至るまで対象として扱う解剖学であると言ってもいいでしょう。

 以上が17・18世紀に現れた権力テクノロジーの系列です。
少し後、18世紀後半に現れたもう一つの別の権力テクノロジーの系列があって、
こちらは特にイギリスで発展しました
(言っておかなければなりませんが、フランスにとっては恥ずべきことに、
第一に系列はとりわけフランスとドイツで発展したのでした)。
後者のテクノロジー
個人を個人として対象とするのではなく、逆に人口集団を対象としています。
還元すれば、
18世紀はこの寛容な事柄を発見したのです。
つまり、権力は単に主体【シュジェ】の上に行使される
——これは君主がいて臣民【シュジェ】がいるという、君主制の基本的な命題でした——
のではないということを。
権力が行使される対象は人口集団であるということが発見されたのです。
ところで人口集団とは、何を意味するのでしょう?
それは単に多数の人間の集合なのではなく、
生物的な過程や法則によって貫かれ、
支配され、統御されている生物としての人間たちのことです。
人口集団には出生率があり、死亡率があります。
人口集団には年齢曲線があり、年齢階層があり、
罹病率があり、健康状態があります

人口集団は滅亡することもありますし、逆に発展することもあります。

 ところで、こうしたすべては18世紀に発見されました。
したがってもし私たちが
まさしく人口集団というもの
生産装置として、つまり富や財産を生産し、他の個人を生産する装置として
利用しようと思う
のであれば、
権力と主体との関係、より適切に言えば個人との関係は、
単に権力が主体〔=臣民〕から財産や富、
場合によっては身体や血までをも徴収することを可能にするあの隷属形式であるだけではなく、
もろもろの個人が一種の生物学的実体、
考慮に入れるべき生物学的実体を構成している限りにおいて

そうした存在としての個人の上にも権力が行使されるようなものでなければならないということが、
わかってきたのです。
人口集団の発見は、
個人と訓練可能な身体の発見とともに、
西洋の政治的手法がその周囲に形成されてきたもう一つの大きなテクノロジー上の核なのです。
先ほど言及した解剖-政治学【アナトモ-ポリティック】にたいして、
生-政治学と呼びたいものが、このとき発明されました。
住居、都市での生活条件、公衆衛生、出生率の割合の変化といった諸問題が
現われてくるのが見られるのは、このとき
です。
また私たちは
いかにして人々にもっと子供を作るように仕向けることができるのか
あるいはともかく、
いかにして人口の増減を調整し、
いかにして人口の成長率を調整し、
移民の数を調整することができるのか

という問題が現れたのも、このときでした。
そしてそこから発して、
一連の観察技術
——統計はもちろん、行政的・経済的・政治的な大組織をすべて含めて——
が、こうした人口調整の責務を負うことになります

権力のテクノロジーには2つの大きな転回があったのです。
規律の発見調整の発見
解剖政治学の進展生-政治学の進展です。

 生は今や、18世紀以来、権力の対象となりました。
生と身体です

かつては主体、
つまりそこから財産を、
さらに生をも引き出すことができる法律的主体しかありませんでした。
今では、身体人口集団があります。
権力は唯物論的になりました。
もっぱら法律的であることをやめたのです。
それは身体、生といった、あれらの現実的な事物を相手にしなければなりません。
生は権力の領域に入っていきいます
これは人間社会の歴史における主要な、おそらくは最も重要な変化のひとつです。
そしてもちろん、性がこのときから、
すなわちまさに18世紀以来、いかにして絶望的な主要な要素となりえたか

ということも見えてきます。
というのも、じつのところ、性はまさしく
身体の個人的規律人口集団の調整との分節点に位置している
からです。
性というのは
個人の監視を確かなものにするための出発点であり、
それゆえなぜ18世紀において、まさにコレージュで青少年の性現象が
医学的問題、道徳的問題、
ほとんど第一級の重要性をもつ政治的問題となった
のかも
理解できるでしょう。
というのも、
性現象のこうした管理を通して——またこれを口実として——
コレージュの生徒や青少年を
一生涯にわたって、時々刻々、睡眠中まで監視することができたからです。
性はしたがって「規律化」の手段
私がお話した解剖-政治学の主要な一要素となるでしょう。
しかし他方、
人口集団の再生産を保証するのも性であり、
私たちが出生率と死亡率の割合を変えることができるのも
性によって、性の政治学によってです。
ともあれ、性の政治学は
やがて19世紀にきわめて重要になるあの生の政治学の内部に組み込まれることになるでしょう。
性は
解剖-政治学【アナトモ-ポリティック】生-政治学【ビオ-ポリティック】連結点にあり、
規律調整の交差点にある
のであって、
この機能において、それは19世紀末に、
社会を一つの生産装置にするための最も重要な政治的要素となったのです。”
(石井洋二郎【訳】「権力の網の目」
『ミシェル・フーコー思考集成〈8〉 1979-1981 政治/友愛』所収
2001年、筑摩書房、410-415頁)

