【19】⑤加藤諦三《騙す者-騙される人々》~《2010年10月31日》とハシズム⑱~ |   「生きる権利、生きる自由、いのち」が危ない!

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徳冨蘆花「謀叛論」を再発見してたら、
「ソクラテスの弁明」が、なぜ好きなのか、最近になって納得し始めた今日この頃です。

〈【前(18)のページ】から続き〉

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  やさしい人は騙されやすい


 騙される心理や騙す心理について書かれている本に、
よく出てくるのは
騙す人
相手の「弱み」つけ込む
という。

 ここまで書いてきたのは、まさに
利用されたり騙されたりする人
弱さ
である。

 これから書くのは「弱さ」ではない。

 何か騙される人は
性格的に「弱さ」があるようであるが、
そうではない。

それ以外に
むしろ長所があるから
騙されることがある


 例えば
思いやりのある やさしい人などは、
むしろ騙されやすい


 例えば
狭い土地に家を建てる場合に よくあるトラブルがある。
それは家を新築するのに、道が狭いから
隣の家の協力必要である。
隣の家の一部壊せばその土地に新しく家が建つ。

 そういう場合に、不動産屋が「騙し」に入る
と、
他人の不動産屋から聞いた。

 やり手の不動産屋は、売れない土地売ってしまう
そこに家を建ててしまう。
その売れない土地の隣人を騙すからである。

「こちらに引っ越してくる人は、
お子さんが二人いて、小学校に入学間近」などと
子どものことをもちだす


 すると子どもの好きな隣人は
「その家族のためになるならば」と思って、
不動産者の言うことを信じて

不動産屋の言うとおりになる

 しかしそれは、
その人犠牲にして
隣に家を新築して引っ越しを可能にするための「騙し
である。

 騙す人にとって相手の「弱さ」となるもの
人間としての「弱み」ではないこと
がある。
むしろ人間としての質の高さであることもある


 同じ言葉を使っても、
騙す人と質の良い人では、その意味が違う。

 騙される心理には、
また感情移入という心理過程が作用していることがある


 例えば、
隣に引っ越してくる人が、
子どもが二人いて」と聞くとする。

 すると、
今は子育てが大変だろうなと思う。
そうすると善良な人は、助けてあげようと思う


 隣に引っ越してくる奥さん
子育てで苦労している、
そう思って奥さんを見てしまう。
自分の感情を移入して相手を見る


 自分が楽しいときには、
人を見ても楽しそうにしていると見てしまう。
自分が悲しいときには、
人を見ても悲しそうにしていると見てしまう


 ずるい人
相手のソフトサイド訴える

 やさしい人騙される


 結局、善良な人は 自分の家一部壊されて
隣に引っ越してきた隣人罵声を浴びせられて
ノイローゼになって入院してしまった
と聞いた。

 なぜ罵声を浴びせたか
それは隣の家が元に戻らなければ
自分たちの車が通行できるから
である。

「あのときに、
隣人のために』という
善良の行為をしなければ
こんな酷い目に遭わなかったのに」
と後悔しても後の祭り
である。


 質の悪い人なら
こんなトラブル起きない

何の契約もしないで、
自分の家の一部とはいえ、
絶対に壊させたりしない


 口約束で自分の家壊すこと了解するのは、
その人が善良な人だからである。


 質の悪い人
質の悪い人がすること分かる
だから酷い目遭わない


 善良な人には
その不動産屋隣人のような行為をすること
想像できなかった


 ずるい人から自分を守れる人
ずるい人だけ
である。
ずるい人だけ
ずるい人のすること分かる


 一度も騙されたことのない人は、
ずるい人
であると私は思っている。
騙されたことがないということは
「しっかりした人」というイメージがあるが、
もう一面

質の悪い人であり、ずるい人である。

 騙される人について
いろいろと弱点を書いてきたが、
騙されたことは、
性格的「弱点」である場合もあるし、
それを誇りに思ってもよい場合もある


 純粋で人を信じるから、
ずるい人にとってはカモになる
である。

純粋で人を信じることは悪いことではない。

 騙されて生きてきた ということは
誇りを持って良いときもある



何を言ってるかより、 誰が言っているかが重要


 その人の弱点は、
その人の人間関係の中で表れる。
ずるい人、人を騙す人、人を操作する人
的確に相手を見抜く


