【前回記事からの続き】
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第2次大戦後、世界中を巻き込んで展開され、
これが今日の《グローバル化戦略》の下地(したぢ)
になっている、と高樹が思っている、
20世紀後半をして❝開発の世紀❞と言われるほどの
《開発(Development)》について、
この記事で扱うに当たり、
《開発》や西側先進国から供給される《技術》が、
具体的に、どのような帰結をもたらしたり、
どのように機能してきたか、
スーザン・ジョージ
『なぜ世界の半分が飢えるのか』をもって
まず見ていきたいと思います。
――・――・――・――・――・――
スーザン・ジョージは、その著書
『なぜ世界の半分が飢えるのか』のなかで
《技術》は
〈中立的/没価値的なもの〉《ではない》と
主張しています。
しかも近代資本主義以前の時代から
《技術》は、
〈その周辺や隣接領域や関係領域〉に
‟何かを伴なうこと”の説明をします。
たとえば、
〈農業技術移転〉のもっとも単純な形は、
〈ある植物の、他の地域への移植〉で、
スーザン・ジョージは、
その例として、
〈サトウキビの移植〉を挙げます。
本来はアジアの植物であるサトウキビが、
アラビア商人の手により、
9世紀ごろまでには
地中海一帯にも移植された。
そして1944年には、
クリストファー・コロンブスが、
中南米のカリブ海に浮かぶ
イスパニョーラ(現在のドミニカとハイチ)と
キューバに、サトウキビを移植しています。
16世紀初めまでには
アントワープとアムステルダムに《製糖所》をもつ
当時の覇者であったオランダが
《砂糖の輸送と販売を独占して富を得ていた》のに
追随して、他の国々も、
〈利益の多い砂糖貿易〉に‟乗り込む”のに従って
〈砂糖の貿易総量の増大/サトウキビ増産〉の為の、
労働力としての《アフリカ奴隷貿易》が
“伴ってきたこと”を指摘します。
《アフリカ奴隷を植民地に運び出す船》は
また奴隷を運ぶべくアフリカに戻ってくる際には
落花生やトウモロコシ、サツマイモ、
タピオカやタバコなどの〈新しい植物〉が
《アフリカに持ち込まれた》と言います。
また、綿花やタバコの北アメリカ南部への導入にも、
こうした痛ましい《奴隷貿易》が‟伴った”ことは
ご存知でしょう。
ごく初歩的な技術移転である、サトウキビという
たった一つの植物品種の移転だけでも、
ヨーロッパやラテンアメリカ、そしてアフリカの
《人びとの生を大きく変える》ことを
スーザン・ジョージは取り上げます。
さらに、
《換金作物の植民地生産》における
農業技術への〈知/研究〉の動員や関連も、
確かめることができます。
“現在のような農業研究は19世紀以前にはなかった。
こうした研究が始まったのは、
新しい植民地に持ち込まれた換金作物が、
慣れない環境の下で、数知れぬ弊害に襲われ、
植民が成り立たなくなる恐れが出てきたからである。
こうして各地の植民地に研究所が生まれたのだが、
当然のことながら
現地の食糧生産などには何の注意も払われなかった。
この換金作物と食糧生産に関する研究のズレは
いまもなお存在している。
以上のことを
ピエール・スピッツの言葉を借りて要約すれば
次のようになる。
「人類の歴史は、植物や動物を、
ある地域から他の地域へ、
また、ある会社から他の会社へと移すことで、
大きな影響を受けてきた。
新しい品種を採用した地域では、
その育成のために必要な農業技術が、
農民の社会・経済組織、ひいては社会全体に大きな影響を与えた。
その技術は
現地ばかりでなく
国際通商にも変化を及ぼし、