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“・・・社会主義の主要な伝統が、
根底的に問いなおされている状況において、
それを問わなければならないのです。
なぜなら、
この伝統が歴史の中で生産してきたものすべてが断罪されているわけですから。

——そうすると、私の理解が正しければですが、
あなたはきわめて悲観的だということになりますね。

——困難な諸条件を意識していることが、
必ずしも悲観的ということにはならないと、私は思います。
むしろ私は楽観視であるからこそ、こうした困難さを理解できるのだと思います。
あるいは
こう言ってもいいでしょう。
わたしが困難さを理解しているからこそ
——これらの困難は巨大なものですから——、
「やり直そう!」というためには大きな楽観性が必要なのです。
やり直すことが可能でなくてはそうは言えません。
つまり、分析や批判をやり直すことがです
——もちろん、いわゆる「資本主義」社会を分析すると
ただ単純に言っているのではなく、
社会主義の国々にも資本主義の国々にも見出される、
強力な国家的・社会的システム
を分析すること
です。
必要とされているのはこうした批判なのです。
これはたしかに、非常に大きな課題です。
大きな楽観生を持って、今すぐ始めなければなりません。”
(蓮實重彥【訳】「権力と知」
『ミシェル・フーコー思考集成〈6〉 セクシュアリテ/真理』
筑摩書房、2000年、556頁)

 


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〈牧人=司牧型権力〉の技術


 闘争には、目標がはっきり見える闘いもある、
たとえば
植民地主義的な支配、
あるいは
言語的な支配に対する民族主義者の闘い、
あるいは
搾取という経済的な形態に対する社会的な闘いとか、
あるいは
はっきり目に見える権力の法制的・政治的な形態に対する闘いなどがそれだ。

 しかし、
ここの問題にしている闘争が対象とする権力は違う。
西洋世界には中世以来、
必ずしも政治的・法制的でもなく、経済的でもなく、
また民族支配的でもないが、
しかし西洋社会に構造的に大きな作用を及ぼした権力の形があった。

 ここで問題になる権力は、宗教に由来する権力なのだ。
つまり、人間が生まれてから死ぬまで、
あらゆる状況で人間を導き、
しかも来世での魂の救いのために現世での行動を規制するような
一つの権力であり、
それを私は〈牧人=司牧型権力〉と呼んでおこうと思う権力なのだ。

 〈牧人=司牧型権力〉とは
語源的な意味で、〈牧人=羊飼い〉が〈羊の群れ〉に及ぼす権力ということだ。
羊飼いが己の羊の群れの一頭一頭の羊に心をくばるというこの型の権力は、
ギリシア・ローマの古代社会には存在しなかったし、
また、望まれもしなかったであろう。

 それは、キリスト教とともに発展してきた権力であり、
キリスト教会の制度化、キリスト教会内部の階層的秩序、
来世や罪や救済といった新興の総体、
〈牧人=羊飼い〉である司祭というものの確立、
すなわち羊の群れである信者に対し
〈牧人〉としての責務を果たす存在の確立とともに形成されてきた。
それは中世を通じて
封建社会の発達と微妙な関係を持ちながら発展してきたが、
16世紀の宗教改革並びに反宗教改革の時期に
一層強化された形において展開を見たものである。
しかし、変遷はあるにしても、
この〈牧人=司牧型権力〉は、
常に次の特性を持つ権力であるという本質的な性格を
奇妙なことに保ち続けていた。
すなわち、
すべての権力と同じく集団全体に力を及ぼしつつも、
同時に、
その〈集団=羊の群れ〉の中の〈牝羊〉の一頭一頭に対して、
つまり集団内の個々人に対して責任を持っている。
しかもその行動に拘束を加えるばかりでなく、
一人一人の個人を知り、個々人の内面をはっきり見なければならない。
言いかえれば、
個人の〈主観性〉をはっきり出現させ、
個人が己の意識に対してもつ関係を構造化する必要があったという点である。
〈牧人=司牧型権力〉の技術にとって、
〈良心の教導〉とか〈救霊〉の問題が、
〈告解〉という、自己が自己自身に対して持つ関係を、
真理と義務づけられた言説という形で報告することにかかっていた、というのは
極めて重要なことだ。
この権力は、
こうして〈個人形成的〉な権力であるという本質的特徴を持っているのだ。

 古代ギリシア・ローマの権力は、
このような形で社会の構成員を一人ずつ知る必要を感じていなかった。
個人をこのように真理の小さな中核を持つ者と考える必要はなかったのである。
しかし、
〈牧人=司牧型権力〉にあっては、個人は、
その内なる真理の中核を司祭に向かって告白しなければならず、
こうして光の中にもたらされた真理を、司祭が受け取り、それに判断を下す
というわけだ。
古代都市国家の権力は
このような個人を形成する形のものではなかったし、
封建制の権力も、さらには絶対王政の権力もそのようには働かなかった。
権力は都市国家全体に、封建制のそれは封土の住民という集団に、
また絶対王制のそれは個人の属するカテゴリーに作用したのであり、
この最後のものといえどもなお集団と身分に基づく社会であり、
個人を前提とする社会ではなかった。