 「この人は深刻な劣等感のある人だな」
と見抜けば、お世辞を言ってその人を利用する。


「この人はナルシストだな」
と思えば、その人の話ばかりする。

 人を操作する人から見れば、
そうした人を動かすことは
朝飯前の仕事である。


自己蔑視している人は、
無防備である」
とは
カレン・ホルナイの名言である。
たしかに自己蔑視している人は無防備である。

 相手がどんな人であれ、
相手の言うことを真に受けてしまう。
相手に軽く見られても、それを受け入れてしまう


 相手が
自分の努力を高く評価しなければ、
自分の努力はたいして意味がないと思ってしまう。
自分の才能を高く評価しなければ、
自分の才能はたいした意味がない と思ってしまう。

 人の幸せ
結局その人の人間関係であるが、
その人の人間関係がその人自身を表している
のである。

 その人自身がどんなに純粋でも、
その人の周りにいる人が ずるい人ばかりなら、
誠実な人は その人には近づかなくなる


 結局周りにいる人は、
酷い人ばかりになる
そうなったら
努力しても努力しても
幸せにはなれない


 酷い人というのは、
相手不安に陥れて働かせる
不安になるような情報を与える
そうして酷い人が周りにいると
その人いつも焦っている


 その人の弱点が、
そうした酷い人周囲に呼び寄せた
のである。

 ずるい人
【と】れるものがあればそこにいく
貰えるものがあれば そこにいく


 ずるい人は、
これを言ったら相手は怯える
と分かれば、そのことを言う
これを言ったら相手は不安になる」と分かれば、
そのことを言う


そうして脅したり、
すかしたりしながら

盗れるもの盗っていく


 「何を」言っているかではなく、
「誰が」言っているかが大切
である。

 お人好しで、人を見ない人は
「何を言っているか」ということで動いてしまう。
自分に都合の良いことを言っている人を信じてしまう。


 そういう人でも後から考えると、
「何であんな人の言うことを信じたのだろう」
と不思議になる。

 人を騙す人の共通点、
それは社会的立場がない


 定年後に、
よく大企業の元エリート・サラリーマンが
社会的立場のない人に騙される。

 なぜだろうか。

 それは社会的立場のない人は、
人を見抜くことでしか、
この世俗を生き延びられない
から
である。

 しかし大企業にいた人は、
それまでバックがその人を守ってくれていた。
その人はこの世俗の世の中を生き抜くのに、
自分で自分を守る姿勢がない


 大企業を定年退職した人は、
何かを買うときに
「これは良い品物か、悪い品物か」を見る。
しかし実は品物を見る前に
「誰が売っているか」ということが大切なのである。

退職を騙し取られる人は みなそうである。
退職金で土地を買い、騙される。

 そのときにも騙される人は
「この土地はどういう土地か」ばかりに気を奪われる。

 一番大切なことは
「誰が」そう言っているか
 ということである。
「誰が」売ろうとしているか ということである。


 なぜ、相手から「この人は騙せる」と思われてしまったか
ということを反省しなければ、同じことが繰り返される。
自分の「どこが舐められるたか」ということ
である。

 相手は自分のどこを見て、
騙せる」と思ったのかということを考えること
である。

 しかし
その人の誠実な友人は、
おそらく「そこ」を見て、
「この人は信じられる」と思った
のである。

 天使に会うためには
悪魔と会わなければならないのかもしれない。

 最悪なのは
悪魔だけ会って天使には会わないこと
である。



 【騙す人は
   困っているときに寄ってくる】

 〈騙そうとする人は、
      あなたの味方を装う〉


(中略)

 騙される人間は、演技弱い
自分を受け入れてくれるような人を演じる人に
騙される。


 私もアメリカで不動産を買うときに
何度も騙された。

 私は自分の研究で忙しく
なかなか不動産購入のために時間を取れなかった。
そのときに ある不動産が
先生のように忙しい人が、
何も全ての書類に目を通したりしなくても

と言う。
そのときの忙しい僕にとっては
都合の良い言葉であった。
その言葉に騙された


 騙す意図が悪いので、
言葉が悪いのではない。

 こちらにとって、
どこかに注射のようにイヤなことがないのは、ダメ。

 急激な親しさ危険である。
すぐに親しさをつくる人も、
多くの場合、騙す人である。


 昔からの友達に言われるのなら良い。

 あなたが困ったときに ぴたっと来る人は、
まず騙す人
である。

(中略)