生産地、海外を通して消費形態を変えていった。
他の地域で同じ作物を以前からつくっていた人びとも
深刻な影響を受け、
その地域の社会・経済状態が大きく変わるということも
しばしばあった」”
(スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』P.107)
〈技術〉が
〈社会や人々の行動様式〉に
‟影響を与えて変化させる”面がある一方で、
〈その技術〉の《社会における位置》や
〈その技術〉に求める《企業の戦略上の位置》が
‟状況や成り行きによって変わる”場合があるなど
今回は、
〈技術そのもの〉ではなく
〈技術〉と接する《隣接領域》や《環境》に、
注目することになります。
スーザン・ジョージは
『なぜ世界の半分が飢えるのか』のなかに
「技術――誰のためのものか」
というタイトルの章を設けるほど、
《技術》が
‟中立的に”機能は《していないない》面を
取り上げます。
今回は、同書で取り上げられている
"多収穫品種"で有名で、
開発者のN・ボーローグ博士は
「ノーベル平和賞」まで受賞している、
《緑の革命》という《技術》の
《実際の世界における機能ぶり》を
具体的に見、
次回では
同書における《技術》の側面について踏まえ、
そして次々回から
第2次大戦後、世界を舞台にして
大々的に展開される《開発・発展》について
見ていきたいと思います。
‟どんな作物を誰のためにつくるのか、
という問題から離れて、
より一般的な意味での‟技術”、
つまり生産のための道具という点からみた場合、
なお十分に認識されていないと思われるもうひとつの事実を
指摘しておこう。
ひとつの技術を選択するということは、
自動的にそれを供給するもの、すなわち
売り手――しかも長期にわたる取引相手――を選択することになる。
西側先進国の新技術を選択するということは、
その技術がここ当分優位を保つと思われる工業部門のことは
一応論議の外に置くとして、
貧しい農村経済にとっては
いったい何を意味するのだろうか。
食糧を増産してゆくためには、
多国籍企業やコンサルタント会社の技術や生産資材を
採用することもできるし、
あるいは
自前の伝統技術を発展させて、
農民に適切に改良された機具を与えることもできる
肥料にしても、
さまざまな原料を使って自力で生産することもできるし、
全部輸入することもできる。
もし、自前の技術より多国籍企業を、あるいは国産より輸入を選べば、
それは自立よりも従属を選ぶことになる。
このことはまた、
技術を提供する者への支払いによって、
農業部門(あるいは他の必要な部門)へ向ける資金を、
それだけ減らすことにもなる。
投資が少なければ生産も少ない。
生産が少なければ、
外部の援助によってジレンマを解決したくなる。
こうして悪循環が始まる。
その意味では、
問題は技術というより資本であろう。
もっとも進んだ技術と思われているもの、
つまり“最良のもののみ”を望んでいる開発計画者たちが
いちばんに気にいっている技術は、
実は低開発性を深刻化させ恒常化させるかもしれないのだ。
こうした技術を受け入れれば、
その導入費や維持費を必要とし、《従属関係》が生まれ、
資金の配分は適切さを欠くようになり、
その国の社会にも悪影響を与えるからである。”
(スーザン・ジョージ、『なぜ世界の半分が飢えるのか』 P.115)
〈技術〉に関する問題が、国際世界や実際の世界では
何故か《経済のグローバル化》問題や《従属関係》の問題として機能したり、現れるのでした。
以下では、
《緑の革命》などの《西欧先進国からの技術》が
どのように機能してきているか?