 ところが工業的ブルジョワ社会の発展よりはるかに以前に、
キリスト教の宗教的権力は、
社会の構成員に働きかけて、
このような〈主観性〉という形で、つまり〈告解〉によって
個人が自己について得る意識として、個人というものを形成させていたのである。

権力の対象としての〈個人〉

 ところで
この〈牧人=司牧型権力〉について、私は二つの指摘をしておきたい。
(中略)

〈牧人=司祭制〉は、第一に宗教的であり、
それが目指すのは、究極的には地上世界の問題ではなく、来世のことだ。
しかし、儒教の役割は本質的に現世的である。
また、儒教は、
個人あるいは個人の属する社会的範疇のすべてに課せられるべき規則の総体を明確化することによって、社会全体の安定を目標とするが、
〈牧人=司祭制〉では、
〈牧人=司祭〉と〈羊の群れ=信徒〉との間の
個人のレベルでの厳密な服従関係を確立しようとする。
〈牧人=司祭制〉は、
魂の教導その他の技術によって、個人形成的であるのに対し、
儒教にはそのような作用はないのである。
(中略)

 第二の指摘は、逆説的で、しかも意外なことなのだが、
19世紀以来の資本主義的工業化社会と、
それに伴いそれを支えた近代的国家形態は、
〈牧人=司祭制〉が宗教的次元で実現したこの個人形成という手続きを、
このメカニズムを必要とした
ということだ。

 宗教制度そのものの評価が低下し、
またイデオロギー的な変化が生じて、
西洋世界における人間と宗教的信仰との関係は変わった。
しかし同時に、
この〈牧人=司祭制〉の技術は、
非宗教的な場所で、国家の作業の内部で、
確立し、変容し、普及していくのだ。
このことはあまりにも知られていないし、また語られることも稀だ。
おそらく18世紀以来の近代国家は、
権力のメカニズムの確立にではなく
自由の保障に自己の正当化を求めていたからでもあろう。
(中略)

 それはともかく、
ヨーロッパの18、19世紀を通じて、
この〈牧人=司祭体制〉の方法と目標が再転換されて、
別の場所に移植されていくという現象が起こる。
しばしば、
近代国家や近代社会は個人を知らないとか無視しているとかいわれる。
しかし、よく観察して見ると、
驚くべきことにそれとは正反対のことが見えてくる。
近代社会ほど個人に注目している社会はないのだ。
近代社会ほど
個人の配置に関心を抱き、
個人を監視、管理、訓練、矯正の仕組みから
絶対に逃れられないように取り組んでいく技術の発達した社会は
ない
のだ。
兵営、学校、工場、監獄、すべての規律・矯正の大きな仕組みは、
個人を捕らえて、
個人が何者であり、何ができ、また何に用いたらよいかを知り、
どこに配置したらよいかを知るための仕組み
なのだ。
個人の認識を可能にさせる知の形式として人文諸科学も同じ役割を果たしている。
だれが正常でだれが正常でないか、
だらが理性的でだれがそうでないか、
だれに何ができるのか、
個人の見えざる行動は何なのか等々を知ることを
可能にする
からである。
また、
統計が現代において持っている重要さも、
個人的行動集団的に作用することを量的に量ること
可能にすることにある。
さらに付け加えて言えば、
さまざまな社会的な援助や保険のようなもののメカニズムも、
経済的に合理化し、政治的な安定をはかるとかいう目的はあるにしても、
その他に個人のレベルで人間を捉えるという作用を持っている。

 このような個人の存在と行動のすべて、
各人の、しかも一人一人の生活・生涯というものは、
現代社会の中で、権力の行使のためには、
恒常的で、しかも不可欠な要素になっている
と言えるのだ。
個人というものこそ、
権力にとって本質的な対象
であり、
逆説的なことだが、
権力が個人を目指せば目指すほど、
その権力は国家管理的権力
なのである。

 こうして、〈牧人=司祭制〉は、
厳密に宗教的な形においては
権力としての本質的な部分を失ってしまったが、
しかし、近代国家の中に、
新しい支えと姿を変えて生き延びる原理とを見出した
のだと言える。”
(渡辺守章【訳】「政治の分析哲学」
『ミシェル・フーコー思考集成〈7〉 1978 知/身体』 所収
2000年、筑摩書房、134-137頁)


《生権力》について、
次のページに持ち越して整理する。

【14】につづく。

元エコノミック・ヒットマンの
ジョン・パーキンスが、
「Democracy Now」に出演した際に、
‟地政学的な意味で”の
イスラエルとパレスチナとの位置について、
つまり
”パレスティナ問題”について語っている。

もしパーキンスの言う通りであるならば、
”パレスティナ問題”についても、
冷戦後も存続している“NATO”についても

アメリカの覇権や資源確保などの事情も
視野に入れる必要がある事になる(9分以降~)。

エコノミックヒットマン元NSA職員