 あなたが困ったときに、
あなたの味方のような顔をする人危険
である。

 例えば、
あなたを「守ってあげる」という役割を演じる。
そうしてあなたを信用させる


 人が信用できるかできないかは
どこで判断するか。

 それは見えないところで
その人が何をしているか
である。
見えるところでどんなに親切で立派なことをしていても 信用してはいけない
 つまり
人を信用するには時間がかかる。
長い時間のなかでは、
見えないところが見えてくる



   【困っているときは
    カモになりやすい】



 あなたが困り果てたときには
「私は、今大草原で迷っている一匹の子ヒツジだ」
と認識した方が良い。

 つまり
あなたはライオンをはじめ様々な猛獣に
四方八方から狙われている。
困ったときには、
誰に頼るのでもなく、
自分で自分を守る決意を固めるとき
なのである。

 自分が困ったとき
都合のいい人最悪の人
と思って良い。

 あなたが困ったときには
ずるい人の「カモ」になるとき
である。
ずるさ弱さ敏感である
という言葉を 僕はよく引用する。

 長い人生を世俗の世の中で生きていく上で
これほど重要な言葉は それほど多くはない。

 困ったときというのは、
ずるい人狙われている

と思わなければならない。

 もちろん
それまで長いこと親しかった人が助けてくれるときには 別である。
困ったときになって
初めて近寄ってきて
都合の良いことを言う人危険

と言っているのである。

 困っている人ほど騙しやすいし、
言いなりになりやすい

困ったときには誰でも
「藁をもつかむ」心境になっている

そこで
ずるい人
いいように困っている人を操作する


 ある金持ちの離婚裁判である。
夫に愛人ができた。
しかし奥さんは別れたくはなかった。


 別れたかったのは
夫の方である。
夫は会社を経営していて儲かりに儲かっていた。

 そこで奥さんは ある弁護士に頼んだ。
もちろん弁護士は

奥さんに同情したことを言って
奥さんの気持ちをつかんだ

 しかし実際には
そのずるい弁護士は、
離婚を望んでいない奥さん
離婚させようとして、
相手の弁護士と組んだ


 奥さんから見ると どういう構図になっているか
というと、
相手方の弁護士は2人で、
自分〔奥さん〕には弁護士がいない

という形になってしまった

 なぜそうなったか というと、
離婚をして慰謝料を取れば
莫大なお金が弁護士に入る
その何割か奥さんの弁護士入る


 困ったときに、
こちらに都合の良いことを
言ってくる人は、
まずずるい人
である。

 そういう私〔加藤諦三氏〕自身先に書いたように、
アメリカで不動産を買ったときに
見事に不動産屋に騙された。

 私が窮地に瀕しているとき
外国人を騙す不動産屋は けしからん
と言って近づいてきた弁護士がいた

 「地獄に仏」の気持ちで その弁護士に頼ったら、
さらに大きく騙された

 私の教え子で 証券会社に勤めた人
次のように言った。
先生、
人が首をつるところが 一番儲かる
んですよ」


 恐ろしいことを考える人が講義を聞いていた
と知って ぞっとした。

 しかし
それが現実なのだろう。
つまり
お金に困った人ほど
「この株は上がります」と言えば買う
 という。
お金に困っていない人は
「この株は上がります」と言っても
そう簡単に買わないという。

 あなた
騙す人
まるっきり見えていない
それに対して
あなた
騙す人丸見え
である。"

(加藤諦三【著】
『ずるい人に騙された時どう生きるか 怒りと悔しさの心理』
(電子書籍版 データ製作日:2011年4月11日、PHP研究所、32-54頁)

―――――――――――

“ …あなたはくやしいが騙されたあなた
これから先、自分の進む先には幸せがある
信じることができる

 それに対してあなたを騙した人は、
先に幸せがあると思って生きることは

できない

最後に幸せになれるのは
あなたの方である
ことを
忘れてはならない
。”
(加藤諦三【著】
『ずるい人に騙された時どう生きるか 怒りと悔しさの心理』
(電子書籍版 データ製作日:2011年4月11日、PHP研究所、148頁)