見ていきたいと思います。
‟――それでは「緑の革命」は 社会的にどんな影響を与えたか――
技術はつねに社会に対して何らかの影響を及ぼすという原理が
正しいとすれば、
技術が複雑に組み合わされればされるほど、
その波及する効果はより広範囲に及ぶと考えるのは当然であろう。
「緑の革命」が低開発国に対して
よい結果を全然もたらさなかったと考えるのは、
正しくもないしバカげているかもしれない。
市場向け農産物を増やし、
それが都市住民の食糧供給に役立ったことは
やはり重要な点であろう。
だが、不幸なことに「緑の革命」は、
その恩恵にあずかれる農民とそうでない農民との間に
大きな格差を生み出し、
また同じ国内でも地域による格差をひどくした。
(レスター・ブラウンも認めるように、
「緑の革命」は
望ましからざる社会状態をつくり出す。
「新しい品種が使え、収入を大幅に増やした農民と、
これまでの家族農業にしばりつけられている農民との間では、
急速に生活水準の差がひろがり、
それが両者の対立をもたらすことになる」。
しかし、ブラウンはここでも、
ごく少数のものだけが新品種を使えるのはなぜなのか
については何の説明もしていない。
ブラウンは、
「緑の革命」を論じた著書のなかで、
“次の世代の問題”にも触れている。
しかし、ここでもブラウンは、いかにも彼らしく、
問題をまったく技術的にしかみていない。
つまり将来は貯蔵設備、販売組織、輸送設備が、
あふれかえる収穫の処理に対処できなくなるだろうから、
奥地にある農業地帯と世界市場とを結びつけるものが必要となる」
というのである
(この論法では、
食料不足に悩む国々の最終目的が
世界市場の獲得だということになってしまう)。”
(P.149-151)
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❝国連社会開発調査研究所は
5年をかけて
「多収穫品種の大規模導入が持つ社会、経済的意義」
と題する調査報告を作成したが、
この問題を
幅広い公平な研究成果をもとに追求しようとする人びとにとって
その要約は一読の価値がある。
(引用者略)
[この報告書によれば、
「緑の革命」の社会的影響により]
農村共同体の規範はどこでも崩れつつある。
新しい農業企業家が零細農家を抑えつけ、
地主が小作人を追い出そうとするにつれて、
むかしの温情主義などはどこかへ消えてしまう。
こうして、農村では土地なき農民が増え、
都市は失業者であふれるようになる。
収穫が上がるにつれて、
物を分かち合うという人間的な心は失われ、
市場でもうけることが唯一の目的になっていく。
生まれてから大地と結びついて生きていきた人たちが
プロレタリアートに転化し、
伝統的な村の救済制度から切り離された家族は、
凶作のためではなく
失業のために食うに困るようになる。
(引用者中略)
「緑の革命」を推進した西側の連中は、
生産資材を売り込むのと同時に、
“共産主義”の脅威を受けている国々で食糧を増産し、
中産農民をテコ入れすることによって、
社会安定の促進をはかろうとした。
しかし、現在「緑の革命」が実施されているところではどこでも、
農業は人びとに食糧を供給する手段とはみなされず、
利潤を生む投資と考えられるようになってきている。
そして、こうした変化は、
土地・労働・資本の関係、
地主・小作人・雇われ農民の関係、
農業・商業・工業の関係、
さらには都市と農村との関係
といったものに、大きな変動の波をひき起こした。”
(P.152-155)
では、《緑の革命》は
なぜ世界的に普及し、
《緑の革命》に偏向する研究者は
どのように生まれ、構成されるのでしょうか?
‟――「緑の革命」が富める者をより富ませ、
貧しい者を飢えに追いやるというのは
避けられないことなのだろうか――
現在のような自由経済制度のもとでは、
「緑の革命」の論理的な帰結は、
企業化した(時には輸出のための)大農場の出現と
生活のための食糧計画の縮小である。
食糧不足と失業はその社会的側面であるといってよい。
しかし、異なった社会制度のもとで、
新しい技術を
すべての人びとのために使うような努力を集中すれば、
「緑の革命」とても、
その宣伝文句通り
食糧の自給と飢えの解消への道となることもあり得る。
この革命は必ずしも毒まんじゅうではない。
(引用者中略)
しかし、こうした灌漑施設をつくるにしても、
それがただ地方のボスを利する結果に終わるとすれば、
人びとは動員に応ずるだろうか。
