「嫌われる勇気」を読み返してみた | 元中学校英語教師の新米ママ。完璧ママより笑顔ママ(o^^o)Life is beautiful.

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鬱になったことのある
元中学校英語教師。
現在一児の母。
ママの笑顔が世界を変えるはず!

Pray for peace.

元中学校英語教師で、
鬱になって休職した経験を持つhirokoです。
ただいま妊娠21週^ ^


梅雨だからか天気もどんより、
気持ちも引っ張られてどんより(´ω`;)
ひとり、頭の中で行ったり来たり
グルグルして疲れてきたので、
とりあえずアドラー心理学の
「嫌われる勇気」を読み返してみた。

ちゃんと理解できているかは分からないけど
劣等感、劣等コンプレックスなんかは
「だよね~」と思うし、

対人関係における(特に子育て)
叱ってもいけない、褒めてもいけない
賞罰教育の危険性も激しく同意。

こちらのブログにも書いたけど、
褒められるためにする努力は
自分のためではなくなってしまい、
結果至上主義に偏ってしまう。

褒める側が上で、褒められる側が下、
という「縦の関係」が生じてしまう。
対等な「横の関係」が望ましい。

そのためにはどうしたらよいか?

「行為」ではなく「存在」に注目して、
「~できて偉い」ではなく、
「~してくれて嬉しい、ありがとう」
と伝える。

「あなたがいてくれて嬉しい」
というメッセージを送ること。

違いが分かりにくいかもしれないけど、
「褒める」のではなく
「勇気付ける」。

「~できて偉い」ではなく、
「あなたは~できる」と勇気付ける。
できるから偉いのではなく、
そもそもその力はあると信じて
見守ること。
その大前提として、相手がただ存在すること
に感謝し、それだけで十分という
気持ちを持つこと。

でも人間だから得意不得意もあるし、
できないこともある。
やってみてできなかったら、
他のことにチャレンジしてみればよいし、
ひとつやふたつできなくたって
本人も親も落ち込むことはない。


そして、私も気をつけてる
「課題の分離」

これを前提に生きてこなかった人生において
課題の分離という考え方は衝撃的で、
なかなか実践できないものだと思う…

「嫌われる勇気」の中でも
アドラー心理学を語る哲人に対して
青年が
「そんなはずはない!
あなたが言ってることは矛盾してる!
到底信じられることではない!」
と何度も反発するのもすごくよくわかる。

それほどアドラー心理学は
現代の人間社会の常識や前提とは
異なる、受け入れ難い考え方…

でも、
確かにそうだ
そう考えて行動できたら幸せだ
と思う。
実際売れてるみたいだし、アドラー心理学を受け入れてる人もたくさんいるようだし。

課題の分離はまさにそう思うポイント。
他者の課題に介入せずに、力になる
準備はできてるという姿勢を見せて見守る。

親子だろうとどんなに距離が近かろうと
相手の課題に踏み込んではいけない。
それが相手の自立を妨げることになり、
お互いのためにならない。

そして、相手は自分とは違う
1人の人格であると考える。

自分が何を思おうが、何が好きだろうが、
相手が同じとは限らない。
考え方や好みが違っても自然なこと。

それを人は
「分かってもらえない」
「自分を否定された」
と誤解する…

ただ違っただけなのに。

そして、多数派の意見が当たり前のように
扱われ、少数派は異常扱いされる。
こうしていじめが起きたりすると思うなぁ。

みんな違ってみんなよい。

違うからってそこに
優劣があるわけじゃない。

意見や考えが違っても
「そう思うんだ~
私はこう思うよ~」
という会話が自然とできるといいんだけど、
相手の反応を気にして無理に合わせて
自分の考えを表現できなかったり、
否定されたような気持ちになって
悶々としてしまったり、
バカにされたようで悲しくなったり、
自分の意見を分からせようと躍起になったり、

感情をコントロールするのって難しい。

承認欲求を手放すとか、
自由とは他者から嫌われることとか、
わかってるようでまだまだ出来てないなぁ~

去年読んだときよりも理解は深まった
気がするけど、
まだ腑に落ちていないような。。。

でも読んで少し気持ちが
楽になった気がする^ ^

気になる本を読んでいこうかな~


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今日もお読みいただき、
ありがとうございました(o^^o)

Pray for peace.