琥珀色の雨にぬれて① ‘17年・雪組 「柴田先生作品の魅力?」 | To TAKARAZUKA once a month at leastー観劇・備忘録

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My Favorites:
①ちーずちゃん ②はばまいちゃん ③たけちゃん ④こっちゃん ⑤キキちゃん
①20世紀号 ②1789 ③ファントム ④王家に捧ぐ歌
①とうこさん ②あさこさん
①あすかさん ②おはなさま 

ミュージカル・ロマン『琥珀色の雨にぬれて』  作/柴田 侑宏  演出/正塚 晴彦
作曲・編曲/高橋城,吉田優子,寺田瀧雄  編曲/高橋恵  振付/司このみ,名月かなで  装置/大橋泰弘  衣装/任田幾英  照明/平田良一  音響/大坪正仁  小道具/太田遼  歌唱指導/山口正義  装置補/鈴木圭  衣装補/加藤真美  舞台進行/庄司哲久

雪組・全国ツアー 平成29年8月31日 18時公演 郡山市民文化会館 1階12列下手側S席


私が、スカステ放送映像を観たのは、多分3年ほど前だったような気がします。花組の2002年の全ツの方だったかな? 最初の「みどりさん」が白いドレスでひらひらしてたのと、あすかさんが何か怖かったのと、主人公に「とっととしろ」と思い続けていたのと、最後の湖での別れのシーンだけは、かすかに記憶が残っていました。その後星組再演の放送もあったはずですが、そちらは観ておらず、この花組全ツ1回しか観ていないので、超お気に入りとはならなかったのでしょう。とにかく、断片的なイメージの記憶しか残っていなかったので、新鮮に観劇できました(笑)。

[解説]
1920年代の爛熟期のパリを舞台に、戦火を潜り抜けても純粋さを失わない貴族の青年クロードと、魔性の女シャロンとの恋を中心に、クロードを慕う少女フランソワーズ、シャロンに惚れるジゴロのルイを交えた、4人の男女が織り成す恋愛心理劇。プロローグから当時流行のタンゴの名曲をきかせて、ドラマの起伏を描き出しました。1984年に高汐巴、若葉ひろみらによる花組にて初演後、度々再演を重ねてきた秀作ドラマが、雪組新トップコンビ望海風斗と真彩希帆のお披露目公演として甦ります。



○ 一回目の観劇
だいもんの新トップお披露目全国ツアー公演は、定番の?柴田先生作品となりました。1984年の初演、1987年地方公演、2002年花組大劇場公演、2003年花組全国ツアー、そして、2012年星組の全ツがあって、それ以来5年ぶりの再演ですね。
これだけ再演を重ねていることこそが、傑作の証のはずですが、この日、1回目の観劇では...

何となく予想していた通りに、かなーり○和でレトロな舞台の有り様に時代の違いを感じつつ、主人公の行動パターンにイライラして、
「これ、だいもんには合わな...」
とか感じつつ、ヒロインも
「これ、きぃちゃんの合った役柄かな?」
とか思いつつ、さらには、もう一人のヒロインの行動には辟易しつつも、
「でも、これって、やっぱり柴田先生世界...」
とか感じているうちに
「最後は、こんな感じだったっけ」
で、あっさりと?、幕が下りてしまい...
「この物語って、一体、何がテーマ?」


○ 柴田先生のお言葉
そこで、幕間にプログラムを読んでみると、
「戦争を潜り抜けてなお純粋さを失わない貴族的なクロードと、対照的な二人の女性。上流家庭の無垢な少女フランソワーズ、一人は爛熟期のパリそのものの色濃い女シャロン。そしてもう一人、クロードと対照の位置で、シャロンと同類の背徳の世界にいる青年ルイ。この四人の織りなすアラベスクを20世紀初期のカラフルで開放的なパリに置いて、当時の風俗と合わせればどうなるか、これがこの作品を手掛けた動機であった」

「えーっと、そんな話だったかな?」
この日は、(いつもの (笑)) 連続観劇。そんな疑問を抱きながら、夜の部の観劇を迎えました。


○ プロローグ
ちなみに、こんな、いかにも宝塚らしいプロローグ...全然覚えてませんでした(笑)。
でも、ここから、すでに、層の○さは感じていたでしょうか。
パッと見てスターを感じさせるのは、容貌と大きさ、ダンス、仕草、色々なものから伝わってくるもの...
「男役十年」
という言葉は、決してダテではありませんね。