現在は、こうしたボスが、
種子から水にいたるまで、政治につながるすべてのカードを握っている。
そして、
多収穫品種が利潤の多い投資であることが明らかになるにつれて、
これら地方ボスに都市の企業家、退職官僚、不在地主など[が]加わり、
収穫が増えても低賃金に甘んじて働く労働者群を利用することを
考えるようになっているのである。
不平等を是正する措置がとられないところでは、
「緑の革命」は事態を確実に悪化させる。
小農というものは、
もっとも集団行動をとらせにくい社会集団として知られている。
しかし、これは、
彼らが都会人と比べて愚鈍なためでも、
あるいは圧迫に慣れて反応がにぶくなっているためでもない。
最大の理由は、
彼らの全生活――単に仕事ばかりでなく――が
地方の封建的な権力に依存しているからである。
「緑の革命」は、彼らの悲惨さを、
もはや耐えきれないところにまで深刻化させた。
西側の大学にいる“開発”社会学者や経済学者は、
彼らのいう「緑の革命」から利益を得ている人びとの生活を調査し、
もし彼らに不満があれば、それには対処するという。
しかし、一方では、貧しい人びとは、
自分たちの日常生活を通じて彼らなりの“調査”を行い、
彼らには何もかも足りないことを知っている。
今日、
西側の利益にべったり癒着しているようにみえる第三世界の政府も、
いつの日にか大衆の力に押されて
「もうたくさんだ」と言いだすだろう。
われわれ西側にいる者が最小限できることは、
だれがこの社会的災害の背後にいるかを知り、
そうした連中の行動をやめさせることである。
(P.158-160)
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【緑の革命を推進する研究集団の育成】
"――7年間に568倍にもなった多収穫品種作付面積の拡大は
偶然だったのだろうか――
決してそうではない。
早くも1953年に、ロックフェラー財団は、
その影響下にあるアメリカの農業開発協会を通じて
インド人の農業経済学者、農業技術専門家の養成に
力を入れだした。
さらにアメリカ国際開発局の実地訓練計画と協力し、
“村落経済を技術変革と安定社会に見合った形にする”仕事を
手伝うエリートの養成にとりかかった。
インドの評論家クリシュナ・ムアシーによれば、
1959年、フォード財団も、
肥料、殺虫剤、改良品種など「緑の革命」にふさわしいものを
売り込む専門家使節団をインドに送り、
その勧告によって、インド政府は
重点地域に集中して農業を振興する計画の基礎をつくった。
この計画は1名パッケージ計画とも呼ばれ、
もっとも豊かな、また近代的な農民を対象したものであった。
これが「緑の革命」の試運転の役割を果たしたのである。
メキシコのCIMMYT、フィリピンのIRRI、
さらにアメリカでは
国際開発局、農業開発協会や財団の出資する奨学資金を通じて、
低開発国の農業学者や経済学者が教育を受けた。
彼らは単に高度な訓練を受けた個人の集団ではなかった。
彼らは
「緑の革命」の種子を
第三世界にばらまく国際専門家チームとなったのである。”
(同 P.145-146)
《緑の革命》が世界に広まるのに、
各地元における《封建的な権力層や権益的要素》が
"くすぐられ"たりする他に、
引用の最後の箇所に出てきたように、
《「緑の革命」を推し進める》ための、
《専門家/推進者の育成》の側面を垣間見ましたが、
スーザン・ジョージは、さらに同書の第3章に、
「第三世界の特権層」という章を設けて、
アメリカ政府の公式文書からも覗(うかが)える
《冷戦下でのアメリカの開発戦略》の一環として、
〈第三世界の特権層やエリート層など〉を
《ソフトパワー的に取り込む》様子の紹介まで
しています。
この推進者育成に向けての具体的な様子が、
今日における《ワシントン・コンセンサス》や
《自由主義政策》の〈イエスマン〉が
大学からマスコミに至るまで
広く存在するようになる現状を
個人的には、重なって連想してしまいます。
スーザン・ジョージは、
その第3章「第三世界の特権層」で
「冷戦を勝ちぬくために
――アメリカのイデオロギー攻勢」
という1964年1月の
アメリカ下院外交員会・国際機構小委員会聴聞会での
国際開発局および国防省の人間による証言を
紹介しています。
次回記事では、
同書の「技術――誰のためのものか」から
《開発》における《技術》の「機能ぶりや位置」
について、垣間見てみたいと思います
【字数制限上、次のページに続く】