○ 出会い
詳細は忘れていましたが、森の中、白いドレス、軽やかな絶世の美女設定は覚えていました。でも、「みどりさん」はきりっとした美貌のジェンヌさんですけど、
「ここまでの設定に合っているのかな?」
と思ったような気がします。「きぃちゃん」も美貌を誇る...というタイプだとは思っておらず、観る前には、正直
「どうして、この演目に?」
という想いはありました。そうですね...きぃちゃんのシャロンは
「自分の蠱惑的な魅力をしっかりと自覚しつつ、人前では厚い仮面をかぶって、ファム・ファタールを演じ続けながらも、そういった魅力もまた、時と共に失われることもどこかで感じていて、それ故の不安と焦燥と満たされないものを抱え続けながらも、それを自覚しまいとしている、20歳代半ばの女性」
といった感じでしょうか?
絶世の美女に見えるかどうかはともかく (でも、今のトップ娘役に、そういった意味での適役がいるとも思えない。結局、おはなさまで見たい気がするだけ。だんさんでも、となみさんでも、ちょっと違うような気がしますね)、そういった役作りは伝わった気はします。

① シャロン・カザティ  真彩 希帆(98期・11番 「きぃちゃん」「まあや」「なっちゃん」)  芝居 ☆☆☆


○ こいつって...
先行画像...心がどこかに飛んで行っているかのような主役の表情に、かなり衝撃を受けました。でも、ポスター画像は、ずっと普通 (?) になっていて...、結局あの先行画像は何だったんでしょう...。
とか思っていた気がします。
でも、観劇してみれば、あの○けたような表情も分かる気がする...(♂って、所詮は、そういったもの...)
昼公演での観劇、この主人公の行いには、「イライラ」というか、フラストレーションが募る思いが確かにありましたが...。でも、正直に言うと
「こいつの気持ち...何かよく分かるような気がする...」
といったところがあることを、1回目の観劇後に自覚...。
「いい加減にしろ」
と思いつつ
「確かに、♂って、こういう生き物...」
という実感があります。そして
「Ladiesは、こういう♂のありようって、どう感じられるのかな?」
とも思っていました (ウエクミ先生の想像された“ギィ”には、全く共感できなかったことなども思い起こしたりしてましたね)。私には、(実は、ルイの行いは理解できても、気持ちはよく分からないのだけれど) クロードの気持ちも行いもよく分かる気がする。でも、シャロンの気持ちは勿論、フランソワーズの気持ちも分かりそうでも、やはり理解しきれない気がする。

② クロード・ドゥ・ベルナール公爵  望海 風斗(89期・2番 「だいもん」「ふうと」「のぞ」)  芝居 ☆☆☆☆

1回目の観劇の時は、何か地味な気がした...というか、そもそも、この主人公って、軽薄さを感じるところはあっても、
「カッコよさって、どこ?」
という感じじゃないでしょうか? カッコいいのって、チンピラをのすところだけ?
でも、2回目に観た時には、こいつの“しょうもなさ”だけじゃなくて、この♂の切なく、ちょっとカッコ悪いカッコ良さも伝わってきた気がする。
男役15年の「あやこちゃん」にも、本当の
“♂のしょうもなさ”
は分かるはずはないのだけれど...
でも、その作品を演じ切ることによって、女性が演じているはずなのに、そこを感じさせてくれるのこそが、(少なくとも♂にとっては) 
”柴田先生の偉大さ”
の一つなんじゃないかと、改めて気づかされました。
ただし...、そこを演じ切れていたのは、間違いなく、
”だいもんの実力”
です。


○ 幕間
幕間に、妙齢のご婦人が
「これって、未亡人が、若い♂をたぶらかす話なの?」
とお話しされていて、一方、うら若い女性は
「あそこは、絶対に、あの子が、あの女を撃ち○すと思った」
と言っていました。
どちらも正解ですね。でも、♂的には、どちらも、ちょっと違う気がしました...(笑)

そうですね。わたし的には、
「戦争を潜り抜けてなお純粋さを失わない貴族」
という柴田先生のお言葉に反するようですけど、そういった、ややこしいことじゃなく
「♂って、昔も今もこれからも、こんなもの」
的な感じが強くて、でも、勿論それは、柴田先生もご存じで、それは、先生のお言葉の続き
「国際的な様相がどのように移り変わろうが人間同士の触れ合いと心の動きは変わることもなく、歓喜や岬吟を繰り返して果てることはない。恋の形、恋心の高揚・落胆・振幅においては尚更のことだろう」
にも現れていて、そういったもの (♂のしょうもなさ?) を、女性しかいない宝塚の舞台で感じられるのが、一種逆説的に、♂である自分にとっての、柴田先生の作品世界の最も大きな魅力になっているのだと感じさせられた公演でもありました (って、まだ今日も観劇です (笑))

daimon

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